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人といることの、すさまじさとすばらしさ
きくちゆみこ
この連載は、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』のきくちゆみこさんが、新しく引っ越してきた郊外の団地にて、長年苦手としてきた「人とともにいること」の学びと向き合いながら、日々の出来事を書き綴っていきます。
第2回「名前、人をつなぐ呪文としての①」2024年10月✴︎日(日)の日記
私は自分の名前を呼ばれることによって「現在へ、みずからの現在へ、みずからの内面に、おのれ自身のうちに呼び戻されるのである」/『名前の哲学』村岡晋一
オンを母たちに預けている日曜、7時半に起床。歯をみがき顔を洗ってから、数万年ぶりくらいの気持ちで瞑想15分。コロナ禍の自粛期間にダウンロードしていたアプリはとっくに消してしまったので、Siriに「15分のタイマー!」と叫んで目をつぶる。ミルクパンでお湯を沸かし、ドリップパックのコーヒー、冷蔵庫に残っていたリンゴで朝食。松樹は仕事ですでに出かけている。
だれもいない部屋でひとり目覚められる朝を、サプライズの贈り物みたいに思うようになってどれくらい経っただろう? 人恋しくてたまらず、シャツの裾を引っ張ってでも隣にだれかいてほしい夜明けもたしかにあったはずなのに。眠りと覚醒のあいま、「わたしがわたし」を取り戻すぎりぎり手前の時間、それだけはゆっくりひとりでいさせて! と思いながら、たいていはオンに揺り起こされるのでいつも迷子みたいな気持ちになる。こちらへのんびりトコトコ向かっていたはずの自分が、途中でうっかり落とし穴に落ちてしまったみたいに。
とはいえ待望のひとり寝の今朝、たっぷりまどろみの時間を過ごしたところで、「わたし」はなかなかやってこない。あれこれ動いて一息ついたあとでも、一日がはじまる気配がない。洗面所に行くたびに目にする、こんもりとした衣類の山を無視できなくなって、ようやく洗濯機を回すことにした。そのまま床に座り込み、ドラムが回るのを眺めながら、エッセイに書けそうなことをケータイにメモ。洗濯物を干し、すべての部屋の掃除機をかけ終わるともうすでにクタクタだ。ダイソンのコードレス掃除機、トリガーがヘンに当たるのか毎回親指の付け根の皮がむけてしまう、その傷だけが、「わたし」が戻ってきたしるしみたいな朝だった。
あっという間に昼、パソコン仕事をしに思い立って車でIKEAヘ(とつぜん登場した車についてはまた別のときに!)。はじめての道に緊張しつつ無事到着、ラップトップを抱えながらフードコートを探してうろうろしていると、オンのクラスメイトの家族にばったり会う。人であふれるなか、わたしが先に見つけ、一瞬迷ってから声をかけた。休日にひとりでいることが、いまでもなんだかうしろめたい。もともとシンクロが起こりやすいたちなのか、いたるところで人に出くわすのだけど、ここに引っ越してきてからその回数は倍増中。ご近所に住むこの家族とも、別の場所ですでに2度ばったり会っていた。
「わ〜、また会ったね!」
「ねえ〜! オンは母のところ……わたしはフードコートで仕事をしようと思って(もごもご)……でも人が多くて迷っちゃった」
「ここ、エスカレーターで上がればすぐだよ。でも今日は混んでるかもねえ」
こうして不意打ちで人に会うのは、何度やってもぜんぜん慣れない。いつもなんだか恥ずかしくて、声がオクターブ高くなる。緊張からべらべらとしゃべり続けたあと、冷や汗をかきながらエスカレーターへ。2階へとゆっくり上がりながら、今日はじめて声を出したことに気がついた。そのことで、なんとなくうれしい気持ちになっていることも。だれかと言葉を交わしたことで、顔を見て人と話したことで、朝からずっと道草をくっていた「わたし」がようやくここに戻ってきた、そんな感じもあるなと思った。
案の定、激混みのフードコート、どうにか席を見つけてカフェテリアの列に並ぶ。ミートボールプレートとドリンクバーだけ注文。ひとりで12個は多すぎるよと思いつつ、リンゴンベリーのジャム食べたさに結局いつも頼んでしまう(これはミートボールではなくジャムがメインの食べものである……)。もりもり食べ終え、ラップトップを開く。学園のニュースレターに、教員養成講座を受けた感想を寄稿することになっているのだ。2年間わくわく通い母校となった学園に、今度は保護者として足を運んでいる。もうわたしは「生徒」じゃないんだ、ということに子どもっぽい感傷にひたりながら、なんとか脱稿、最後署名を入れるところでいったん手が止まってしまう。
