twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第2回 『とん蝶』
久々に大阪に行った。仕事をして1泊した帰り、新大阪駅は人が多かった。551は長蛇の列でカフェやフードコートも満席、通路の隅に巨大なスーツケースやバックパックを従えた人々が立ったり座ったりもたれたりしながらなにかを待っている。お土産売り場も混んでいる。迷って選んだお菓子類をカゴに入れレジに並ぶ。レジが何台もあるのに会計待ちの列が長い。じりじり進んでいるとレジ少し手前のつまり結構いい位置に上の方がきゅっと縛ってある細長い三角形のものが積んであるのが見えた。竹皮模様の包み、その上に載せてあるラベルというか薄緑色の紙に『登録商標 ふる里の味 とん蝶』と書いてある。途端に脳がぴりぴり震えた。とん蝶!とん蝶だ!なにかで大阪名物とん蝶というものがあるというような記事を読んで、おいしそうだな食べたいなと思って、でもその記事自体をちゃんと取っておいたとかでもなくいまのいままで忘れていてそれが現物を見た途端にぐわっと勢いよく開花して、これはとん蝶、私が探していたもの!とん蝶は確かおこわだ。それもほかにはあまりない感じのおこわなのだ。なにがどうほかにない感じなのかは覚えていない、レジ列がぐぐっと進んだ。私はとん蝶を1つ手に取ってそれに続いた。大きさの割に重たくしかし軽く、内側に柔らかく湿ったものがぎっしり入っている感触がする。
新幹線に乗って、窓際、とん蝶を取り出した。『生ものですので、消費期限内にお召上り下さい。※小梅が入っています。種に御注意下さい。※包み紙のまま電子レンジには入れないで下さい。』竹皮柄の包装は裏が銀紙になっていてめくるとフィルムやラップ的なものはなくいきなりお米、大豆入りで、茶色いものがまばらにまぶしてある。お米自体は真っ白い。先端を齧るともちもちしてカツオと昆布の香り、まぶされているのは刻んだカツオ昆布のようだ。細長い二等辺三角形の下の方に丸い小梅が2つ並んでまるで赤い小さな蝶々が休んでいるかのような、周囲のお米にもちょっとだけ赤が滲んで全体がねっちりしてお米と昆布と大豆と小梅それぞれの塩気が少しずつ違う濃さで齧っていて飽きなくてとてもおいしい。これを自分好みと直感した過去の自分とそれを思い出せたさっきの自分はえらかった。
その後、大阪に長く住んでいた人と会う機会があった。あの、こないだ新大阪駅でとん蝶を見つけて初めて食べましたおいしくてうれしかったですと話すと訝しげな顔で「とん……ちょう?」えっ、いや、大阪名物だと思うんですけど、あの、白いおこわみたいな、大豆と小梅が入って……「大豆と小梅?どういう字?」字、ひらがなのとん、に蝶々……とん蝶って名物じゃないのか、日々新しい商品が生まれているから地元のお土産に知らないものがあったって当然だがあんなに伝統然とした見た目と味だったのに……いやほんとおいしかったんですよ、次行ったらいっぱい買って帰りたいくらい、日持ちしないみたいなんですけど、「しょっぱい系?」あ、はい、おこわ、甘いのではないです。「へー、私も今度行ったら探してみるわー」いやー、ぜひ、ぜひ……その後東京の出版社の人にとん蝶のことを話すとうちは夫婦で大好きで大阪出張の度に買いこんで冷凍してますよと興奮気味に返ってきて、それでこそ名物土産なのかもしれない、とん蝶。
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プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。