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2023.10.09更新

だめをだいじょぶにしていく日々だよ

きくちゆみこ

この連載では、まるでそれがほとんど神さまか何かみたいに、愛し、頼り、信じ、救われ、時に疑い、打ちのめされながら、いつも言葉と一緒に生きてきたわたしの、なにかとさわがしい心の記録を残していけたらと思っている。「言葉とわたし」がどんなふうに変化してきたのか、もしくは変化していくのかの考察を。たとえばそれは、「だめ」が「だいじょうぶ」に移り変わるまでの道のりでもある。毎月2回、のんびりおつきあいいただけたらうれしいです。


第12回「壁の花ではなかった」

お彼岸を迎え、秋の訪れとともに一年ぶりに喘息の気配を感じている。もう発作が起きることはほとんどないけれど、それでも台風が近づく低気圧の夜には喉の奥にヒューヒューと喘息患者特有の呼吸音がして、ああ、またこの季節がきたんだなと思う。

子どものころ、喘息の夜はソファに座って眠った。横たわるどころか何かにもたれるだけでも苦しいので、クッションをお腹に抱えて丸くなって眠った。ばりばりにこわばった背中で、アルマジロみたいに。母がいつも隣にいて、時おりその甲羅みたいな背中を撫でてくれる。そうする母は、たぶんわたし以上につらかったはずだ。仕事もあったし、早起きして朝ごはんを作らなくちゃいけないし。
でもそれ以上に、目の前にいる人の苦しみが、他者の痛みが、自分のそれよりもつらいなんてことがあることを、わたしはオンと暮らすようになってはじめて知った。それはわたしがあなたではない、あなたの生には関与できないというあきらめと、でもほんとうにそうなのかな? という子どもっぽい疑念との終わらない綱引きみたいなしんどさでもある。

いま、喘息はひさしぶりに会った友人みたいにわたしを外側からノックする。でも子どものころ、喘息はわたしの内側にいて、わたしたちは共存関係を結んでいた。わたしが走れば喘息が起きた。はしゃいでバカ笑いをすれば喘息が起きた。猫のいる中華料理屋に行けば、まくら投げをすれば、湿った冷気をただ吸い込めば。
わたしの行動と喘息はそのようにいつも連動していて、だからむしろ、喘息が起きることをいつも心待ちにしていたところがあった。喘息と喘息のあいまの時間、何も起きていない時間には「いつくるか、いつくるか」と待ち構えてどこか落ち着かない。でもいったん気管支がヒューと鳴りはじめれば、やっぱりね、と安心して苦しさに身を任せることができる。これでようやく走らずにすむ、これであらゆる活動を休止することができる。あとは吸入器をくわえて薬を飲んで、アルマジロみたいにしばらく丸まっていればいい。

それはたぶん、子ども時代に身についたライフハックのようなものだった。予期さえしていれば、すべてのことに落胆せずにすむ。喘息はたいてい、激しく活動しがちなソーシャルな場面で起きる。起きることがわかっていれば、自分が輪から抜けることも想定内だしがっかりしない、傷つかない。

喘息がおさまるのを待ちながら、わたしはみんなのことを眺めている。背中を丸めて、輪の外で。“Wallflower(壁の花)”という言葉を知ったとき、自分のことを花にたとえる気恥ずかしさを忘れてわたしのことだと思った、そうしたセルフイメージが、のちの人間関係にも影響を与えていたかもしれない。

*

かつて好きだった女の子のことを、かつて好きだったと、こうして堂々と書けるようになるずっと前のこと。わたしたちはまだ十代で、リボンやネクタイといったささやかなオプションもない、シャツとスカートだけのつまらない制服を身につけて、放課後の時間だけを楽しみに毎日を過ごしていた。ふたりとも帰宅部で、彼女のアルバイトがない日には、たいていいつも本屋に寄った。本屋でなければCDショップに、お金と時間があるなら映画館に。「デリバリーの寿司屋で馬車馬みたいにひたすらカッパ巻きを巻いてるわけ、欲しいものがいっぱいあるんだもん」と彼女は言っていた。

そう、あのときのわたしたちには欲しいものがたくさんあって、どうしても手に入れなきゃいけなくて、でもそれはきっと分かち合いたい相手がいたからだった。スマートフォンもサブスクリプションもない時代、わたしたちはそれらを物理的にシェアすることでつながっていた。同じ本を読み、好きな音楽を交換し(ミックステープならぬミックスMDとケーブルテレビで撮りためたMVクリップ集)、4本千円のレンタルビデオでスクールバッグをぱんぱんにして。

