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2024.11.04更新

人といることの、すさまじさとすばらしさ

きくちゆみこ

この連載は、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』のきくちゆみこさんが、新しく引っ越してきた郊外の団地にて、長年苦手としてきた「人とともにいること」の学びと向き合いながら、日々の出来事を書き綴っていきます。


第3回「名前、人をつなぐ呪文としての②」2024年10月☽日(金)の日記

「名」とは誰のものなのだろう。私の名、私に固有の、その大切な名を、あなたに無条件で差し出すという行為、それはあなたに、あなたのものとして、私の名を贈るということなのではないだろうか。/『彼女の「正しい」名前とは何か』岡真理

8時、寝ぼけ頭のままオンたちを送り出しようやく動き出す。シンクに残してあった食器を洗い、リビングだけささっと掃除機。お湯を沸かしてマカイバリ茶園のアールグレイティーをポットで淹れる。クラスメイトの母で、パティシエでもあるRが作ってくれたレモンケーキが今日の朝ごはん。

自転車で近所のショッピングセンターへ。朝のフードコートは人もまばらで、館内放送のジングルだけが調子よくじゃかじゃか鳴り響いている。コーヒーを飲みながらケータイを取り出し、前回書いたエッセイ日記のリンクをクリック。ふだんは原稿を書き上げ、ウェブにアップしてもらったあとではしばらく読み返さない。自分の文章にダメ出しをしたくなるし、書き直したい衝動に駆られてつらいから。それでも前回は政治的な話題に触れたこともあり、なんだか落ち着かない気持ちですでに何度もページをスクロールし続けている。

SNSで「選択的夫婦別姓」と検索すればいくらでも出てくる投稿の、推進派のメッセージには「そうだそうだ!」と前のめりになりながら、そこについた否定的なリプライを見ればすぐさま反駁したい衝動が爆発する、それでも最後にはどうにもやりきれない気持ちになってしまうのは、本来訴えたいはずの相手が現実にはいないからなんだろうか。ケータイを開き、誰かの意見をちらっとでも目するたびに、「呼びかけられた」と思ったわたしはすぐに反応してしまう、はじめは表情で、それから感情で、そしてようやく言葉を見つけたとき、応答すべき相手はもうそこにはいない。宛名のない、呼びかけの名前の書かれていない、いくつものメッセージに毎日さらされて生きている。そういうわたしも、自分の書きものを通じて同じように誰かに呼びかけ、ふり向かせ、そうして生まれた応答を、知らずのうちに無視し続けているのかもしれない、そんなうしろめたさを感じながらケータイをしまい、コーヒーを飲み干して席を立った。

駐輪場に戻り、そのまま自転車で学園へ。途中、ひとりまたひとりと保護者たちに出くわし、青春ドラマみたいに自転車で連なりながら高学年の校舎に到着した。今日は9年生が取り組んでいた英語劇の発表の日。わたし自身も幼少期から大学時代まで、英語と日本語の劇活動をしていたのでなんだかなつかしい。それが母語であれ、他言語であれ、演劇というのは演者も観者も、キャラクター同士のやりとり、そのあいだに発生する目には見えない何かを見よう、聞き取ろうとするものなのだなとあらためて。大人も子どももホールに集い、ぎゅうぎゅうと膝を抱えて座りながらケラケラ笑ったゆかいな時間だった。

お迎えまでに1時間ほどあったので、クラスの母ふたりと団地のコミュニティカフェへ。ここは赤ちゃんからお年寄りまで誰でもウェルカムで、日本語・英語教室を開催するなど、インド系住民との交流の場にもなっている。同じく劇を観に行っていたご近所のTも加わり、4人で四角いテーブルを囲む。日替わり定食700円、今日は魚のフライと数種のお惣菜、お味噌汁にごはん、それからおまけでジャック・オ・ランタンのデコレーションクッキーまでついていた。小さなテーブルの上、定食のトレイをパズルのようにうまく並べて、いただきます。Tにふたりを紹介したり、劇の感想を言い合ったりしているうちにあっという間にお迎えの時間。

