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だめをだいじょぶにしていく日々だよ
きくちゆみこ
この連載では、まるでそれがほとんど神さまか何かみたいに、愛し、頼り、信じ、救われ、時に疑い、打ちのめされながら、いつも言葉と一緒に生きてきたわたしの、なにかとさわがしい心の記録を残していけたらと思っている。「言葉とわたし」がどんなふうに変化してきたのか、もしくは変化していくのかの考察を。たとえばそれは、「だめ」が「だいじょうぶ」に移り変わるまでの道のりでもある。毎月2回、のんびりおつきあいいただけたらうれしいです。
第4回「わたしにとってのわたしたち」
目に涙いっぱいためながら、いつもこの街を移動してるんだわたしは。
うまくいっていたのに最後に失敗した帰り道、コンビニで小さなパックに入ったお菓子をたくさん買った。手提げもスーツケースもパンパンだったから、コートの両側のポケットにすべてを無理やり突っ込んで、横断歩道に向かって歩き出した。
*
それは友人のイベントではじめてワークショップを担当した帰りだった。コロナも下火になりつつあった11月。ほとんどの人にとって対面で集うのはひさしぶりのはずで、だからただ言葉を交わすだけでなく、心もからだもぜんぶ使ってそこに一緒にいられるような会にしたいと思っていた。イベントを主催する友人は新進気鋭の占星術師で、オンラインでいくつも講座を持っているから、先生としてすでにたくさんの人たちにしたわれている(だって人柄も魅力なのだ)。一方のわたしには堂々と口にできるような肩書きがない。翻訳や文章の仕事をしたりはするけれど、SNSでわたしの様子を時おり見ていてくれる人たち以外には、自分をどうプレゼンテーションしていいのかわからない日々がもう20年!近くも続いていた。そのあいだに妻とか母とか居心地のわるいラベルばかりがふえていて、結局それを都合よく使いたくなる自分もいる。たとえば仕事がないとか人に会えないとかそういうときの言い訳に。それでもわたしには、唯一自分の拠りどころとなるようなささやかな経験があった。それは、これまで10年以上細々とパーソナル・ジンをつくり続けてきたということ。だからワークショップではみんなでジンをつくることにしたのだった。シュタイナーの教員養成講座で得た、「人と一緒に何かをしたい」という新鮮な意欲も助けになっていた。
会場は恵比寿の広々としたネイルサロンで、その一角にラグを敷いた小さなスペースに参加者たちと車座になって座った。わたしを含め、zoomから飛び出してきたばかりのからだは、人と同じ空間にいることにまだ慣れていない感じがあった。そこではじめに短い詩を唱えながらオイリュトミーのしぐさを動いたり、ちょっとした手遊びやゲームをしてから自己紹介をすることにした。わたしが発行しているジンのスタイルをもとに、「こんにちはあなた、わたしは……」と自分のことを自分で語るのだ。肩書きでも仕事でも出身地でもなく、わたしにとってのわたしについて。それをあとからそれぞれA41枚の紙にまとめ、文集のように一冊のジンにする。とはいえ、見知らぬ人にいきなり「わたしってこんな人なんです」と伝えるのは簡単なことではない。考えてみれば、たとえ友人や長年知っている人が相手でも、自分がどういう人間であるかについて、いちいち言葉にしてプレゼンする機会なんてあるだろうか? 「人となり」というものは本来、ある程度の時間を共に過ごすか、その人がつくるものや話すことなどを通じて徐々に理解されていくはずのものなのだろう。そもそも人は変わりゆく存在、わたしだってわたしがどんな人なのかを、四六時中パーフェクトに把握できているわけじゃない。だからこそ、長いあいだパーソナル・ジンをつくり続けているんだと思うけれど。
