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2024.11.18更新

人といることの、すさまじさとすばらしさ

きくちゆみこ

この連載は、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』のきくちゆみこさんが、新しく引っ越してきた郊外の団地にて、長年苦手としてきた「人とともにいること」の学びと向き合いながら、日々の出来事を書き綴っていきます。


第4回「ていねいさと親しさのあいだで」2024年11月☂︎日(土)の日記

8時、松樹が出かける音で目を覚ます。オンは昨晩から母たちと三崎の家、だから早起きすれば仕事ができる……!といくつもアラームをセットしたはずなのに、毎度スヌーズで二度寝した。国東半島でのんびりしすぎたせいで、〆切を過ぎても原稿が終わっていない。お湯を沸かしてドリップパックのコーヒー、風邪気味なのでスプーン一杯のジャラハニー。残ったお湯でゾネントアのハーブティーを作って保温ボトルに入れておく。今日はこれから昼まで保護者会なのだ。お腹が鳴って、焼きおにぎりがあったかも、と冷凍庫をがさごそやっているうちに出かける時間。窓の外は雨、自転車で行けないことにがっくりし、それだけで気持ちが重たくなってくる。学園までは徒歩でも10分かからないのだけれど。

いつもよりシンとした休日の校舎は、それでも保護者会に事務仕事に係活動に……と大人たちが始終出入りして、平日とはまたちがう活気に満ちていた。とたんに緊張を感じつつ、傘もからだもぶるぶる振って玄関ホールに入っていく。梁や天井など、直角をできるだけ排した有機的な空間。そこにいるだけで不思議と呼吸が深くなってくる。紙クロスに水彩絵の具を重ねた壁は、動きがあって部屋そのものが生きもののよう(先生と有志の保護者たちによるDIYのたまものである)。子どもの成長に合わせ、暖色から寒色へ、教室ごとに色を変えていく。とくに1年生の教室は桃色で、ファンシーでもガーリーでもkawaiiでもない、ひたすら“welcoming”な温かみに開かれていて、足を踏み入れるたびにほわんと気持ちがほぐれるのだった。

同じように温かく迎え入れてくれる先生と、教室の前で握手を交わしながら「おはようございます」。子どもたちもこんなふうに毎日先生の手を握り、その温かさを感じながら教室に入っていく。「オン、おはよう」目と目を合わせ、微笑んで。そうしたごくささやかなこと、それが日々ちゃんとくり返されていくことが、どれほど子どもの心を支えてくれるだろう? やわらかな曲線、やさしい色、まっすぐな眼差しと誰かの体温。小さなころからずっとずっと、「外の世界」に求めつづけてでも、得られなかったそのすべてをいきなり与えられて、とっくに大人になったわたしはその恩恵にいつもあっぷあっぷとしてしまう。

円形に並べた子どもたちの椅子、それに1年生の保護者全員が腰掛けると、小さな教室はそれだけでいっぱいになる。4月からここまで、お迎え前の立ち話にイベント後のランチタイムにと、それぞれ忙しい合間をぬうようにゆるゆる関係を築いてきた。だからこうして教室を見回したとき、親しみを感じない顔はもうなくて、それだけで自分に小さな祝福を与えたくなる。

「会えば会うだけ会えるようになるし、会わなければだんだん会えなくなる」

だから、さあ、つべこべいわずに “Show up for yourself”(自分の人生に積極的に参加しつづけて!)。これまでの経験で学び取った、言葉遊びみたいなこの習慣の法則を、いまはとりあえず信じるのみ。

それでも今日、わたしはどうにも落ち着かない。近況報告を聞き、議題についての意見が交わされているあいだも、そわそわと浅い呼吸をくり返している。その理由は、あとから係のことで時間をとって発言する予定になっていたからだった。学内で行われるイベントのひとつを担当しているわたしは、その準備のために保護者からボランティアを募集することになっていた。日程と作業の詳細を伝え、挙手をつのって人数を把握する、たったそれだけのことなのに昨晩からずっと気が重かった。

*

子ども時代なら学級会や委員会、大人になってからは会議や総会など、あらたまった場所で何かを言わなくてはいけないことがいつもとても苦しかった。ふだんは口語で、なんなら「タメ口」で親しく話をしているメンバーと、急にまじめな顔をして集まりかしこまった口調でやり取りをする、そうしたことに慣れなくて、なんだかこわくて逃げ出したい気持ちになってくる。