あのころ、彼女が好きだったものならわたしが一番知っていると思っていた。レディオヘッド、AIR、ケヴィン・スミスの映画、GRAPEVINEのボーカルに似たバイト先の先輩、ユアン・マクレガー、カラオケで歌う椎名林檎の「罪と罰」。タワレコ7階で仕入れた海外の音楽雑誌を机の上に広げながら彼女が言う、「なんてかわいいの、このトム・ヨーク、カットソーの袖が長過ぎて手が隠れてる!」
わたしは江國香織の描くロマンティックで絶望的な主人公にあこがれていて、彼女は吉本ばななの小説に出てくる人たちみたいに奔放でドライでどこか達観したところがあったけれど、ふたりとも山本文緒の作品に染み渡る、闇の部分にひそかに惹かれていた。

でもわたしは、彼女のことをほんとうにはわかっていなかった。家出した歳の離れたお姉ちゃんとはどんな関係で、幼なじみの恋人とふだん何をして過ごしていたのか。バイト先の「ワルい女友達」とはどんな話で盛り上がっていたのか。学校以外の場所で彼女がどんなふうに生きていたのか、わたしは何も知らなかった。彼女にしても、たぶん同じだっただろう。わたしの心中にあるドラマティックなできごとは、ほとんどが彼女にまつわるものだったとしても。

あなたは、わたしは、どんな大人になって、何の仕事をして、どんなふうに歳を重ねていくの? 2023年のいま、あなたは何を考えて生きているの? それはあまりにも遠い未来で、想像してみることすら思いつかなかった。
わたしたちは高校の三年間を一緒に過ごし、卒業後はそれぞれ別の大学に入学して、いつのまにか会わなくなった。ガラケーからスマートフォンになり、連絡先もうしなった。あんなに何枚ものルーズリーフを費やして手紙を書き、パフェを分け合い、まだ苦手だったコーヒー片手に長いあいだ語り合ったのに、残っているのはばらばらに散らばった断片だけ。

わからないまま、それでも一緒にいられるということが、どれだけ贅沢なことであるのかに気づくには、まだまだ時間が必要だった。

*

当時、書店の文学コーナーには、角川書店がアーティスト・ハウスと一緒につくっていた「BOOK PLUS」という海外小説シリーズがずらりと並んでいた。ペーパーバックみたいなポップな装丁と物理的な軽さ、田舎の高校生には新鮮だったヨーロッパやアメリカの若者たちのひりひりとした、時に吐き気を催すような物語群。それらにすっかりはまったわたしたちは、分担を決めてぜんぶ揃えようと意気込んでいた。
なかでもわたしが好きだったのは、スティーブン・チョボスキーの『ウォールフラワー』。のちに著者本人が映画化しているから、知っている人も多いと思う。「セルフエスティーム(自尊心)」という言葉を知ったのも、zineという存在と出会ったのも、この小説を通じてだった。もう二十年以上も前、主人公のチャーリーと同じ年だったわたしはこの小説を何度も何度も読んだ。電車のなかで、教室の隅で、バスタブにつかって。

一度、読みながら感極まりすぎてお湯のなかに落としたことがあった。トンネルのなか、ピックアップトラックの荷台に立ったチャーリーが “I feel infinite.(無限を感じる)” と口にするシーン。カーステレオからは、小説ではフリート・ウッドマックの「Landslide」、映画版ではデヴィッド・ボウイの「Heroes」が流れている。運転席には最高にクールな友人パトリックと、助手席にはずっと片想いをしていた年上の女の子のサム、顔に風を受けながら、チャーリーは「ここに立っているのは、まぎれもなくぼく自身なんだ、ぼくはちゃんと存在しているんだ」とはっきり気づく――。
胸がつまって、しばらく拾えなかった。だからあの本はくねくねと波打ったまま、いまではすかすかになった実家の本棚にぽつんと立っている。

若かったころに大切だったものは、いまも同じくらい大切だろうか。時を経るごとに大切なものは増えつづける、大切に思った記憶はいまもある。でもそれがあのころと同じ気持ちのまま、ここに残りつづけているかというと、それはよくわからない。大切なもの、大切な人。
大人になって、恋人ができて、結婚して、それから子どもが生まれて、家族になって。そのひとつひとつのカテゴリーが持つ意味を、個人的にも政治的にも自分なりに考えつづけてなんとなくの答えは見つけつつあるけれど。その一方で、「友だち」と名付けられた関係が何を意味するのか、口にするたびに定義することから逃げつづけ、いまも途方に暮れている。

