twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第8回「川を上る」
4月半ばにアメリカの知人が新婚旅行の道中に広島に立ち寄ってくれた。2人とも広島は初めてではなく宮島も原爆資料館も行ったことがあるとのことで、今回は船に乗って街を見ることにした。せっかくなので夫と子供も一緒に来た。広島は中心部に複数の川が流れる街で、大きな川の分岐にある特徴的なT字の橋が原爆投下目標地点となった。そのそばの原爆ドーム前から船に乗る。船着場にはほかにたくさんの人がいたが彼らは宮島行きの便に乗るようだ。船が出るとデッキブラシ様のもので対岸を掃除していた男性らがこちらに笑顔で手を振った。サミットの準備ですかねと聞くと船頭さんが「多分そうでしょう、あと1か月くらいですしね」我々は一応手を振り返した。
屋根はあるが壁はない船で川を上る、風が心地よく水面から見る建設中のサッカースタジアム、ビル、橋をくぐり、民家、なぜか川原に自転車が1台真逆さまに立ててある。船頭さんが草木の茂る中洲を示し「鳥の楽園と呼ばれています」鷺など営巣しているそうだ。知人にバードパラダイスと言う。我々は英語が十分に話せない。向こうも日本語はほぼ話さない。お互い理解し合おうという努力によってなんとか成立するコミュニケーション、彼らはcoolなどと言い写真を撮る。いま鷺は見えないが川に鵜がいる。鵜は英語でなに、というか鷺もなに、調べるスマホを待たず鵜は水に潜り姿を消す。船頭さんが「あちらの土手は木が多くて水面まで垂れてジャングルみたいだったんですが……伐られてます」そうなんですか。「何十本……サミットでしょうね」え、この辺サミット通ります?「わかりませんが……こんなこと初めてです」スナイパー対策? なんと言っていいかわからないのでたくさん木が伐られたというようなことを英語で言う。彼らは悲しそうな顔をする。もしかしたら昔の話と思ったかもしれない。アッ。誰かが声をあげた。なにかが水に浮いている。茶色い毛が生え脚が長い。ほっそりした鹿が体を曲げて死んで浮いている、ディアー。彼らは頷いた。宮島のが流れてきたんですかね。「でしょうかね……」ディアーフロムミヤジマ、プロバブリー。広島の川は川というより細長い海だ。水は上流から流れるだけではなく干満に乗り海からも上ってくる。舐めたらどの地点から塩辛くなくなるのか。この流れに無数の人が落ち、飛びこみ、引き上げられあるいはそのまま流され、沈み、75年は草も生えないとも言われてでも春になったら芽吹いて、それを英語で私はよう言えない、が多分彼らが知らないわけでもない。船を降り日本庭園を観て美術館を観てうどんを食べ被爆建物である袋町小学校平和資料館を見学し熊野筆の店へ行ってかき氷専門店で複雑なかき氷を食べた。日本のかき氷はおいしい、大好きだと彼らは言った。アメリカのと全然違う。広島の次は屋久島へ行くという。ジョーモンスギを見る? そうしたい、でもそのためにはすごく歩かなきゃいけないみたい。
その少し後、地元紙に川沿いの被爆樹木をうっかり切ってしまったという記事があり夫と顔を見合わせた。サミット関連予算で木を切る作業中、爆心地から約2キロの被爆シダレヤナギまで切ってしまった、作業を発注した県の部署は被爆樹木だと認識していなかった、とのこと、それも3月に切られていたのが市民の通報でやっと発覚したという。この文章が世に出るころにはサミットは無事、終わっている予定だ。
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プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。