オンが入学して数カ月後、学園でのわたしの登録名を旧姓に変えた。事務局にたずねると、所定の用紙に記入して提出すればいいとのことで、とくに理由は問われなかった。これまで教員養成講座では旧姓で参加していたけれど、オンの保護者として願書を提出するならやっぱり新姓だよね……と思ってそのように記入した。そういうわけで、とうぜん学園内ではそちらの名前で認識されることになった一方、もともとわたしのことを知っている先生たちは「菊池さん!」と呼んでくれる。そうした二重性を抱えていることがしだいに心苦しくなり、もろもろの集まりや係活動で自己紹介の必要があるときには、「1年生のオンの母ゆみこです」と名字を避けるようになっていた。でもそのたびに自分が何かを誤魔化しているような、そんな落ち着かなさを感じることもあって、迷ったあげく、ひとまず登録を変更することにしたのだった。
いわゆる「旧姓使用」が会社などビジネスの現場を中心に認められていることは、インターネットで調べて知っていた。旧姓を使った詐欺や私文書偽造など、場合によっては罪に問われることもあるけれど、会社や友人・知人間などで旧姓を名乗ることじたいは違法にはならないのだそうだ(そしてこれが選択的夫婦別姓に反対する政治家の言い分にもなっている……)。結婚して11年、決めた理由にロマンティックな側面がなかったといえば嘘になる。でも松樹もわたしも自営業者であることを考慮しての、現実的な選択だったと思う。名字が変わることについては、松樹は自分でもいい、と言っていたけれど、わたしが「いや、松樹のほうにしよう」と言った。主な理由は、松樹がこちらの姓になった場合、「きくち・まつき」とどっちも母音「イ」で終わる響きがコミカルすぎると思ったから。コンビ名みたいだし、なんだかちょっとおさまりが悪い。選択的夫婦別姓が認められていない日本では、必ずどちらかが姓を変更しなくてはならず、その上、夫の姓を選ぶ人の割合がいまも圧倒的に多い。でもわたしはそんな慣習や圧力に屈したわけじゃない、ただ音の響きへのこだわりが強いからなんだ、だからこれはわたしの選択で、わたしの自由意志なんだ……! そんなふうに思いながら11年、たしかにそれは事実ではあるけれど、ふり返って考えれば、自分を無理やり納得させようとした言い訳のように感じられなくもない。そしてその「自分の選択」にしても、慣れ親しんだのではない姓で呼ばれる違和感や苦しさを軽減してくれるわけでもなく、時を経て慣れるどころか、日に日に増していくのだった。
いったんコーヒーのおかわりを淹れに行き、逡巡しつつも旧姓のみの署名で原稿を送信。締め切りにぎりぎり間に合った。ヒュ〜ッという送信音を聞いたあと、少しだけひやっとした気持ちになる。登録を変更したとはいえ、とくに周知されるわけでもなく、またみんなに言って回る機会もすぐにはないため、「だれ?」と思われないかやっぱり気にしているのだった。ラップトップを閉じ、食料品でも見て帰ろうと階段を降りるも、雑貨と小物エリアに迷い込んでしまう。人混みのなか順路を早足でたどりながらようやく出口、駐車場に戻ってIKEAをあとにする。もうすぐオンが帰ってくる時間だ。
*
新姓で呼ばれることの違和感と、旧姓を名乗り続けることのうしろめたさに耐えられなくなったとき、図書館で『名前の哲学』(村岡晋一/講談社メチエ/2020)という本を見つけた。タイトルが示すように、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスから、20世紀の思想家ヴィトゲンシュタイン、ローゼンツヴァイク、ベンヤミンまで、西洋の形而上学がいかに「名前」をめぐって議論してきたのかを紐解く内容だった。そのまえがきには、導入として著者がかつて飼っていた愛犬「チロ」のエピソードが出てくる。幼少期に著者がかわいがっていたチロは、やがて病に冒され死んでしまう。悲しみに暮れる息子を励まそうと、父親はまた別の犬をもらってくる提案をするのだが、まだ子どもである著者はチロが「かけがえのない、代えの利かない存在」であることをうまく伝えることができない。そしてようやく出てきたのが、「だってチロはチロなんだから!」という言葉だった。その愛くるしさでも、性格のやさしさでもなく、チロという名前こそが、あの犬のかけがえのなさを保証してくれるとでもいうように。