*

「ゆみこちゃん」、「おゆみ」、「ゆみちゃん」、「ゆみこさん」、etc…これまでいくつもの呼び名で呼びかけられてきた。そのなかで「きっちゃん」はいちばんあたらしく、いつのまにか松樹が呼ぶようになってから、いまでは会う機会が減ってしまったふたりの友人に伝わっただけ、その後松樹からの呼びかけも「きち」に変わり、以降オンが生まれる前まではほとんど使われることがなくなっていた。

「きっちゃんだよ、オン、きっちゃんがここにいるよ」。生まれてきたばかりの赤子を前に「ママ」と自分を名乗ることができなかったわたしは、オンの顔をのぞき込みながら何度もそうくり返していた。そんな呼びかけに応えるように、オンはわたしを「きっちゃん」と呼び、いまでは一日のうちにもっとも耳にする名前になっている。「きっちゃん起きて」、「きっちゃん、これ見て」、「きっちゃんってば、もう!」 一日のうちに何度も何度も、それでもたったひとりから。

ところがここに越してきて、いま、その呼び声がさらににぎやかになっている。1学期の終わり、保護者間で生じたささやかな行き違いについて話し合うために緊急で集まったことがあった。その際、「気になることがあったらなんでも言い合おう」というムードが生まれ、いちばん年齢の若いRが、みんなの「呼び名」について思い切って話題にしてくれたのだった(ちなみに朝食べたレモンケーキを作ってくれたのが彼女である)。

「みんなのことを、何て呼んだらいいのかなってずっと思っていたんだ。さん付けで呼ぶとか、敬語を使ったほうがいいのか、それとも……? どうしたらもっとみんなと仲良くなれるかなって」

彼女の出身校でもあるシュタイナー系の学校では、子どもたちは年の差に関係なく「くん・ちゃん・さん」といった敬称をつけず、名前だけで互いを呼び合うことが多い。その背景には、名付けられた名前の音そのものの響きを大切にしようという思いがあるらしいのだけれど、結果として、学年をまたいで親しい交流が生まれているように思うし、個人的にはジェンダーを固定せず、同時によそよそしい感じも与えずに名前を呼べるのがいいなと思っている。オンも幼稚園時代から、先生・保護者も含めみんなから「オン」と呼ばれていたし、わたしも他の子どもたちのことを敬称なしで呼んでいた。そうするうちに、彼女/彼らが単なる「よその子」ではなく、オンと一緒に育つ身近な子どもとして自然と親しみが湧いてくる。一方、親同士はそれぞれ下の名前を知ってはいても、「〇〇ママ・〇〇パパ」というように子の名前に応じた認識がメインになり、いざ呼びかけようにもとっさに名前が出てこないことがよくあった。すると当然、相手に呼びかける機会も減り、オンが通っていた5年間、関係があまり深まらずに終わってしまったのだった。

だからこそ、Rの言葉を聞いてわたしはとてもうれしかった。立ち話の輪のなかで、大げさにうんうん、と何度も頷いていた。わたしも同じ気持ちだよ、わたしもみんなと仲良くなりたい。さん付けじゃなくて「ちゃん」で呼びたい。みんなが呼んでほしい名前で呼びかけたい、わたしが呼んでほしい名前で呼びかけてほしい。オンが生まれて、親になって、礼儀正しさとか遠慮とか空気を読むとか、あらゆる理由をつけて抑えつけていた思いが心のなかでスパークした。そして思わず、「じゃあわたしは、きっちゃんと呼んでほしいな……」と口にしていたのだった。これまでほぼ、オンだけが呼びかけ、オンにだけ応答していた、その名前を、いま、この場所で。

男女が恋愛関係になったとき、最初に「呼び名」を変えることは、今後ふたりが親密になるための大切なきっかけになる。ふたりの仲が深まったから呼び名が変わるのではない。呼び名を変えることで、これから別の深い関係に切り替わることを確認しあっているのだ。- 『うしろめたさの人類学』松村圭一郎/ミシマ社/2017

