twililight web magazine
SETAGAYA MAGIC
世田谷ピンポンズ
twililightがある世田谷区の三軒茶屋に長いあいだ住んでいたフォークシンガー・世田谷ピンポンズによる、センチメンタル連載小説!
第6回「じしんの日」
薄暗い店内に中村さんの被った三角帽だけがキラキラと光っている。ここは普段、僕がよく出演しているライブハウスだが、中村さんはすでにマスターとも気軽に雑談するくらい馴染んでいる。
二人の隣にいるのはCDフロアの高島さん。インディーズバンドをプロデュースしながら、自身もギタリストとして参加しているらしい。
「よろしくお願いしゃす」
高島さんとはほぼ初対面だ。オールバックになでつけた長髪が妙にてらついている。
「着いた早々だけど、杵賀谷君これ」
マスターから手渡された紙に簡単なセット図と曲順を記入していく。曲名の横には曲調や照明の希望などを細かく書くスペースがあるのだが、たとえば夕日の歌だから赤い照明で、みたいに指定するのは、なんだか自意識過剰な気がして恥ずかしかったし、曲順の途中にMCの時間をちゃんと書かなければならないことも、段取りを強制されているような感じがして少し嫌だった。
二枚目の紙は予約取り置きリスト。今日、自分が受けた予約はなかった。中村さん曰く、とにかく職場の人たちと盛り上がるような日にしたい、ということだったし、自分のお客さんを職場の身内ノリに巻き込むことになるかもしれないことにひどく抵抗があった。とはいえ、他のライブと同じくHPに載せている以上、予約の有無が自分の価値と直結してしまうことに間違いはなかった。実際、どんなライブであれ自分を観たいと思う人が一人もいないという状況はとっくに何かを突き付けられているのかもしれない。しかし自分からこれを取り上げたら、何が残るのだろう。それは、僕は音楽しかできない人間ですから、みたいに、他人からは自惚れた選民意識だと簡単にレッテルを貼られてしまうような薄く甘ったれた感覚である一方、これを失ったら自分にはこれからの人生で本当にやることがなくなってしまう、という単純で深刻な焦燥でもあった。
ウエスタン調に統一されたフロアにテーブルと椅子が無造作に並べられている。各テーブルには駄菓子が沢山置いてあり、来場者は好きに食べていい、というのがこの日の趣向らしい。中村さんからしたら職場のお楽しみ会といった感じなのだろう。そこに勝ち負けは存在しない。しかし、このことに気持ちの上で順応できない人間にだけは著しい不快感が植え付けられる。
簡単なリハを終えると、すぐに開場の時間になった。続々とお客さんが入ってくる。お客さんといっても書店フロアの同僚やCDフロアやレンタルフロアの挨拶だけはしたことがあるようなスタッフたちだ。
30名ほどで満席になる客席が半分くらい埋まった頃、開演時間になった。
ビール片手に中村さんがステージに上がる。
「いえーい。みんなありがとう。地震のことで気が塞ぐ毎日だけどさ、今日はそんな薄暗い日々にドロップキックかましてやろう! あ、テーブルの上のお菓子は食べ放題だからね! でもうまい棒はひとり二本まででお願いしますね」
客席から、ぱはは、と軽い笑いが起き、次に僕と高島さんが呼び込まれる。
「杵賀谷君に高島サン! さて、いまから出演順を決めるじゃんけんをしますよ。最初はグー、いんじゃんほいっ」
最初に勝ち抜けた中村さんが二番、次に高島さんがトップバッターを選択したことで出番は最後に決まった。ライブ活動を始めてからトリになったのは初めてだったが、なにもこんな日に、と思うと逆に変な緊張が押し寄せてきた。
「それでは『元気出そうぜ!ライブ』はじまりはじまりー」
中村さんの掛け声とともにステージ横のカーテンで仕切られた控えスペースから、高島さんが勢いよく飛び出してくる。
緑色のタイツに同色の覆面を被り、上半身はなぜか裸だった。真っ赤なエレキギターを抱えている。
「こんちは。高島です。今日はいつもバンドじゃできないようなことをやろうと思ってさ。いっちょ、よろしくお願いしゃす」
高島~、ふがふが言って聞き取れないよ~、誰かの野次で起きたひと笑いがライブ開始の合図になる。
高島さんのギターがディストーションで一気に歪む。
“亀の頭はクリックリ まるで俺のBABYだ 上下に動くよコチッコチ
亀の頭はクリックリ まるで君のお目目見たい 前後に動かせスコスコと
タートルロック!”