今回は参加者のほとんどが友人の講座の受講者ということもあって、占星術の助けを借りることにした。それぞれ事前に自分の「太陽星座と月星座」を調べてもらい、それらがもたらす占星術的な意味などを考察しつつ、自分が思う「わたし像」についていろんな角度から語ってもらうことにしたのだ。それが短所であれ長所であれ、自らの特筆すべきポイントみたいなものについて誰かに伝えようとすると、うぬぼれや自虐になるんじゃないかと気後れしてしまうことがある。そんなとき、あえて「すべて星のせい」にしてみることで、語れることがある気がしていた。占星術と出会ったことで、わたしは自分のことをもっと大きな視点で、それこそ宇宙の目で見つめるやりかたを知ったのだと思う。それは自分の運命をただ受け入れるというよりも、「わたしに与えられたわたし」とこの先どう付き合っていけばよいのかという、大まかな見通しみたいなものをもらったような感覚だった。それにこれはきっと、自分自身にやさしくするという、わたしにとっての難題とも分かちがたく結びついている。ひとり5分弱という短い時間だったけれど、すべての人たちの「わたし」の話を聞くことができた。みんな自分のことを知りたいし、みんなにも知ってほしいんだという切実な思いが伝わってきて、何度も胸が熱くなった。みんなで輪になり、自分について自分の言葉で語り、他者の話にじっと耳を傾けること。そのあとでひとり静かに自分のことを書き綴り、他者の言葉をゆっくり読んでみること。そのちがいと、それぞれがもたらしてくれる感覚について、体験してみたい・してほしいという思惑もあった。わたしはあなたのことを知りたいし、あなたにもわたしを知ってほしい。たぶんわたしたちにはそういう時間が、いつもほんとうに足りなさすぎる。
ワークショップは2日間で2回行った。イベント全体のあたたかい雰囲気も手伝って、ぜんぶで20名ほどの参加者ひとりひとりの語りを、この先一生忘れない、と思えるくらいに親密な時間を過ごしたと思った。みんなもそんなことを言ってくれたし、まわりで見ていた人も同じような感想を伝えてくれた。だからわたしは少し浮かれた。あれ、わたしってもしかしてファシリテーションの才能があるのかな? これまでひっそりひとりで書くことしか芸がないと思っていたけど、じつは人の前に立つことが天職だったりして。ここで占星術を持ち出すと、わたしは太陽だけじゃなく水星も土星も冥王星も蠍座でしかも4ハウス、その他ほとんどの天体もチャートの下半分にあるザ・内向きタイプの人間である。暗い沼の底、カーテンを引いた自室のデスクこそが居場所だと思って生きてきた。関心はいつも自分だけに向けられていて、だから自己紹介に終始するジンばかりつくっている。それでもいまはさわやかな風の時代、唯一わずかに地上に顔を出す水瓶座の月が輝きはじめている……? そんな考えに夢中になりながら、わたしは終了後も参加者たちと代わるがわる立ち話を楽しんでいた。会場はいかにも水瓶座らしい、分け隔てのない社交的な空気に満ちていた。数日前からの緊張が解け、からだが急にゆるんでいくのがわかった。そんなときわたしはオーバーリアクションになる。誰かがわたしに何かを言って、わたしは大げさに笑いながら相槌を打った。そのはずみで腕が揺れた、背後の棚にぶつかった、棚の上には店の什器が置かれていて、陶器でできたそのトルソーは落ちてこなごなに砕け散った。
やっちゃった、と思った瞬間にはいつも時間が止まったようになる。
*
横断歩道の前方から、飲み会帰りだろう陽気な3人の女性たちが歩いてくる。腕を組んでぎゅうぎゅうにくっつきながら、そろって軽快な足取りで。いいな、わたしは今夜もとてもひとり。今夜もおとといも10年前も100年前も。そんなことを全身で感じながら、スーツケースよりも重たい足を引きずって歩く。そうだ、あのトルソーが割れたのも何かのしるしなのかもしれないな。ちょっと人といい時間を過ごしたからって、調子に乗るんじゃないぞというメッセージ。みんなも親密に感じてくれたなんて、わたしはどうして思ったんだろう。なかには居心地わるく感じた人だっていたかもしれないのに。いざ自分が輪の中心にいると、見えなくなることがある。「みんな」という言葉を使うことのこわさを、ずっと感じて生きてきたはずなのに――。あのあと、トルソーがこなごなになったあと、周りにいた人たちは誰もわたしを咎めなかった。ちりとりとほうきでさっと破片を片づけて、「気にしない気にしない!」と励ましてさえくれた。それでもこれまであったはずの親密で開放的な空気はどこかへ消え去ってしまった。あとに残っているのは、イベント終了後のかすかな疲労感だけ。それともそう感じたのは、泣きそうになるのをこらえるために自分を真空パックしていたせい?
