twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第7回「休日のパーク 2」
芝生広場で犬と少年を見送りトイレに行った。女子トイレは和式2、洋式1、和式で用を足して出ると待っていた人が入れ違いに入り共有部分に私だけとなり個室は満室、手を洗っていると鏡におじいさんが映った。ハッと振り返るとおじいさんは個室前をうろうろしている。認知症とかかもしれないし男子トイレのつもりなのかも、私はすいませんここは女子トイレですよと言った。おじいさんはこちらを見たように見えたがなにも言わずに首を伸ばしたり引っこめたりした。耳が遠い、聞こえない、もしくは話せないのかも、犯罪を犯そうとしている人には見えないが見た目で判断していては防犯にならない。私は少し大きめの声にして、なにかお困りですか。おじいさんはこちらを見て無言で視線を戻し太い眉を上下に動かした、聞こえてはいる。どうしたものかと思いつつトイレの外に半身を出した。認知症的なことなら近くに家族とかいるのではと思ったのだ。そこには5、60代に見える女性たちが肩を寄せ合い期待をこめたような目で私を見た。ひとりが「あの、いま、おじいさんが」ええ中におられますお知り合いですか?「まさかあ」「まー怖い」「ねー怖い」女性らは顔を見合わせ頷いた。「ね、ね、変な人?」いやわかんないですけど。わかったら苦労しない、女子トイレと外界の中間に立って女性らとおじいさんを見る。誰も個室から出てこないし水音もなにもしない。「怖いわね」「ねー」「トイレ入れない」「ねー」いや怖いんならあなたたちも一緒になんかおじいさんに言ってくださいよ私だって怖いし個室の人だって怖かろう。私は再度おじいさんに向いて更に声を大きくしてあのう、ここは! と、トイレ前の小さいベンチに座っていたおばあさんが明るい声で「うちのトイレなん」と言った。え?「うちのトイレなん」え? おじいさんは突然こちらを向いて私にではなく女性らにでもなく誰に言うでもないような顔の角度で「ここは女子トイレじゃろうが!」と言った。薄笑いを浮かべていた。「うちのは和式にようかがまんのじゃ。それか、ばあさんは使うちゃいけんトイレなんか。ああ? ばあさん禁止のトイレなんかここは、ああ?」要はおじいさんは妻のため洋式の空きを確保したかったのだ、へーそうなんですかそれはお優しい、いやだったら私が女子トイレですよって言ったときそう言ってくれたらよくない? そしたらこっちだってそうなんですねとかじゃあ空いたらお呼びしますよとか、言えたことない? さっきまで入り口で怖がっていた女性らが口々に「でしたらあちらに多目的トイレありますよ」「お2人で入れましょう」「多目的広いから」「多目的だから」「じゃあそっちいこうか、おじいさん」「あちらですよ」「男子トイレの向こう!」「うふふ」「ふふ」おじいさんは女性らに傲岸に頷くと私には目もくれずおばあさんに手を貸しながら多目的トイレへ行った。女性らはあーよかったわーみたいな様子でぞろぞろ女子トイレに入った。私が憮然としているとポニーテールの女の子がトイレから出てきて走り去りながら一瞬私の目を見た、気がした。つやつやの頭頂部に薄紫のシュシュが透けていた。家族のところに帰ると「えらい長いトイレじゃね、混んでた?」いや違うんよ……泣きそうになるのと怒るのと笑い出すのとどれにしようか決めかねて、いまね、トイレでね、トイレがね……まだお昼前、泣き声も鳴き声も笑い声も聞こえるパークの休日は続く。
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プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。