贈与論について調べようと読み進めていたこの本に、名前についてのエピソードが出てきたので驚いた。エチオピアでフィールドワークをしていた松村さんは、調査をしていた村の人々が「行動」をもとに「関係」を築いていたことに着目する。人は「『関係が〇〇』だから、ある行動のパターンをとるのではなく、その場に投げかけられた行為の蓄積」、たとえばコーヒーを飲みに誘うとか、プライベートな話を振ってみるとか、ふたりのあいだの「行為」を手がかりにして互いの関係を知ることになる。そして呼び名を変えることも、そうした行為のひとつなのだ。

相手との関係がどういう性質なのか。ぼくらは日々、互いに微妙な調整をしあいながら、その距離を感じとり、行為している。そして、こうした行為の繰り返しが、人と人との「関係」というひとつの現実をつくりだしている。(同上)

これは別に恋愛でなくても同じこと(そしてそもそも、恋愛関係は「男女」だけに限らない)。友だちだから、親友だから「ちゃん付け」もしくは「呼び捨て」で呼ぶのではない。親しみを込めた呼びかけをするから、そう呼びたいと思うから、互いの距離が縮まるのだ。みんなにきっちゃんと呼ばれはじめ、みんなのことをちゃん付けもしくは名前だけで呼ぶようになり、わたしの保護者生活はずいぶんラクになった。たとえばお迎えのとき、子どもたちが玄関から出てくるまでの数分間、ちょっとしたことでも話しかけたい、そのときのためらいがぐっと減った。深い話をしなくたっていい、ただふと、「おーい」とか「じゃあね〜」とか、ささやかな言葉を発するその前後、相手をふり向かせ、眉毛を上げて微笑み合う、それだけのために名前を呼ぶ、そのハードルがものすごく下がったのだ。

今日だってそうだった。そんな感じでなごやかに会話をしているうちに、子どもたちが玄関からわらわらと飛び出してきた。うれしそうに母親に抱きつく子もいれば、オンのようにメガネの奥でじーっと訝しげな眼差しを向けながら近づいてくる子どももいる(オンはツンデレなのだ)。今日はちょうど、親が下の子のイベントでお迎えに間に合わないHをうちでしばらく預かることになっていた。

「オン、おかえり。それからHもおいで、一緒に帰ろう」

「A、また明日ね!」

「おーい、S、K、気をつけて! 自転車が来てるよ!」

そんなふうに自分の子も、他の子も、名前そのままで呼びかけながら、いつものようにわいわいと赤みちを歩いて帰路についたのだった。

*

朝、ショッピングセンターでケータイをスクロールしているとき、新着メールにパレスチナの教育機関からニュースレターが届いていた。オンとHが部屋で遊んでいるあいだ、夕食のしたくをしながらそのメールを開いてみる。春にインスタグラムを通じていちど募金したことがあった、ヨルダン側西岸地区にあるパレスチナ唯一のシュタイナー幼稚園および小学校。シュタイナー教育を実践するだけではなく、ノン・バイオレント・コミュニケーション(NVC)や、子どもたちのトラウマに配慮したトラウマ・インフォームド・ケア(Trauma-informed care)も取り入れており、アラブの女性たちを対象にした教員養成講座もここで開催されているという。

隔離壁に囲まれ、襲撃される恐怖に怯えながら育つ占領下の子どもたち。生まれてからまだ数年しか経っていない、本来ならまだ夢の世界にいるような子どもたちに、大人であるわたしたちはいったい何を教えることができるだろうか。もしそれが「この世界はいい場所だよ、いる価値があるよ」であるならば、この現実を前にわたしたちはどのようにそれを伝えることができるだろう? 頭だけに働きかけるのではなく、歌声や色彩といった芸術を通じて心を動かし、手足や体も存分につかう全人的=ホリスティックなカリキュラムが組まれているシュタイナー教育は、“An education that heals”「治癒」としての教育ともいうことができる。この世界に生まれてきたことそれ自体を祝福し、畏敬の念を持って、子どもたちのまるごとの存在を迎え入れるような————。これほどまでにシュタイナー教育が必要とされている場所はないんじゃないか、そして教員養成が喫緊の課題としてある地域はないんじゃないか、と思いながら、わたし自身は教員養成で習得したはずの知識や知恵をまだ誰にも還元できていない、その事実にはずかしくなってしまう。