何度もくり返し思い出すエピソードがある。大学時代、英語部に所属していたわたしは、運営側にまわる3年生になるにあたって、年末の総会で「所信表明」をすることになっていた。いつもの活動で使っているおなじみの教室に、いつもとはちがって先輩も後輩もスーツ姿でぞろぞろ集まってくる。襟のついたシャツが苦手なわたしはそれだけですでに居心地が悪く、何度も首元をひっぱってしまう。

同学年のメンバーとホワイトボードの前に立ち、担当するセクションや役職、その意気込みをひとりひとり述べていく。いよいよ順番が回ってきたとき、わたしは感極まって泣きそうになった。喉が詰まり、言葉がうまく出てこない。責任を負うのがいやだったわけじゃない、大好きなディスカッション・セクション、そのサブチーフとしてやりたいことがたくさんあった。だからその場で話したいこともたくさんで、でもそれは形式的な言葉じゃ伝えられる気がしなくて、そのせいで感情があふれ出し、涙まで出てきたのだった。ハンカチを口にあて、照れかくしで無理に笑顔を作りながらやっと言いたいことを伝えたあと、席に着く前に4年生の元部長が手を挙げた。

「ひとこと、いいかな? おゆみがそういう性格なのはよくわかってるよ、でもね、こうした場所では泣いたり、変に笑ったりしないほうがいいと思う。これから先に社会に出ていく、俺からのアドバイスです」

カスタマー対応とかビジネスマナーとか、アルバイト先でも会社でも、「おおやけ」の場所で「社会的」な対応が求められる場所ではいつもことごとく失敗した。高校時代にはじめて体験したアルバイトでも(バレンタイン期間のチョコレート売り)、ロサンゼルスで会社勤めをしていたときも(日系企業の事務仕事)、「客と店員」、「上司と部下」、もしくは「先輩と後輩」というような、ビジネスライクな関係に期待されるスタイルで会話することがむずかしかった。指示を出され、それを受け取り実行する。たったそれだけのことが、とくに権力勾配を前提にしたやりとりでなされると、とたんにうまくできなくなる。いや、実際にはできないこともない、むしろはたから見れば「そつなく」こなせているのかもしれない、でも家に着いたときには動けないほどへとへとになっている、それはどうしてだろう? 慣れの問題だよ、言葉もマナーもただの慣習、他言語みたいに習い取るものだと思えばいいよ、と言われてもほんとうに腹落ちする感じはなく、ため込んだ感情でぱつぱつになって、そのうちに逃げるように辞めてしまう、そんなことのくり返しで、だからやっぱり失敗なのだった。

「コミュニケーション」とはある内容を伝達することのはずだが、日本語のコミュニケーションについて取り沙汰されるのはいつも、内容そのものよりそれを伝える形に関する「問題な日本語」ばかりだという面も見逃せない。このことの背景要因としては、日本語が典型的な “敬語型言語” であることも無関係ではないものと考える。言語内に対人関係専用の小体系として「敬語」が存在し、つねにその “オン/オフ” が意識されることによって、言語形式に対する意識も強くなる道理だが、そのための敬語の “形” を聞き(見て)その規範的正誤ばかりに強く反応する様相が社会全体を覆うことになる。- 『イン/ポライトネス からまる善意と悪意』/滝浦真人・椎名美智編/ひつじ書房/2023・_

いま、フリーランスとして仕事を受ける際には、そうした日々のやりとりのストレスに悩まされることはない。それでも仕事関連のメールを書こうとするたびに毎回やたらと時間がかかり、送ったあとにはいつも肩ががちがちになる。「わかりやすく・丁寧に・簡潔に」。読まれることを想定したものを送るということは、必然的に相手の時間をもらうということで、だからこうしたマナーに異論があるわけじゃない。それでも、基本的に顔を合わせる機会がないなかで、お互いの表情や声色が感じられるような交流をしたいと思ったら、それはどこに託せばいいんだろう?「です・ます」調ははずせない、「☆」や「♡」をつけたらだめだろう、じゃあ、「かっこ笑い」はどうかな……? そんなことばかり考えているものだから、ふと受け取ったメールの文末にささやかな「*」がついていたり、勢いよく「!」が紛れ込んだりしていると、それだけでうれしい、泣きそうになる。以前、真面目そうだなと思っていた編集者から届いた書類に、かわいいゆるキャラの付箋が貼られていたことがあった。一気に心理的安全性がアップして、原稿もうまくかけた気がしたんだった。

