twililight web magazine
SETAGAYA MAGIC
世田谷ピンポンズ
twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・世田谷ピンポンズによる、センチメンタル連載小説!
第2回「太子堂中央街のライブハウス」
その日、中村さんのライブは、太子堂中央街を奥に入ったところにあるライブハウスで行われることになっていた。あの日以来、中村さんから頻繁にライブに誘われたものの、なんやかやといなし続けて数か月が経っていた。今回に限っては会場が初めて住んだアパートのすぐ近くだったことで僕の心の何処かに何かが訴えかけてきてしまったのだ。ライブハウスは通っていた銭湯の斜向かいにあった。
クリスマスのイルミネイションを希釈して薄めたような青い点滅のアーチを通り、階段を恐る恐る降りていくと、ちょうど男性二人組が受付をしているところだった。受付スタッフの話によると、今日のイベントでは簡単な仮装をして来たらワンドリンク無料になるらしい。
二人組は「そうなんすかあ。しまったなあ」と大げさに悔しがって見せたが、それほど残念そうには見えなかった。
自分の番にもやはり同じ説明をされたので「しまったあ」と、ぼそっとつぶやき受付を済ませた。
入ってすぐのバーカウンターでドリンクチケットと引き換えにビールを注文し、席を見繕うためフロアをさっと見渡してみる。先ほどの二人組の他に二、三人しかお客はいないようで、やはり誰も仮装はしていない。
椅子やテーブルが並べられ、食事とともに音楽を楽しめる雰囲気のなかで、各々、なんとなく距離を取りながら座っている。
バーカウンターのすぐ隣の椅子に腰かけ一息つくと、視界の端の方で何か細長いものがふらふら揺れていることに気がついた。最初、死角になっていて気づかなかったのだが、右後方に一段さらに奥まった席があり、そこにもお客がひとりいた。
千代田さん。
千代田さんは左肘をテーブルにもたれ、眉間にしわを寄せながら気怠そうに水割りをあおっている。顔はすこぶる不機嫌そうなのに、頭には有名テーマパークの犬のキャラクターのカチューシャをつけていた。
※
「俺さあ、十人の前でも、一万人の前でも同じように歌えるように日頃から意識しているんだよね。だってさ、ステージに立ったら人数なんて関係ねえからよ。だから俺、顔色一つ変えずに歌える自信があんだわ」
バックヤードでコミック用のシュリンクロールを手際よく交換しながら、そう嘯く中村さんに、
「へえ。そんなもんですか」
と、適当に相槌を打つ。
初めてステージに立ったとき、そこから見える客席は暗く、得体のしれないものに思えた。まるで虚空に向かって歌っているような気分になった。
「そんなもんですよ。ま、杵賀谷さんにはまだ分からないかもだけどさ。あはは」
それでも、その中で確かにこちらを見つめる目。暗闇の中で蠢きながらこちらを凝視する視線の鋭さに慄いた。
この人は人ひとりがもつ眼差しの強さについて考えたこともないのだろうか。自分の放つ光がどこまで届くものなのか、わかっているのだろうか。
今日出たばかりのベストセラーコミックがシュリンク機を通り、ピチピチとコーティングされた姿で受け皿代わりの段ボール箱の中にどんどん積みあがっていく。
「ていうかさあ、なんか中村さんの歌って本気な感じがしないんだよね」
奥のパソコンで作業していた千代田さんがうしろを通り過ぎるとき冗談めかしながら言った。ドアが勢いよく閉まる。
「ははは…。あいつさ、まだ二十歳ぐらいなのにめっちゃ落ち着いて見えるでしょ? 地元じゃ有名な不良だったらしいよ。『靴のチヨダ』つってさ、ほら工場とかで履くやつあるじゃない? つま先に鉄板が入っているやつ。あれ履いて毎日、そこら辺の不良をがんがんいわしまくっていたらしいわ」
