twililight web magazine
SETAGAYA MAGIC
世田谷ピンポンズ
twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・世田谷ピンポンズによる、センチメンタル連載小説!
第3回「世田谷通り沿いのマンション」
二人きりになった途端、就業中は締める決まりになっている襟元のボタンを気怠そうに外すと、双木は両手に持っていたゴミ袋をぶんぶん振り回し、思いきり放り投げた。ゆるい放物線を描いてゴミ捨て場に着地したそれは、情けなく横っ腹が裂け、なかからシュレッダーで細かく裁断された白い紙の残骸があふれ出している。
双木はめんどくさそうにそれらを隅っこのほうに蹴り隠すと、
「休憩いこっか」
と、笑いながら言った。
双木が店に来て一週間が経った。
「杵賀谷さ、何だか俺と同じ匂いがするんよね。猫かぶっているようだけど、俺には一発で分かったよ」
※
「お姉さん、チャーハンセット、イーね」
双木が屈託のない笑顔で注文する。
仕事中は職場の制服である黒のシャツとズボンで一見きっちりしているように見えるが、普段の双木はテロテロしたサテンのシャツにむげん堂で売っていそうなテイストのズボンを合わせるという、よく分からないチンピラ然とした風情だ。髪をオールバックになでつけ、背が低く、きょろきょろ丸い目にへの字形のまゆ毛が妙に人懐っこい印象を人に与える。どこか香港映画然とした間の抜けた雰囲気も、独特の愛嬌を生んでいた。
「あ、俺もそれください」
ざっくばらんな双木に被せるように慌てて注文する。ぼそぼそと低く通らない声は満席の店内で瞬く間にかき消される。四方から雑多に飛び交う客たちの声はぶつかり合い、溶け合って意味をなさないノイズに変わる。その中を声の高い女性の店員さんが忙しなく行ったり来たりしている。
「ねえねえ。なんか俺、星乃にめっちゃタメ口使われてるんだけどー」
双木はそう言うと、鼻にくしゃっとしわを寄せた。ムカついているというよりは、楽しんでいるといったかんじだ。
星乃は双木より一週間ほど早く入ってきた大学生だ。ひょろりと背が高く、どこか昆虫めいた顔に横長の細い眼鏡が彼の神経質さ、真面目さを端的に表していた。
ふたき、ふーたーき、ふ、た、き! 星乃は、くっと目を細め、いかにも汚いものを見るような目で双木を呼ぶ。一週間だけ自分が先輩であることがすこぶる大きい判断材料になっているらしく、双木だけは舐めてもいいという結論に至ったようだ。他のスタッフには分かりやすく従順なのも変に悪目立ちしていた。
「俺さ、あんな童貞みたいな奴に舐められたくないんだけどー。ないのだけどー」
ニヤニヤしながら玉子スープをレンゲですくっては戻し、すくっては戻しする。
とにかく何につけてもへらへらしておけばいいというのが双木の処世術らしく、どんなことでも真面目に取り合わなければ大丈夫! だって、こんなにへらついているんだから大したことないじゃん。えへへ。というのが彼のいつものスタンスだった。
「いや、あいつ、まじでやべえよ。目バキバキだもの。そのくせ千代田さんとかに話しかけられたら、顔真っ赤にしてカチンコチンになってだんまりでしょ。おいおいおいおいとんだチェリーボーイよ」
双木がただでさえ丸い目を大きく見開いてみせる。
「ばはは。まじでやめてって」
思わず下卑た笑いが漏れ出てしまう。ほれな、といった感じで双木がのぞき込む。
「ま、とにかく星乃は一回いわしてやらんといけんかもしれんなあ。あの細なげえ眼鏡カチカチに割ったろかな~」
「おう、やったれ。やったれ。三十回くらいやったれ」
にやついた声が妙な輪郭をもって店内を縦横無尽に闊歩する。
「あ」
双木の箸が急に止まる。
「ねえ。俺の隣の隣みて」
「何よ。どうしたの?」
「ほら、隣の隣。こっそり見てよ」
双木の隣、グレーのスーツの背中越しに見慣れた黒の制服が見えた。
星乃だった。