*

「ねえ、もしみんながみんな、こんなふうに友だちみたいにしゃべり合えたとしたら、世界はどんな場所になると思う? 年齢も立場も関係なく、互いにフランクに話しかけていい、それがスタンダードなんだとしたら。世界はもっとやさしくなれる、安心な場所になれるって思わない?」

前回書いたように、現在わたしは身近な保護者のあいだでは互いを「ちゃん付け」で呼び合い、しゃべりかたも「タメ口」を使うことが多い。このように関係をはじめられたことが、早い時期にちゃんとみんなでコンセンサスを取り、語り合いやすい環境を育みつつあることがうれしくて、その夜、帰宅した松樹にすぐさま伝えたのだった。

「でも、どうして大人になると最初からタメ口を使っちゃだめなんだろう? どうして当然敬語なんだろう? もはやそれが礼儀とも思わないくらい、生まれつきインストールされたしゃべりかたみたいに。もちろん途中から切り替えることもできる、どちらかが思い切って使いはじめることもできる。でもたいていは互いの了承が必要で、それなしに使うのはなんとなく失礼で、だから迷ったりためらったりしているうちに言い出すきっかけを逃してしまう。もっと親しくなれたかもしれないのに、言葉遣いひとつではばまれてしまう関係がくやしい、ていねいさばかりに目がいって、置き去りにされる心がいつもある、それがさびしい!」

呼び名だってそう、わきまえとして自動的に「さん付け」で呼ぶんじゃなく、呼んでほしい名前を伝え合ったらいいのに、 中学1年生のときにはじめて開いた英語の教科書にあったみたいに。「こんにちは!わたしの名前は〇〇〇。〇〇って呼んでね。あなたは−−−?」ほんとうに礼儀正しさをもとめるなら、相手の存在をまるごと敬おうとするなら、出会いのシーンはこんなふうになるんじゃないのかな……?

「おい、おまえ工作クラスにいるよな!」ナッシングはとても社交的な人間だ。

「チャーリーっていうんだ」ぼくはできるだけ恥ずかしがっていないように言った。

「おれはパトリック。こっちはサム」彼はとなりにいたとてもかわいい女の子を指して言った。

彼女はぼくに手を振った。

「こんにちは、チャーリー」サムはとても素敵に微笑んだ。

[…]

そうだ、彼も自己紹介したことだし、これからはナッシングを「パトリック」と呼ぶことにしよう。サムはそう呼んでいることだし。- 『ウォールフラワー』/スティーヴン・チョボウスキー、小西未来訳/株式会社アーティストハウス/2001

教科書だけじゃなかった。翻訳小説や外国映画を通じて、わたしはこうした自然な名乗り合いの場面に憧れを持ちながら育ってきたのだった。この小説の舞台は高校だけれど、ある程度の年齢を重ねても、それがたとえば大人の社交の場であったとしても、たいていはファーストネームで名乗り合い、すぐに打ち解けた会話をする(その理由が字幕の文字数制限だった可能性もあるけれど)、そんな社会のありようがずっとうらやましくてしかたがなかった。

「うーん、その気持ちはわかるけど……でもそういうのに時間がかかる人だってやっぱりいると思うんだよね。文化? 習慣? よくわからないけど、敬語を外してしゃべることにどうしても慣れない人もいるし、そうしてあえて距離をとることで、安心して友情を育める人もいる。名前だってそうじゃない? 呼んでほしいっていうのもわかる、それをリスペクトしたい気持ちもある。でも、いきなり呼び捨てにするのはぼくにはちょっとむずかしい。できるけど、たぶん自然に言うには時間がかかる。そういうのって、ゆっくり関係を築くなかで、自分で見つけていきたいとも思っちゃうんだよね。ゆみちゃんからきっちゃん、それから“きち”って、一緒にいるなかかでいつのまにか呼んでいたみたいに」

帽子や上着、巨大なリュックに重たい銀塩カメラ、そしてCDウォークマンにヘッドホンを身につけ、時間も距離もよっぽど遠いところから戻ってきたみたいな松樹は、そのひとつひとつを取り去りながら話を続けた。