あと少し、あと少しで家につくから思い切り泣ける、と思いながら早足で歩道を渡る。小学生のころも中学生のころも、高校、大学に入ってからも、こんなことを思いながら坂道を駆け上がり、畑を横切り、自分の部屋を目指していたことを思い出す。2日後に、わたしは39歳になろうとしていた。「失敗の歴史」というものがあるのなら、わたしのそれは年表にするのではとても足りない、わたしは毎日のように失敗を数えながら生きているような子どもだった。たとえば: 全校でひとりだけ自転車に乗れない・鉄棒を逆上がれない、跳び箱を跳ぼうとして激突する、側転がただのカエル飛びになる、クラス対抗大縄跳びに引っかかる、秘密だらけの交換日記を廊下に落とす、先生が自宅にタクシーで迎えにくる、遠足のバスで一緒に座る相手が見つからない、山登りで喘息になり先生におぶわれて下山する、etc…… 身体的などんくささと集団行動のしんどさ、いまとなっては笑い話にもできそうなのに、あのころのわたしには大事件だったすべてのこと。「失敗は成功のもと」ということわざが真理になるのは、失敗を克服できた場合だけなんだろう、でもわたしは「失敗しちゃった!」と思った瞬間、いつもそこから逃げ出していた。失敗したとき、からだはぎゅっと硬くなる。そして硬いからだは時を止める。教室で、廊下で、校庭で、わたしは何回時を止めてきただろう。先生も生徒たちもマネキンみたいにピタッと止まって動かない。わたしはそのあいだをそっとすり抜け、静かにそこから離れていく。怒られる前に、がっかりされる前に、つめたい目でこちらを見られる前に、わたしはみんなの前から姿を消す。わたしはとてもひとり。
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「でも失敗しちゃってもさ、どうせこの瞬間はいつか終わるじゃん。つらいことがあってもさ、未来の自分はもうそこにはいない」と松樹が言う。じゃあ、あなたも逃げてきたのね! と前のめりに共感を求めると、それはちがうと首を振る。「つらい思いをしてる自分はちゃんとここにいるんだよ、その時間はずっと続いてる。でも続いてるから未来がくるんじゃない? 時間はちゃんと流れていく。いまここで自分が失敗しちゃっても、それをすでに終えた自分がこの先にいる。それを俺は知っている。知ってるってことが、小さな救いになったりする。それだけのことだよ」
失敗するたび、松樹は何度もこうやって説明してくれる。第一回のエッセイの夢に出てきた「たいていのことは失敗しちゃうものなんだよ」というセリフは実際に彼が口にしたことだった。たとえばこうした考えかたが未来を垣間見せてくれるタイムマシーンなのだとしたら、わたしのそれはいつもわたしを過去にばかり連れていく。そうだよね、わかった! と同じマシンに乗り込みながらも、毎回反対方向に突き進む。逃げ出したと思っていたそれらの時間は、すべてぎゅっと冷凍保存されたまま、わたしのなかに残り続けていたのだ。失敗した思い出、つらかった記憶、はずかしい感情、あのときは抜け出すことができたとしても、それらはかちかちに固まって、鮮度をうしなわないままここにある。問題なのはきっと、トルソーが割れたことじゃない、わたしは無意識のうちに、終えていない過去の記憶といまのわたしを光速で結びつけている。失敗の歴史、その膨大なデータへのアクセスを止めるにはどうしたらいい? かちかちの記憶を溶かして先に進むには?
