twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第4回「歩き話し」
歯医者の予約に歩いていたら前方に小柄なおばあさんがおり追い越す間合いになった。狭い歩道で、追い越す場合はいまからあなたを抜きますよという圧を出しつつ速度を上げ気味にする感じになる。そうしようとして、まさにいまおばあさんと並ぶ、という瞬間におばあさんがくるりとこちらを見て「見て、桜の木」道の脇に花が散って葉が茂りつつある桜があった。アッはい。「もうちいちゃい実が、なりよる」見れば葉っぱの中に緑色の実が見える。そうですね。「ね、サクランボ」この木のさくらんぼは食べられる。去年初夏この同じ場所で突然立ち止まった知らないおじいさんにホラさくらんぼなってるからもいで食べなさい誰のものでもないんだから鳥が全部食べちゃう前にホラと促された。「えらいねえ、木は、ちゃんと順番をわかって、寒いうちから準備して芽つけて花つけて実をつけて、しよる」おばあさんの目は黒くキラキラしている。マスクは白い。手に赤い椿の柄の巾着を下げてシュッシュと振っている。そうですね、と答えつつ半歩おばあさんの前に出た。「木はえらい、自然はえらい」やーほんとそうですね。会話が成立しつつあるのにこのまま抜き去るのは感じ悪いだろうか、しかし私はすごく急いでいるわけではないがのんびりおしゃべりしつつ歩くと予約に遅れないかハラハラしそうだしそれを説明するのも、といって失礼しますとか挨拶するのも変だし、大体知らない人と並んで歩いて話すこと自体ちょっと屈託がなくもない、私は無意味にマスクの中で笑顔を作りながら速足を保った。斜め後ろから「自然はえらいのに人間はばかじゃねえ。いらんことばっかりしてから」ええ、ええ。ほんとに、ほんとに。おばあさんが人間のどういう行動をいらんことと言っているのかはわからないが実際そうだろう、自然破壊、戦争、地球に意思があれば人類滅びろと日々念じていると思う。滅び方によってはもうすごくうっとうしいことになりそうだから人類発生前にどうにかしときゃよかったとか。多分おばあさんと少し距離が開いた。足音と巾着のシュッシュッの気配が遠ざかっている気がする。「ほいじゃねえ!」はっと振り返ると意外とまだ近いところにいたおばあさんが私に手を振った。私は会釈しつつ必要以上に急いで足を動かした。
私はよくお年寄りに話しかけられる。先日も中央図書館を出たところですいませんと呼び止められ「映像文化ライブラリーはどこでしょう?」広島市映像文化ライブラリーは中央図書館に併設の施設なのでどこでしょうもなにもここなのだが確かに入り口がわかりにくい。あ、そこから入れますよ。「ああそうなのね、初めてなんですよここでお友達と映画のお約束しててね。上映会があるんですって」そうなんですね、いいですね。「間に合わないかと思ってハラハラしちゃって! ありがと!」いえいえ。あの人は無事お友達と会っただろうか、なにを観たのだろう。ふわっとなにかが足首に当たって見ると靴紐がほどけている。立ち止まって道の隅で結び直していると足音が「また会うたね!」さっきのおばあさんが赤い巾着をしゅっしゅと前後に降りながら颯爽と私を抜かして行った。また追い越すのもなと思ってしばらく背中を見送った。別に並んでおしゃべりして歩いたってよかったのだ。人間はほんまにいらんことばっかりして、ばかじゃ。ばかじゃねえ。おばあさんは鼻歌でも歌っているのか体を左右にゆすっている。
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プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。