大きめに乱切りした大根を蒸し、茹でた薄切りの蓮根を梅干しと黒糖とかつおぶしで和える。すると料理のにおいにつられたのか、Hが台所にやってきた。

「ねえきっちゃん、それ晩ごはん? 何作ってるの?」

これはねえ、蓮根だよ、甘酸っぱくておいしいよ、と言いながら、Hと、遅れてやってきたオンが差し出す手のひらに蓮根の薄切りを一枚ずつ載せた。それだけでいっぱいになるくらいまだ小さい手のひら。おー、おいしー! と目を丸くするふたりの声を聞いて、いまはとにかく目の前にいるこの子たちの呼びかけにちゃんと応えなくては、と思う。そして同時に、パレスチナにいる名前も知らない子どもたちのことだってどうしても「よその子」とは思いたくなくて、それでも何もできない自分の無力さにシンとなりながら蒸し器のふたを開けた。吹き出した蒸気で一瞬あたりが白くなり、追って大根の甘いにおいがした。

Hが帰宅し、オンがお風呂に入っているあいだに夕食の仕上げ。蒸した大根を鶏ひき肉と出汁で煮て、少しの醤油、葛粉でとろみをつける。ちぎったキャベツをレモン風味のオリーブオイルと「ぬちまーす」で揉み、塩昆布を混ぜ込む。今日は味噌汁をつくる余裕はなく、白米とともに、いただきます。

*

オンを寝かせたあと、また紅茶を飲みながらしばらく本を読んでいた。岡真理さんの『彼女の「正しい」名前とは何か』。前回記事を書き終わったあと、とくに期待せずにふらりと入ったショッピングセンターの書店でこの本をぐうぜん見つけたのだった。タイトルに導かれてその場で手に取り、数ページめくってハッとした。

人と人とが出会う、ということ。出会い、という出来事において生起する、名を交わすという行為。私は、私の名を差し出す、私の固有名、私だけの名を、あなたに、あなたがその名を口にするために、私に向かって呼びかけるために。

「名」とは誰のものなのだろう。私の名、私に固有の、その大切な名を、あなたに無条件で差し出すという行為、それはあなたに、あなたのものとして、私の名を贈るということなのではないだろうか。あなたが、私に呼びかけるために、そして、私が、あなたのその呼びかけに応えるために。固有名、それは翻訳不可能なことば、ナショナルな言語ラングの枠組みの外部にあることば。名とは、私のものであり、しかし、それと同時に、私に向かって私の名を呼びかける他者のもの、でもある。-『彼女の「正しい」名前とは何か』/岡真理/青土社/2019

ハッとしたのは、前回引用した『名前の哲学』で書かれていたこととの不思議な一致があったからだった。そして『名前の哲学』がドイツ・ユダヤ思想をもとに論じられたものであった一方、こちらは現代アラブ文学・第三世界フェミニズムの専門家で、パレスチナ問題を中心に研究している岡さん自身の体験をもとに綴られている。とくに表題作となっている序章は、学生時代、エルサレムを旅した岡さんが思いがけず一夜を共に過ごすことになったひとりのパレスチナ女性との出会い————もしくは彼女との「出会い損ね」————のエピソードが起点になっている。

岡さんはパレスチナ人であるその女性から何度も手料理をすすめられるが、旅の疲れからふとんに潜り込み、頑なに断ってしまう。そして一台しかないベッドの隣に横たわる女性の体温を感じながら、邪魔にならないようにと体を縮めたまま朝を迎える。その女性の名前を、岡さんが訊ねたかどうかは書かれていない。それでも女性は朝、テラスで大きく両腕を広げながら、岡さんの名前を呼び、こう語りかけたのだった。

「マリ、よく見て。これがエルサレム、私たちの街よ。私たちパレスチナ人は、この街に何千年も前から暮らしてきたのよ。」

その呼びかけに対する応答の言葉を持たないまま、岡さんは旅を終える。

私は彼女に「出会った」のだろうか。「出会う」、という言葉の、その真の意味において? […]