会場が爆笑に包まれる。
「お前、こんなの出てて大丈夫なん?」
隣に座った双木が眉間に渓谷を作りながら耳打ちしてくる。
「大丈夫なわけねえだろ」
小声で応える。
高島さんがパフォーマンスを終えカーテンの中に戻ると、すぐに中村さんもそこに入っていった。ガサゴソという音とともにステージが暗転する。
慌ただしくカーテンを開けて飛び出してきた中村さんがスポットライトに照らされる。既視感のある緑色のタイツに上半身は裸、黒いストラトキャスター。高島さんが被っていた覆面はギターヘッドにぐるぐると巻き付けられている。
前の席に陣取った数人が囃し立てる。中村さんはニヤニヤしながらマイクに近づき、
「YEAH!!!」
と叫び、おもむろに歌い始めた。
“黄昏に燃えるあの花の名前を俺は知らない。花もきっと俺のことは知らないだろう
だけど夜の帳が落ちたあと 俺は街で見つけたよ 君という花を
夜行花 夜の闇に咲き 朝には散ってしまう
夜 行 花ーー! や、こ、う、ばーーなーーー!!“
うまい棒をくわえた中村さんの友人たちが爆笑しながら拍手する。気を良くした中村さんは歌い続ける。
“笑って飲んで生きていたい たまには君を抱きしめたりして~~“
最初の勢いのまま数曲歌い終えると、
「杵賀谷! わかってるよね!」
と言い残し、中村さんはステージを後にした。
書店フロアの聖谷さんという女子大生が中村さんに「夜行花、良かったです」と言っている声がうっすら聞こえる。
動悸がして、いまにも吐きそうだ。
双木は僕の肩に手をかけると、
「おい、杵賀谷。分かっていると思うけど、あんなノリに乗っかるなよ。あの人たちはあの人たちなりにこの場を盛り上げようとしているのは分かるけどさ、少なくともお前はいつものようにステージに上がれ。決して周りの空気に絡めとられることなく、自分のステージをするんだぞ」
と言った。
いつのまにか双木の後ろにノスタルジーもいる。
「大丈夫。できるよ」
よろけた視界の端に千代田さんがひとりウイスキーを飲んでいる姿が映る。
「もちろん。だれがあんなこと」
カーテンの中でシャツのボタンをいつものように一番上まで留め、アコースティックギターを抱えてステージに上がる。
暗がりから、なんだよ、とボソっとはき出す声が聞こえた。
「杵賀谷暁宏です。よろしくお願いします。一曲目は『とうきょう』」
“東京に残った君の髪の香りが 僕の生きていく匂いにかき消されていく
ドラッグストアで君の使っているシャンプーを見つけたよ
買って帰ったけど使えなかったよ それは君そのものだったから”
「甘―!」
フロアから駄菓子の封を勢いよく破る音がする。
一曲目を歌い終えると、まばらな拍手が起きた。
「次は、昔、好きな人と生活し始めた頃にできた歌です」
「うえーい。ひゅーひゅー!」
アルコール臭い歓声が上がる。
“この街はなんだか迷路みたい 僕はいつも迷っていた
だからいつもひとりぼっちだった 誰も僕を見つけられなかった
「ういー!」
囃し立てる事柄を見つけたときにだけ聞き耳を立てる仕草に気持ちが折れそうになる。
“この街はなんだか迷路みたい 僕はいつも迷っていた
だからいつもひとりぼっちだった 君だけが僕を見つけてくれた“
歌はいつだって自分の生きた記録で、その瞬間、そこに置いてきた感情だった。それは自分に酔い、心底寄りかかったときにだけできる副産物でもあり、そういう意味では今日の三人の歌には実際、何の優劣もないのだった。
“ひとりぼっちのふたり 通り沿いのアパートで”
「いいね。甘ったるくてー」
一瞬、視線を譜面台に落とした瞬間、今どこを歌っているのか見失ってしまった。コードを間違え、歌詞を飛ばす。むにゃむにゃとハミングでお茶を濁す。
「すまして出てきた割にはまごついてんなー」
いくら自分は違うのだと、すかし込んでみたところで、ステージ上では何の意味もなさない。
“キャロットタワーが光っている”
「俺たちとは違う、みたいなあのスンとした感じ、一体何だったんだろうねえ」
“チューリップハットの円盤が飛び去っていく”
さっきよりまばらな拍手が、余計に心をえぐる。
曲順表に“MC”と書かなかった時間だったが、思わず言葉が口をついて出る。
「なんかすいません。これなら緑のタイツ履いて出てくればよかったかな。ははは」
誰も笑わなかった。
「あはは…ありがとうございました」
そそくさとステージを降りる。
「君は貫けないんだね」
静まったフロアにノスタルジーの声だけがくっきりと響いた。
「しょうがないのかな。それが君の限界なのかもしれないね」
入れ替わるように袖から緑タイツの中村さんと覆面を被った高島さんが出てくる。
「はい! というわけで、杵賀谷君のベリーセンチメンタリーな歌で今日のライブは終了ということで! ははは。じゃんけんで決めた割にはなんかそれなりになりましたね! では、次は打ち上げのお知らせで…」
「ちょっと!」
千代田さんが立ち上がり、中村さんの声を遮る。
「中村さん、私にも一個だけ詩を読ませてよ」
千代田さんはステージに上がり、ポケットから紙を一枚取り出すと、マイクを使わずに読み出した。
“わたしはほんとうのことにしか興味がない
隠しても まぶしても 取り繕っても
こびても 貫いても まごついても
そんなことどうだっていい
あきらめるな じぶんを簡単にあきらめるな”
「ありがとう」
千代田さんが鼻をかむように微笑みながら、ステージを降りる。
いそいそと中村さんがステージに戻ってくる。
「あ、う、はい! では千代田氏による即興のポエトリーリーディングでしたー。ね。良かったね。響いたなあ。うん。では、皆さん拍手をば!」
パラパラ拍手が起こる。テーブルの上に散乱したうまい棒の空袋が空調の風に揺れている。
「で、改めまして今日の打ち上げなんですけども~…」
ぷるるるるる。
ぶるるるるる。
ふいにバイブレーションの音が会場に響いた。
テーブルに置かれた中村さんの携帯が震えている。
ディスプレイには「BOOKS 三軒茶屋 店長」と表示されているのが見えた。
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プロフィール
フォークシンガー。
吉田拓郎や70年代フォーク・歌謡曲のエッセンスを取り入れながらも、ノスタルジーで終わることなく「いま」を歌う。
音楽のみならず、文学や古本屋、喫茶店にも造詣が深く、最近では文筆活動も積極的に行っている。
あたらしいフォークの旗手。