家族とはちがう、恋人とはちがう、パートナーともやっぱりちがうんだろう。そうした排他的な関係は、わたしにとってはある種の戦場で、わたしはそこでは100か0か、白か黒か、そうしたどこか破壊的なコミットメントを持ってしか向き合うことができない、だからこそ存在を許されているような感覚があった。ぜんぶ教えるからぜんぶ教えて! そういう極端さでぶつかり合うことで、一緒にいられる安心を手に入れていた。
でも「友だち」はちがう、友情は破壊できない、だって破壊したらそれが終わりだから。友だちとは壊してはいけないもの、壊すくらい近づいてはいけない相手、すべてを見せ合うこともできないまま、触れることすらかなわずでもそばにいる。本質的に、それは距離があるから成り立つ関係で、あらかじめ離れているから離れなくてもよくて、だからこそ終わりを見つめなくてもすむ。

でも時が経ち、その距離が無限に引き伸ばされて、あなたのことがもうよく見えなくなったとき。それでもわたしは、あなたのことを友だちと呼ぶことはできるのかな?

*

BOOK PLUS版『ウォールフラワー』の表紙には、全米ヤングアダルト部門で1位を獲得したという宣伝とともに、「青春の痛み」というコピーが書かれたシールがでかでかと貼り付けられている。青春、という言葉を読んでいま、少しうしろめたく思うのは、わたしがまだそのなかにいるからなんだろうか。四十歳を間近に控えてなお、「友だち」と名付けられた関係を前によろめきそうになるのは、わたしがいまもそれを希求しているからなのか。サンタクロースのようにミラクルで、それ以上にずっとナイーヴな信仰。
わたしはもうすぐチャーリーの父親と同じ年齢になる。

あの教室のなかで、わたしたちはチャーリーと同じように「トモダチ」に向けて毎日手紙を書きつづけていた。そうした手紙はブログやSNSのように公に発信するものではなく、いつでもたったひとりの人に向けられたものだった。それらは他の誰にも読まれないよう、折り紙みたいにしっかりと折り畳まれていた。返事は必ず来た、早いときには次の休み時間に、遅くとも翌日の朝までには。
ルーズリーフにぎっしり書き込まれた誰かの言葉を、わたしのためだけに書かれた手紙を、毎日のように読んでいた日々があったことが、きっといまのわたしの一部をつくっている。すべてのことはわからない、でもただその人の人生の断片に触れられる経験が。

三十歳になったばかりの冬、『ウォールフラワー』の映画版が公開された。劇場を出ると風がびゅうびゅう吹いていたのを覚えている。やがて雨が降りはじめ、逃げるように駆け込んだ日比谷のスターバックスで、一気に書いた文章をTumblrにアップした。かつて好きだった女の子との物語を。
年が明けて数週間後、彼女から一通のメールが届いた。「私は、どこかへ行ってしまったわけではないのです」と彼女は書いていた。「何日か前、偶然あなたのブログを見つけました。たった一行分読むだけで、わたしはあなたのことをありありと描くことができた」と。

「恋人にそれを読んでもらった。わたしは彼女に連絡をするべきなのかしら、と聞いてみた。『きみへのラブレターみたいだ』と彼は言った。そしてわたしは急にあなたのことが恋しくなった――」

それはルーズリーフでも手書きでもなく、iPhoneの小さな画面でスクロールされる長いメールだった。サンタクロースのようにミラクルで、それ以上にずっとナイーヴな――。
読み終わってすぐ、たまらずに「会いたい!」と誘ったわたしの返信に、それでも彼女はなかなか答えなかった。

「でもこの肌荒れが治ってからがいいなあ、なぜか初恋の人に会うような気持ちでいる笑」

それからまた十年経って、わたしたちはいまだに一度も会えずにいる。

*

映画版『ウォールフラワー』で、チャーリーはサムにいつか作家になりたいと打ち明ける。「でも何を書いたらいいのかわからない」とつぶやくチャーリーに、彼女はこう言うのだ。“You can write about us. (わたしたちのことを書いてよ)”  と。「わたしのことを」と書かれていた小説版とはちがう。わたしのことではなく、「わたしたち」のことを。