われわれは自己紹介するときに名前をまず言うし、自分の名前が侮辱されれば、自分自身が侮辱されたかのように腹が立つ。[…] 世界のさまざまな民族のなかには、自分の本名を他人に明かすことをタブーとするものもある。自分の本名を他人に知られ、その名前で呼ばれると、他人に自分の魂を奪われ、完全に支配されてしまうからである。「名前」は当人にもっとも「近いもの」であり、彼のアイデンティティの本質的な部分をなしている」-『名前の哲学』村岡晋一/講談社メチエ/2020
戸籍上の姓が変わったことでがっかりしたことのひとつは、そのことについて話題にされたり、とくに疑問を持たれたりしなかったということだった。わたしにとって、それはたとえば背がいきなりものすごく伸びたとか、毎日仮面をかぶって生活を送りはじめたとか、だれにとってもわかるくらい、ほとんど物理的なまでにリアルな変化だった。それなのに、そのことに触れられないことがものすごく不思議で悲しかった。役所で、病院で、銀行で、まるでそれがずっとそうであったかのように、わたしは新姓で呼ばれるようになった。そのたびに、いったいどんな顔をしたらいいのかわからず、本当に仮面をつけているみたいな気持ちになった。
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帰りの道路はかなり渋滞していて、家につくとすぐにオンが帰ってきた。母の車からオンの荷物を取り出し、手を振って母たちを見送った。車に乗る人を、というより母を見送るときにはいつもかすかに不安な気持ちになる。子どもの頃と同様、指で見えないサインをつくり、こっそりおまじないを唱えておく。オンと部屋に戻ろうとすると、隣の棟に住む上級生のSが階段を降りてきた。彼女のことが大好きなオンは、見つけるとすぐに駆け寄っていく。「これから買い物に行くよ〜」と伝えると、「うちも行くと思う!」とのこと。荷物をいったん部屋に置き、買い物バッグに保冷剤を入れていると、窓の外から「オーン!行こー!」の叫び声。オンとSと弟のKと共に、ふたりのお父さんTの運転する車に乗り込んですぐ近くの生活クラブに。店の前でエチゴビールの試飲をやっていたので、わたしだけ飲ませてもらう(運転されないかたで、大人のかた…はわたしだけ)。思いがけないアルコール摂取にうかれながら買い物を終え、わたしは子どもたちとゆっくり歩いて団地に帰った。部屋に着くと、Tがウーバーよろしくドア前に買い物バッグを届けてくれていて、また楽しい気持ちになる。
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「どうして名前に、それも旧姓にそんなにこだわるの?」と、実際には問われたこともない、それでもSNSの路地を徘徊していればぶち当たるような質問に、いつだって答えを用意しておかなきゃと思っていた。でもこれは姓に限らずそう。何かしらの意見を持ったり、変化を求めようとするたびに、その理由を明確に説明しなくちゃいけないような、つねに準備しておかなきゃいけないような、そんな焦りがずっとあった。言葉にして証明できなくては、その思いや願いが存在する正当性が消えてしまうとでもいうように。それが世間的な圧力からなのか、それとも自ずと湧いてくる表現への渇望なのかはよくわからない。選択的夫婦別姓の実現を強く求め、そのことについて学びはじめたことで、フェミニズムや人権といった観点からもその回答を導くことができるのだと知ったし、これからもっと言葉にしていきたい(そしてこれは同性婚など婚姻の平等を求める上でも同じ)。新姓に変更するにあたって個人に時間的・金銭的なコストがかかることも、また通称として旧姓を使い続けることの精神的な負荷があることも、実体験としてよくわかっている。でも、もし、そうして学びとった知識や知恵からはいったん離れたところで、自分自身に問いかけてみるとしたらどうだろう。「どうして名前に、そんなにこだわるの?」 ただ、わたしひとりぶんの心、それだけに問いかけたらなら、わたしはなんて答えるだろう?
