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twililight web magazine

2024.08.02更新

SETAGAYA MAGIC

世田谷ピンポンズ

twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・世田谷ピンポンズによる、センチメンタル連載小説!


第4回「三軒茶屋中央劇場」

「ねえ、あの映画館、もうすぐ閉館するんだって」

家に帰ると、ノスタルジーはソファに横になって本を読んでいた。

「映画館って、中央劇場?」

ノスタルジーは本をお腹の上に伏せて置くと、首だけ気怠そうにこちらに向けた。

「あ、うん。建物はしばらく残るみたいなんだけど、営業は二月までだって」

三軒茶屋中央劇場はTheピーズの『とどめをハデにくれ』というアルバムのジャケット写真に使われたことでも有名だった。すぐ近くには三軒茶屋シネマという映画館もあり、この二館には何となく住み分けがあった。前者はミニシアター系映画中心、後者は少し前に劇場公開された映画中心で二館とも1300円で二本立てを観ることができた。

熱心に通っていたわけではなかったが、三軒茶屋中央劇場のどこか厳かな雰囲気も、三軒茶屋シネマの少し硬い椅子も好きだった。通りかかったときにたまたまかかっている映画にふらっと入るのが楽しかった。

「じゃあ、行っとかなきゃだ」

「うん。でも普段そんなに行かなかったのに、終わるときだけいそいそと出かけていくのってダサくないかな」

「行きたけりゃ行くだけっしょ」

ノスタルジーは大げさにため息をついてみせると、鈴みたいにカラカラ笑った。

重い扉を開けて恐る恐る中に入ると、ずらっと並んだ朱色の座席のいくつかに、まばらな後頭部が見える。閉館が決まったあとにしては、館内は静かなものだった。

スクリーンには無表情のもたいまさこが大きく映っている。

仕事のあとに駆け込んだため映画はもう終盤近くになっており、結局、ちゃんとした筋を追うことができないまま、エンドロールが流れ始めた。

いくつかの後頭部がそそくさと席を立つ。前かがみのシルエットがスクリーンを横切ってすぐ消えた。

「エンドロールが終わるまでが映画だと思うのだがね」

ノスタルジーが横から耳打ちする。

「うん。でもそれ言ったらさ、映画が終盤になって駆け込む僕たちも大概だと思うけど」

もぞもぞ答えると、ノスタルジーは「違いねえ」とくつくつ笑みをこぼした。

スクリーンカーテンが閉まる。とりあえず閉館までに一度居合わせることができたという満足感に身体を浸す。義務を果たしたようなそんな心持ちになっている。

映画館を出ると、外はすでに暗くなっていた。二つの映画館のすぐ近くにあるスーパーの黄色い壁だけがライトアップされて煌々と光っている。携帯電話の電源を入れると、何件か通知が来ていた。それはオークションサイトからのメルマガだったり、双木からの他愛のない返信だったが、映画を観た後のいつもの通過儀礼をひとつ無事済ませたような気持になり、つい口も軽くなる。

「こういう時に言うことじゃないかもしれないけど、映画館ってさ、空いてれば空いているほど、好きなんだって改めて思った。シネコンとかじゃこうはいかないじゃん。ミーハーっぽいカップルばっかでぎゅうぎゅうでさ」

ノスタルジーは左のまゆ毛を微かにピクリと動かすと、その軽さにあえて合わせるように話し出した。

「あー、わかるー。杵賀谷君わかるよー。こういう名画座ではガラガラの館内こそ醍醐味って感じだよね。実際、話題作だからつってそのときだけシネコンを満席にするようなお客よりも、名画座のスカスカを愛する客の方が断然映画を好きだったりするし。でも、そういう奴らばかりでは名画座の方としてはやるせないつうか、ほらね、やっぱり無理っす、続けられないっすって、なっちゃうんだよね」

通りがかった人たちが中央劇場の外観の写真を撮っては去っていく。

あれほどの軽さもなく、中途半端に映画の終盤をおさえて出てきただけの自分と彼らの間に差はあるのだろうか。

「何だかやるせないね。ひどく邪な気持ちでここにいるような気がしてきたよ」

「ま、とにかく私が言いたいことは、だからつって別にお前のせいでここがつぶれるわけじゃねえけどなってことよ。その加害者意識の皮を被った被害者面みたいなのも本当にどうでもいいよ。君がいらんことばっか考えている間に取り返しがつかなくなることが結構あるってことがわかればそれでいいじゃん」

ノスタルジーは煙草の煙を輪っかみたいにして何度も吐き出している。

「結局のところ僕にできることはないってわけね」

芝居がかったため息で、自分の苛立ちを相手に伝えようと試みる。

「あはは。全くねえよ。せいぜいたまに思い出すくらいが関の山だね。ほら、君のお得意のやつで曲にでもしてさ、しんみりと歌えばいいよ。少なくとも君に関してはそれで解決だ。ちょっとは満たされた気分に浸れるだろ」

確かに僕はそうするだろう。あからさまではなかったとしても、心の底で格好のテーマを見つけたとほくそ笑んでいる醜悪な自分を十分に意識している。

ノスタルジーの吐き出す煙の輪っかがポンポンと規則的に空に消えていく。

感傷より先に歌があるのか、歌より先に感傷があるのか、自分の情緒が時々分からなくなる。

「そういや昔、何処か山奥の廃校が取り壊されるっていうニュースを観たことがあるんだよ。インタビューに答えている人たちは皆口々に学校があった頃の思い出を話してた。学校がなくなるのは自分たちの思い出が踏みにじられるようだって。思い出がなきものにされるようだって言ってたよ。取り壊し反対の運動を起こしている人もいた。それはそれでもちろん理解できるよ。その人たちだってただ独善的な考えだけで反対しているわけじゃないかもしれない。でも、なんか私はそのとき漠然と思ったんだよ。学校がそこに建つ前にあった誰かの生活は、誰かの思い出はどこに行っちゃったんだろうって。もしかしてこの人たちはものすごくエゴイスティックな考えをしているんじゃないかなって。でも、よくよく考えてみるとさ、みんな知らず知らずのうちに誰かが作った思い出の上を歩いて生きている。そうやって生きていながら、自分の生活ばかり思い出にして、ことさら大切にして、いつまででもそれが自分のものだけのように都合よく守ろうとする。そうやって何度も何度も踏みにじって、変なタイミングで蘇えらせて、あっという間に忘れたり、最初からなかったことにしたりしながら、街は、人は、ただずっとここにあるんだよね」

ノスタルジーは短くなった煙草を地面でぐにぐにもみ消すと、

「ま、だから君は私のことを手前勝手に大切にしたり、自分の記憶の都合の良いように利用したりするしかできないってことなのかもしんねえよ。おもちゃにしても、妙に崇高なものに仕立てあげても、これからの人生を乗り切るためのよすがにしても、どんな形でも」

傲慢で、エゴイスティックで、とびきり女々しい小ささから、僕は逃れることはできない。それでもいっとき、この映画館に抱いた感情は偽物ではないと思いたかった。

「ま、ある意味、君みたいなのがいるからこそ、私はこの世界に存在しているとも言えるわけだけどな。それにここがいつか全く関係ないチャラいビルとかに変わってしまっても、君や今日居合わせた奴らがたまに、ここに映画館があったことを思い出したりするのだって、別にそんなに悪いことでもないんじゃねえかな。せいぜい私を利用するがいいよ。それで君が楽になるんだったらさ」

ノスタルジーは右の口角をフヘっとあげ、夕立みたいに笑った。

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