中村さんは早口でまくし立てた。
※
中村さんのバンドはドラムの都合がつかず、打ち込み音源をバックに演奏していた。一曲目の入りから乗り遅れ、ワンテンポずれた中村さんのボーカルは終始上ずっており、結局、そのまま最後まで取り返すことはなかった。
それでも、フロアに共演のバンドのメンバー数人がいることで盛り上がっているように見えるから不思議だった。
「杵賀谷、おつかれ! 今日はよく来てくれたね」
中村さんは上気している。
「お疲れさまでした。良かったです」
初めての呼び捨てを自然に流す。
「打ち上げ行こうよ。246んところのカラオケ館!」
まだ歌うんですか、の声は飲み込んで、数人のお客たちよりも先に出ていった出演者の塊が消えたあと、ゆっくり店を出た。
茶沢通りを246と世田谷通りの交差するY字路まで出て、靴屋の赤い建物の下で信号が変わるのを待つ。待つ時間は長いのに、渡りきるまでにすぐ信号が変わってしまうので、いつも小走りになる。
カラオケルームに入ると間抜けなくらい細長い部屋の中で、すでに出演者同士のグループができており、ちょうど中村さんが90年代ロックをがなり始めたところだった。
ライブのときより声が出ている。
端っこの方で千代田さんが誰とも喋らずにひとりで飲んでいるのが見えた。
「お疲れ様です」
自分よりだいぶ年下の千代田さんに僕はいつも敬語を使う。
「うっす。本当にお疲れ様だったね」
千代田さんは出会った日からずっとタメ口だった。
「ですね」
千代田さんは飲み会やイベントの時だけ化粧をする。
「あ、杵賀谷は何飲む? 私、注文するよ」
結構飲んでいるはずなのに千代田さんは顔色一つ変わっていない。
「おうおう。杵賀谷に千代田。楽しそうにしているじゃないの。どう? 杵賀谷も何か歌わない?」
すっかり紫蘇色になった中村さんがすり寄ってきた。
「あ、自分は大丈夫す…」
「またまたあ、もう入れちゃったよん。君の好きな曲!」
「中村さん、杵賀谷嫌そうだし、やめときなよ」
「いいのいいの。俺と杵賀谷はミュージックだからさ。千代田みたいに前衛っぽいだけの演劇やっている奴と違うし、歌で語り合うんだよ!」
千代田さんの目がかっと見開いたように思えた瞬間、ちょうど向こうで『世界に一つだけの花』を一人ワンフレーズずつ歌っていくという時間が終わり、大学生の頃、ずっと好きだったバンドの曲のイントロが流れ始めた。それで色々うやむやになった。
歌っている時間は何も考えられなかった。とにかくメロディを追いかけていくことに必死だった。キーが高くて高音は出ないし、それを気にして置きにいった低音は低すぎてベース音に紛れて消えた。酒と緊張で変にざらつき首を絞められたような声。泣きたくなった。それでも最後までなんとか歌いきろうと思った。
曲が終わると、部屋に変な間が充満し、誰のものか分からない乾いた笑い声がした。
ちょうど次にテンポのいいボカロ系の曲がかかり、余韻が一瞬で部屋から消える。
「ふうん。ま、良かったんじゃん」
中村さんが鼻毛を抜く時のように目を細めながら言った。
ずっとうつむきながら曲を聴いていた千代田さんは根元の短くなった煙草をくいっとつまみ、ボハっと煙を吐き出すと、
「杵賀谷の歌は、きっと何を歌っても君の歌になるだろうね」
と言った。
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プロフィール
フォークシンガー。
吉田拓郎や70年代フォーク・歌謡曲のエッセンスを取り入れながらも、ノスタルジーで終わることなく「いま」を歌う。
音楽のみならず、文学や古本屋、喫茶店にも造詣が深く、最近では文筆活動も積極的に行っている。
あたらしいフォークの旗手。