だとすれば、彼女に真に出会わなかったことで、私が逸してしまったもの、とは何なのだろう。あの日、私が会ったパレスチナ人の女性、彼女はいったい誰なのか。(同上)

 

彼女は誰なのか。彼女の「正しい」名前とは何なのか。もし彼女に訊ねて、そして、彼女が自分はかくかくしかじかの者だと答えたとしたら、たとえば主婦であるとか、パレスチナ人女性であるとか、あるいは誰それの母であるとか答えたなら、それが彼女の「正しい」名だということになるのだろうか。私たちは、自分が何者であるかを、いかなる名で自分を呼んだらよいのか、本当に知っているのだろうか。(同上)

ほとんど気にかけることのない他者として、きっともう会わなくなるだろう、という予感を持ったまま、親しい呼びかけもせずにひと時を過ごしてしまった人たちがわたしにもいる。オンが生まれる前後、マタニティスイミングや産後ケア教室で出会った人たちがそうだった。「母」という属性のみをよすがに出会った彼女たち。わたしは彼女たちのことを、「〇〇さん」と名字にさん付けで呼んでいた。名前を訊ねたわけではない、出席確認の時などに先生たちがそう呼ぶのを聞き取り、勝手にそうしていたのだ。そこにいたほとんどが、結婚してまだ数年しか経っていなかったと思う。するとわたしは、彼女たちの旧姓も下の名前も知ることもなく、あたらしく得たばかりの、彼女たちの夫の姓で彼女たちを呼んでいたことになる(もちろん、夫が相手の姓を名乗っている可能性だってあるけれど)。

レッスン後、大きなお腹を抱えて、もしくはふにゃふにゃの赤子をスリングに入れて、定食屋やカフェで一緒にお昼を食べお茶を飲んだはずの彼女たちのことを、わたしはもう、何も知らない、知ることができない。もし、親しみを込めた名で呼びかけていたら、彼女たちとの関係は続いていたのだろうか。そしていま、彼女たちを「彼女たち」と一括りにして呼ぶことの小さな暴力に気付かされながら、わたし自身も新姓で呼びかけられる「〇〇さん」のひとりであったことを知る。

本を閉じると時刻は23時、食器はシンクに置いたまま、洗濯物もまだベランダで干されっぱなしの状態である。それより何より、明日からの旅の荷造りがまだぜんぜん終わっていない。学園はこれから6日間の秋休み、ひさしぶりに松樹の実家を訪れることになっている。ひとまずオンの着替えをリュックに突っ込み、洗面用具や化粧品をジップロックにまとめてスーツケースに入れようとしたところで、いやいやこれは明日の朝も使うのだ、とふたたび洗面所に引き返す。そんなことを続けながら時刻は0時、終電に飛び乗った松樹はまだ帰っていない。

大分県は国東半島にある自然豊かな松樹の実家。日本の夕陽百選にも選ばれている、うつくしい干潟ができる海岸近くのその集落では、住民のほとんどが松樹と同じ姓を共有している。親族ではない、血のつながりはない、ただその土地で暮らしていることで、みな同じ姓を持つことになったという。そのためか、ここに嫁いできた女性たちは、下の名前に「ちゃん付け」で互いを呼び合うことが慣習になっているらしい。もう亡くなってしまった松樹のおばあちゃんも、近所の人たちから「ウメちゃん」と呼びかけられ、その下の世代である松樹のお母さんも、みんなから「ツネちゃん」と呼ばれている。

はなから親しかったわけではない、いくら愛称で呼ぼうと埋まらない溝だってあるかもしれない。それでも、かつては別の場所で別の姓とともに生きてきたはずの女性たちが、はからずも同じ姓を持ったことにより、互いを親しげに呼び合うことになった。そのことをうれしく、そしてうらやましく思っていいのかわからないまま、荷造りはえいえんに終わらず、松樹が帰る気配もなく、旅立ちの朝はもうすぐそこ。

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