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twililight web magazine

2024.06.20更新

SETAGAYA MAGIC

世田谷ピンポンズ

twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・世田谷ピンポンズによる、センチメンタル連載小説!


第1回「すずらん通りの定食屋」

通りに面した二階建てのたった二部屋しかないアパートの左側、ぼろい木造の窓枠に腰掛けて、ぼーっと通りを見下ろしている。

終電の過ぎた後の茶沢通りは、タクシーがたまに走っていくほかはひっそりと静まり返っている。ちょっと視線を上げた先に、この街の恥部と僕が勝手に呼んでいるキャロットタワーが見える。タワーの先っちょでは、まるで地球外生命体に呼び掛けているみたいにライトがチカチカと明滅を繰り返している。チューリップハットの形をした円盤が、消えることのない光を目指して飛んでくる。街の灯りにぼんやり照らされた雲がゆっくり流れていく。

深夜にふと三軒茶屋の住宅街を下北沢の方にやみくもに歩いてみることがある。

誰もいない路地を適当に歩き回っていると、入り組んだ道の先にシャッターの閉まった商店街を見つけたり、小さな社を見つけたりする。でもそういう場所に限って次に行くときには見つからない。そんな現象を、不動産屋の女性が“世田谷マジック”と呼んでいたことをふと思い出す。人の姿の見えない家々のそこここから、テレビの音や食器のこすれる音が聞こえる。聞き取れそうで耳を澄ますが聞き取れない。不鮮明な声は、誰のものなのか分からない。

 

                 ※

 

「中村さんって、ゆずの岩沢厚治に似ていますよね?」

恐る恐る言うと、中村さんは眉間に少ししわを寄せ、

「あー、はいはい。みんな最初それ言うんだよね。ハハハ。確かに似てねえとは俺も思わないけどね。でも俺を少しでも理解している人は、俺のこと、中村一義に似ているって言うんだわ。ほら、俺も中村でしょ。そこもさ。ね? 何より俺の90 年代ロック的な部分も含めて、やっぱ一義のほうっしょ」

 と、出会ってから初めてのタメ口で一息にまくし立てた。

キャロットタワーの二階にある本屋で働くことになった初日、中村さんと炎天下の世田谷線ホーム前広場でハリーポッターの最新刊を散々売り捌いたあと、彼に誘われてすずらん通りのめしや丼に飲みに行くことになった。

「杵賀谷さんは、もうこの街、長いの?」

一杯目を飲み干した時点で赤色を通り越してちょっと紫じみた顔色になっている中村さんが言った。

「あ、ええと、五年になります」

三軒茶屋を初めて訪れたのは大学受験のときだった。なぜかレンタルビデオ屋でCDを一枚かりて、翌日、入試のあとに返却して帰った。地元では見かけたことのない友部正人のアルバムだった。

入学を機に初めて住んだアパートは太子堂二丁目にあった。水はけの悪い土の道を一本入ったどんづまり。六畳間には申し訳程度のロフトが付いていた。夏は蒸し風呂のようになり、冬はそこでミノムシのように縮こまって寝た。ワンルームには不釣り合いな出窓を開けると、すぐ目の前に大きな空き家が一軒建っており、狭い土地の上にまるでテトリスのようにきれいに敷き詰められたブロックの中で、窓も開けられず、息継ぎもうまくできないような気持ちで四年間過ごした。街のことは好きだった。取り壊しが決まったと同時に、茶沢通り沿いのアパートに引っ越して、いまもいる。

「そなんだ。じゃあ三茶は俺の方が少し先輩ってわけだ。大学からってことは、俺みたいにエレキギターとおのれの身一つで上京して来たってわけじゃあないのか。ふんふん。なるほ。なるほ」

 二杯目をあおったあと、紫じみていた顔色がUターンして赤まで戻り、いくぶん気持ちよさそうな様子の中村さんが次のビールの食券を店員に渡しながら言った。

三歳年上の中村さんは広島の大学に通っていたとき、友人たちと遊びで撮影した有名ドラマのパロディを軽い気持ちでユーチューブにアップしたところ、それがほんの少しだけ話題になったことに勢いづき、上京したらしい。この街を選んだのは「ヘブンズドアー」という中村さん的には最高にかっこいい名前のライブハウスがあったからだそうだ。淡々とした口ぶりとは裏腹にそのちょっとした成功体験が彼の中で大いなる自信になっていることは身振り手振りから否が応にも伝わってくる。

「そういやさ、休憩のときにちょろっと言っていたけど、杵賀谷さんも音楽やっているんだって?」

「あ、はい。まだ始めたばかりなんですけど」

ネット掲示板で知り合った男と二人、弾き語りで初めてステージに立ったのがつい一週間ほど前、お客さんは共演者三人だけの静かな夜だった。

「ふうん。ゆずみたいな感じか。ま、頑張ってね。俺のバンドはもう結構長いよ。スリーピースなんだけどね。俺がギターボーカルで、ベースは系列の新宿店で副店長している人。ドラムは普段は主婦をしている方なんだよね。あくまでもメロディアスなんだけど、音は重厚で、それでいて軽やかなやつ。一義みたいな感じつったら、杵賀谷さんは分かんないかな」

中村さんのトレイの上には、お代わり自由の白米がプラスティックの茶碗にこれでもかというほどこんもりのっている。

「そうそう今度さ、埼玉のケーブルテレビの番組だったかな、それの主題歌を決める予選ライブがあるのよ。俺たちの勝負の日だからさ。杵賀谷さん、ぜひ観に来てよ」

中村さんはカバンからくしゃくしゃになったチラシを取り出すと、

「今日は初めて会った記念だし、俺おごるわ」

と言い、そしてすぐに、

「あ、食券、前払いだったね」

と、にやにや笑った。

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