…「名前」は当人にもっとも「近いもの」であり、彼のアイデンティティの本質的な部分をなしている。
ところが他方、名前は当人にもっとも「遠いもの」でもある。人名はたとえじっさいには同じ名前の人が何人いようとも、本質的には世界中でただ一人を名指すことばである。それはいわば当人の独占物である。それなのに、人名はすべてのことばのなかで当人が自由に使えない唯一のことばでもある。[…] 私の名前は私を名指すはずなのに、私は自分にかんする発言にそれを使えない。[…] 私の名前はもっぱら「他者」によって使われるためのことばなのである(同上)
「名前の哲学が教える第二のことは、われわれが名前によって住みつく世界は、「他者とともにある」世界だということである。名前はもとより「呼びかける」ためのものであり、それが開く世界は他者の存在をすでに前提としている。(同上)
図書館でこの箇所を読んだとき、うれしくて思わず天井を見上げた。長年自分が抱えていた思いに、ようやく言葉が与えられたような気がしたから。だってそうなのだ、わたしが名前にこだわっているのは、自分がいかに「名乗りたいか」といった一方的なアピールを求めてのことじゃなかったのだ。むしろそれは、人からどのように「呼びかけられるのか」ということで、それは人と人との関係性についての根源的な問いなのだと、ずっと思っていたからなのだった。
「名前は呼びかけるためにある」。筆者はユダヤ人思想家フランツ・ローゼンツヴァイクの言葉を引き、彼が展開した「対話」の概念にも触れながら、このことについてさらに次のように説明している。たとえば「わたし」が友人と散歩をしているとき、とつぜん気を失って倒れたとする。すると友人は、大慌てで「わたし」の名前をくり返し叫ぶことだろう。「〇〇、〇〇!」そして「わたし」がその呼びかけに応答できたとき、友人はほっと胸を撫で下ろす。そのとき、「わたし」がようやく「我に返った」ことがわかったからだ。だから名前とは「呼びかけ」であり、同時にそれに対する「応答」でもある。名前の前後にはいつも呼びかけと応答があり、それを通じてわたしとあなたが立ち現れ、「対話」がはじまる。
私は自分の名前を呼ばれることによって「現在へ、みずからの現在へ、みずからの内面に、おのれ自身のうちに呼び戻されるのである」(同上)
名前はわたしだけのためにあるものじゃない、あなただけのためにあるものでもない。それはきっと、わたしとあなたのため、その関係をつなぐものとして存在する。あなたがわたしの名前を呼べば、わたしはそれに応えることができる。新姓で呼びかけられてつらいのは、わたしがそれにうまく応答できないからなんだろう。いくら呼びかけられても、「わたし」は自分のなかで眠り込んだまま、あなたの前にやってくることができない。それはたとえば魔法の呪文のようなもの、呼ばれたとき、内側でビカビカッと閃光を放つなにか。わたしにとって、そのひとつがこれまで慣れ親しんだ旧姓なのであり、それが新姓だという人も、またニックネームやペンネームであるという人だっているだろう。わたしだってそう、他にもいくつかの呼び名がある。わたしの目を覚まし、わたしを「我に返して」くれるような名前が。ぜんぜんロジカルじゃない、法的には説得できそうもない、それでもそんなふうにしか答えられないことがたしかにあって、わたしはそれも無視したくない。それはたぶん、わたしとだれかの、わたしとあなたの関係についての、パーソナルで親密であるはずの問題なのだから。
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「ウーバーで届いた」買い物バッグから食材を取り出し、冷蔵庫に入れる。子どもたちはそのままうちにいて、わたしが剥いた巨大なナシをもりもりとおいしそうに食べている。そのあいだにお米をといで鍋を火にかける。味噌汁のための玉ねぎを切り、わかめを水で戻しておく。あとはピーマンとツナの炒めものをつくり、母がくれた竜田揚げを温めれば今日の夕飯のできあがり。一通り準備を終えたところで、Sたちは家に帰っていった。オンは「S〜! K〜! ばいば〜い!!」と名残惜しそうに窓から顔を出してふたりの名前を叫んでいる。味噌汁ができたところでオンを呼び、いただきます。今日もわかめはどろどろに煮えて、それはオンのお気に召すところじゃない。ごめんごめん! と言いながらわたしだけあっという間に食べ終え、リビングの窓の外をぼんやり眺めていると、とっぷり日が暮れ、夜。わたしたちは毎晩、毎晩、ひとり眠りの世界を訪れながら、だれかに名前を呼ばれる朝を待っている。
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プロフィール
文章と翻訳。2020年よりパーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたzineを定期的に発行。zineをもとにした空間の展示や言葉の作品制作も行う。主な著書に『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』(twililight)、訳書に『人種差別をしない・させないための20のレッスン』(DU BOOKS)などがある。現在はルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーに取り組みつつ、新しく引っ越してきた郊外の団地にて、長年苦手としてきた「人とともにいること」の学びと向き合っている。