twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第9回「マーマレード」
甘夏とはっさくをたくさんもらった。去年も同じようにたくさんもらってマーマレードを煮た。とてもうまくできた。市販のより断然おいしいんじゃないの! というくらい、甘味酸味のバランス、皮の食感香りほどよい苦味、休日のトーストに塗って食べ、スコーンにこんもりのせ、醤油味のタレの隠し味に加えて堪能した。ジャムは嫌いだがマーマレードはおいしい、だから今年もマーマレードを煮たい、しかし私はいま仕事や家のことや心身の不調などがワッと塊状に重なって忙しない。たまにこういう時期がある。少し先に入念な準備が必要な仕事も控えている。私はなにかを同時進行でやるのが苦手で大した作業量でもないのにすぐ混乱してしまう。歩くと床の本が崩れ窓を開けると机上の紙類が飛んでいく。学校のプリント、メモ、要返送……
去年のマーマレードはものすごく時間がかかった。皮の内側の白い苦い部分を削り取ってから刻んで水にさらして茹でて水を換えてまた茹でて、果肉を薄皮から外してほぐして、種を集めて袋に入れて、その全てを鍋に入れて煮て砂糖も加えて焦げないようにかき混ぜつつアクをとってとろみがついたら種の袋を取り出し煮沸消毒した瓶に詰める、慣れなかったせいもあり、なかなかとろみがつかず火を強めたり弱めたりレモンを足したりして、楽しかったが掛け値なしの1日仕事だった。確か夕食まで遅れた。今年は2度目だからもっと手際良くやれるはず、でも、それにしたって1時間2時間で終わるとは思えないし焦ってやったら失敗しそう、マーマレードを煮る合間に仕事をやったらいいとは思うが焦がしたりしたら台無しだし、もらったときはハリと光沢があった甘夏とはっさくは徐々にその光を失い萎びつつあるように見える。ああいう大型柑橘は皮が乾いてしまってもカビてさえなければ中の果肉は結構無事で食べられたりする、そうなってしまえば心置きなく皮を捨てて中身だけ生で食べたらいいではないか、夏ミカンを食べるときちょっと重曹をつけると口の中で炭酸のように弾けて楽しいというのは金井美恵子さんのエッセイで読んで以来心躍る食べ方でそれは甘夏でもできる、でも、手間と時間をかけさえすれば最高においしくなる皮をみすみす捨ててしまってよいのですか……
実を言うと去年のマーマレードもまだ1瓶残っている。うちは平日パンを食べないしスコーンだってタレだって頻度はそんな高くない。だから、なんにしても、まずはこの1瓶使い切ってからじゃない? でもそんなのいよいよ甘夏とはっさくは萎びてしまう、願ったり叶ったりじゃないかそしたら皮捨てなよ、いやそんなこと私は願っていない、逆に言えばこのおいしいマーマレードはあと1瓶でなくなってしまってどれだけ探してもお金を払っても売っていない、うかうかしている間に鮮度が落ちて同じように作ってもおいしいマーマレードにならなくなってしまうかも、私は今夜徹夜してでも仕事先や家族に不義理してでもマーマレードを煮るべきなのかもしれない。どうしていいのかわからない。冷蔵庫を開けてちょうど1年前の日付ラベルを貼ったマーマレードの瓶を見るたび、もらったまま箱に入っている甘夏とはっさくを見るたび、ぐちゃぐちゃと納期や自分や家族の予定が書きこまれたカレンダーを見るたび、机でうたた寝して目覚めるたびもうどうにかなりそうにマーマーレードを煮たい。
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プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。