“You see things. You keep quiet about them. And you understand. You’re a wallflower. (きみは周りを観察する。言いふらしたりはしない。ただすべてを理解しているんだ。きみは壁の花だ)”

でも思い返してみれば、わたしは壁の花ではなかったのだ。わたしはチャーリーのように正直でも慎重でもなく、深い傷もなく、作家を目指すことも早々にあきらめ、男の子でもなかった。
それでもチャーリーにとってのサムみたいに、クールでかしこくてどこかさびしそうだった、かつて恋をしていた女の子のことをあれから何度も書いている。限られた彼女の断片をかきあつめながら。

それだけじゃない、あのころ、わたしの周りには彼女以外にもたくさんの人たちがいた。わたしはいつのまにか壁から離れて、たくさんの人に話しかけるようになっていた。一緒に「放送部あらし」をして、放送室から勝手に好きな音楽をかけまくった仲間も、大晦日のたびに「うちで『200本のたばこ』を観ながら年越ししようよ」と誘ってくれる地元の友人もいた。「サウスパーク」の新エピソードで盛り上がった男の子も、駅前のモスバーガーでわたしに「つきあってほしい」と言ってくれた人も。
断ったわたしに、彼は「もうこれ食えねえよ」と涙目で笑いながら山盛りのフライドポテトを差し出した。

高校最後のクリスマス、彼女と一緒にクラスの子たちに呼びかけて、みんなで「シークレット・サンタ」をやった。それはわたしが人生ではじめて主催したパーティだった。『ウォールフラワー』に出てくるプレゼント交換ゲームで、それぞれくじ引きで引いた相手のサンタになり、その人の好きなものを想像してクリスマスにプレゼントを贈り合うというもの。
あのときわたしは誰のサンタになって、誰がわたしに贈りものをくれたのか、一生覚えていようと思ったはずなのにけっきょくは忘れている。

きっとわたしは、わたしというものは、こんなふうに出会ったすべての人たちとの関係とともにつくられているんだろう。恋するわたしも楽しいわたしも、意地悪なわたしも怒れるわたしも。親になったわたしもそう、親じゃなかったわたしもそう。過ごした時間が何十年でも、もしくはただの通りすがりでも、すでに忘れてしまっても、とにかく出会った人のぶんだけ、わたしがいる。

あのころ、わたしが彼女のことを、彼女がわたしのことを、ちゃんとわかっていなかったと感じるのは、わたしたちがまだ道の途中にいたからだ。「わたし」ははじめから完成されてはいない、それは生きていくなかで常につくり続けられていくもの。だから誰かに自分の「すべて」を見せることなんて、そもそもできるものじゃなかったのだ。家族でも恋人でも、友だちでも誰でも。
わたしたちはいつも何かの途中にいて、そこで出会ってはそれぞれの断片を手渡すことしかできない。でもそうしてもらったあなたの欠片が、いまもわたしのなかにある。あなたの心のなかにも、きっとわたしの欠片が。

わたしたちはそうして手に入れた欠片や断片をつなぎ合わせながら、関係性という網目を少しずつ編み上げている。すべてはわからないまま、それでも相手がそこにいることを認め合いながら。それは転んでも落っこちても、失敗してもだめになっても、きっと受け止めてもらえると思えるような、「安全ネット」のようなもの。
たとえすき間だらけでも、見えないほど遠くに離れていても、わたしたちはこの網目の世界でつながっている。「だいじょうぶ」と思えるのは、わたしが、わたしたちが、こうしたささやかなネットを互いに張りめぐらせてきたからだ。書くことで、語ることで。だめをだいじょぶにするために。

*

メールのなかで彼女は書いていた、「田舎の町で、ビデオや雑誌や映画や音楽や小説のおかげで救われたと、あのころよく思っていた。それらがなければ、きっと不良になっていた。あなたの表現は、きっとどこかで誰かを揺さぶっているし、誰かを救うことになる」、あなたはわたしのヒーロー、どうか書きつづけていてね――。

わたしのことを、わたしたちのことを。それがまだあるから、断片でも欠片でも、ここにまだあるから。うしなうことよりも、うしなったことに悲しみを覚えることよりも、まだここにある、ということが、時々わたしたちの胸をつよく刺す。思い出とか青春とか、若かった日々とか、だめだった過去とか。でもだいじょうぶ、だっていまも、いくつもの「わたしたち」がわたしに訴えてくるのだ。いまを生きるために、ともに未来をつくるために。
“You can write about us.” あなたには書くことができるよ、と。

 

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