「あ、星乃君…」
「あ、う、あ、ど、ど疲れ様です」
いま気づいたような顔をしているが星乃の顔はすでに真っ赤だ。
「よお。星乃、おつ…」
双木もモソモソ声をかける。
「あ、お、ふたき………さん。お疲れ………さま、です」
星乃はひきつったように笑うと、すぐにカウンターの方に向き直り、まっすぐ前を見据えたまま、チャーハンを口に運び続けた。
※
双木は世田谷通り沿いのマンションに住んでいた。だだっ広い1LDKのリビングの隅っこに本棚代わりの白いカラーボックスが二個、その上に申し訳程度のテレビがちんまり乗っている。部屋の真ん中に無造作に置かれた小テーブルの上に缶ビールを二つ置く。下に敷かれたもさもさと毛羽だったカーペットにこしかけて二人でちびちび飲み始める。双木は部屋の隅に置かれた段ボール箱を引き寄せると、中からCDを数枚取り出した。
「杵賀谷、フォークとか好きなら、OLEDICKFOGGYとか、フィッシュマンズ聞いてみなよ。すげえ良いよ」
「いやいや、いいよー。お前が勧める時点でなんかチャラいのよ」
「なんでだよ。だまされたと思って、聴いてみろって。ほら、このDachamboとかTOKYO No.1 SOUL SETもさ、お前のよく聴く感じじゃないかもだけどめっちゃ良いよ」
「いいっていいって。勧めんな。俺はなんかわからんけども、そういう煙がモクモクしてそうなイメージのやつはだいじょうぶ」
「なんだモクモクって。モクモクなんてしてねえわ。お前ってまじで中二病だよな。もっとオープンに色んなものを受け入れた方が楽しいと思うぞ。音楽だって、幅が出てくるってもんなんじゃないの」
「うるせえなあ。俺はもう俺の好きなものだけで手いっぱいだよ」
双木との会話は売り言葉に買い言葉で成立していた。きっと星乃と一緒で、双木の人懐っこさにつけ込み、どっぷり甘えていたのだろう。
「へいへい。杵君の好きなようにすりゃあいいよ。ま、その頑なさこそがお前なのかもしんねーしな」
そう言って、双木はおもむろにテレビをつけると、HDに録り溜めた番組の中からいつも観ているというドラマを選んで再生した。
オダギリジョー扮する人気のなくなったバンドマンのところに彼を父親だという数人の子どもが訪ねてくる。彼らとの生活の中で、大人になり切れないおっさんが少しずつ成長していくというかんじのストーリーらしい。
「へー双木って、こういうベタなやつも好きなんだね。おもろ」
「うるせ。めっちゃ良いから、お前も黙って観てろって」
本当は僕もこういうベタなやつが大好きだった。
「しみじみ、いいわ」
双木はちょっと目を潤ましている。
「何、泣いてんだ。はえーわ」
少し観ただけで双木がこのドラマを好きになる理由がわかる。
「お前は本当にひねくれているよ」
“ロックに免じて許してよ~”
オダギリジョーが代わりに答える。
「俺と全然似てないわー」
“ロックに~免じて許してよ~”
オダギリジョーがまた答える。
「だから最初からそう言ってんだろ。あほ」
僕は双木を否定したり、馬鹿にしたりするようなことばでしか話せない。寄り添うわけでもなく、惹かれ合うわけでもなく、でも自然と二人でここにいる。
エンドロールが流れ始める。
「この曲はちょっとだけ良いね」
「お前さあ、フィッシュマンズとかはダメなのに、斉藤和義は良いの? もうわからんわ」
見飽きたキャロットタワーの点滅がチカチカと夜空を照らしている。
少ししてドラマは記録的な低視聴率のために八回で打ち切りになった。
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プロフィール
フォークシンガー。
吉田拓郎や70年代フォーク・歌謡曲のエッセンスを取り入れながらも、ノスタルジーで終わることなく「いま」を歌う。
音楽のみならず、文学や古本屋、喫茶店にも造詣が深く、最近では文筆活動も積極的に行っている。
あたらしいフォークの旗手。