*
ビルの隙間から突風が吹く。3人は楽しそうに風に逆らいぐんぐん突き進んでいく。SATCのキャリーたちみたいに。すれ違いながら、ふと、わたしは彼女たちにすべてをぶちまけてしまいたいような衝動を感じた。そしてマッカラーズの『結婚式のメンバー』の主人公、フランキーのことを思い出した。12歳のフランキーは、物憂い夏の日々を行き場なく過ごしている。急激に成長し続けるからだを持て余し、「わたしがわたし以外の人間であればいいのにな」なんて思いながら。そこへ兄がパートナーをつれて結婚式の報告にやってくる。彼女はふたりに魅了され、「わたしにとってのわたしたち」という考えにとりつかれるようになる。そうしてフランキーは街にくり出し、そのアイディアについて、自分が何かのメンバーになるということについて、見知らぬ人たちにしゃべって回りはじめるのだ。
「本当に切実な思いの訪れを伝えようとするとき、自分の家の台所にいる人たちを相手にするよりは、まったくの他人を相手にした方が遥かに楽なのだなと、ベレニスのことを思い出しながら彼女は思った」
そうするうちにフランキーは気づく。まったく知らない人たちなのに、視線を交わすだけで生まれる不思議な「コネクション」があることに。自分の話を聞いてもらったとき、それだけで相手のことを「心から好きになれる」ということに。そして、ほんとうの自分を知ってほしいという欲求が、それそのままで受け入れられるという奇跡がこの世にちゃんとあることに。たぶんフランキーがほんとうに求めていたのは、「世界中のすべての人」のメンバーになることだった。そしてその願いがついえたとき、彼女はひとつ大人に近づく。わたしはフランキーよりもよっぽど大人で、それでもいますぐ彼女たちに聞いてほしかった。準備のときからずっと緊張していたこと、そのあいだじゅう自分の資格みたいなものを疑ってばかりいたこと、それでもどうにかいい時間をつくることができたと思っていたことを。そのあとトルソーが割れたこと、でもそれがほんとうの問題じゃないこと、小さい頃からずっと緊張しながら生きてきたこと、「はずかしい」という感情の強烈さとそれが新鮮に残り続けること、わたしがわたしであることが嫌で仕方がなかったこと、それでも少しずつ何かが変わりはじめている予感があること、いまでもジンをつくっているときには、うれしくてたまらなくて泣きたい気持ちになること、もうすぐ39歳になること、そしてほんとうはもっと人と一緒にいたいということを――。わたしは彼女たちのメンバーになりたかった。これまでのことをぜんぶ話して、「そんなのあるあるだよ!!」とひとつひとつ笑い飛ばしてほしかった。「やっちゃったって思うよね、逃げたくなったりさ、ちっちゃなことでもはずかしくてさ、大人なのに馬鹿みたいにわんわん泣きたくなるわけだよね、わかるよ」と彼女たちは口々に言う。「でもさ、しょうがないよ、失敗してもさ、めちゃくちゃはずかしくてもさ、生きてるとそういうことがあるんだよ、わたしだってしょっちゅうだよ。でもみんながみんな、それを言葉にできるわけじゃない。忙しかったり、相手がいなかったり、いろいろさ。それでもきっとみんなそうなんだよ、生きてるとさ、失敗しちゃうものなんだよ」。そして彼女たちは教えてくれる、お詫びに送ったらいいおいしいお茶の銘柄を、伝えるべき真摯な謝罪を、ちゃんと時間を進めるために、いまのわたしができるすべてのことを。「それにさ、大人になるってのも、たぶんそんなに悪いもんじゃないよ――」
そのとき、背後から叫び声が聞こえた。
「ちょっとー、おねえさん!! そのまんまゆず、落ちましたよ!」
ハッとふりかえると、すでに背後にいた彼女たちがわたしを見ながら横断歩道を指差している。その先には黄色いパッケージのお菓子が落ちている。それは無造作に買い物カゴに入れていった商品のなかで、唯一わたしが大好きでリピートしているものだった。そのまんまゆず。わたしは一瞬ためらい、それからあわてて歩道に戻り、信号が赤になる前にそれを拾い上げた。彼女たちはその様子を見てうんうんとうなずき、それからまたぎゅっとくっついて駅に向かって歩きはじめた。わたしは3人に手を振ると、ふたたび家路を急いだ。目に涙をいっぱいにためながら。
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プロフィール

文章と翻訳。2010年よりパーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたzineを定期的に発行、言葉の可能性をひらく作品制作や展示も行う。著書に『愛を、まぬがれることはどうやらできないみたいだ』、『内側の内側は外側(わたしたちはどこへだって行ける)』、訳書に『人種差別をしない・させないための20のレッスン』(DU BOOKS)などがある。現在はルドルフ・シュタイナーの人智学をベースに、心とからだと言葉を結びつけるための修行をあれこれ実践中。