「それに、ビジネスの現場とか事務的な伝達とかで口語を使わないのは、そのほうがシンプルに情報が伝わるからじゃないの? です・ます調に切り替えることで、ここからはメモすべき内容ですよっていうのに気づきやすいしね」

一つは、敬語の使用は、飽くまでも「自己表現」であるべきだという点である。「自己表現」とは、具体的な言語表現に際して、相手や周囲の人との人間関係やその場の状況に 対する自らの気持ちの在り方を踏まえて、その都度、主体的な選択や判断をして表現するということである。[…]

例えば、敬語使用に関連して、「心からは尊敬できない人にも敬語を使わなくてはならないか。」とか「相手によっては敬語を使うとよそよそしくなる気持ちがする。それでも敬語はいつも使わなくてはならないか。」といった疑問を聞くことがある。それぞれ、敬語の固定的な使い方にかかわる疑問である。本指針では、そのような固定的な考え方は選ばないこと、そして、その都度の人間関係や場の状況についての自らの気持ちに即した、 より適切な言葉遣いを主体的に選んだ「自己表現」をすることを目指したい。この場合も、 前述の「相互尊重」の姿勢を基盤とすべきであることはもちろんである。- 文化庁、「敬語の指針」より

「とにかくさ、決まりだからそうしなくちゃいけないんじゃない、敬語を使うことが心地いい人もいるし、親しくするのに時間がかかる人もいる、そのことを忘れたり蔑ろにしたりしなければ、失敗なんかしないよきっと……」

と松樹は言ったんだったか、それともわたしがこの会話から見つけ出したひとつの答えだったのか。

*

桃色の教室にて、保護者会はぶじ終わった。わたしはと言えば、前の晩に用意していたメモにちらちら目をやりながら、それでも伝えるべきことを伝え、ボランティアの人数もちゃんと確保することができた。最後には「さあさあ、どうですか、ぜひ一緒に作業しませんか!」とテレビショッピングみたいな口調になって、調子に乗りすぎてしまったけれど。

玄関を出ると外はまだ雨、さっきよりも雨足が強くなった気がする。傘をずばっと開いてさよならを言い合い、いったん家に戻る。今日はこれから高校時代の同窓会がある。全員は来られないけれど、クラスメイトのひとりが数年前に葉山にひらいたイタリアンレストランに、先生を含め10人ほどが集まる予定になっていた。

昨年末、ふとしたきっかけでクラスのLINEグループにつながった。苦手なはずのこうした集まりにそれでも行こうと思えたのは、同じタイミングで出版されたエッセイ集『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』で、彼女・彼らのことを書いていたからだ。上にも挙げた『ウォールフラワー』を引用しながら書き上げた最後の章「壁の花ではなかった」。

そしてあの頃、わたしの周りには彼女以外にもたくさんの人たちがいた。わたしはいつのまにか壁から離れて、たくさんの人に話しかけるようになっていた。一緒に「放送部あらし」をして、放送室から勝手に好きな音楽をかけまくった仲間も、大晦日のたびに「うちで『200本のたばこ』を観ながら年越ししようよ」と誘ってくれる地元の友人もいた。「サウスパーク」の新エピソードで盛り上がった男の子も、駅前のモスバーガーでわたしに「つきあってほしい」と言ってくれた男友だちも。

[…]

高校最後のクリスマス、彼女と一緒にクラスの子たちに呼びかけて、みんなで「シークレット・サンタ」をやった。『ウォールフラワー』に出てくるプレゼント交換ゲームで、それぞれくじ引きで引いた相手のサンタになり、その人の好きなものを想像してクリスマスにプレゼントを贈り合うというもの。それはわたしが人生ではじめて主催したパーティだった。- 『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』/きくちゆみこ/twililight/2023

2年生、3年生と高校最後の2年間を一緒に過ごしたメンバーのなかには、最後まで「くん・さん」で呼び合う人たちもいたし、ずっとタメ口であっても、とくに親しく会話をせずに終わってしまった人もいる。でも、それでも、こうしてグループに登録されたメンバーのアイコン写真と名前をひとつひとつ眺めながら、わたしはみんなのことがなつかしい、とてもいとおしい。卒業からすでに22年の月日が流れ、みんなもう40歳だ。

松樹の言うように、「仲良くなる」のスピードは関係性の数だけあって、それはわたしだけがコントロールできるようなものじゃない。出会った瞬間にスパークするような関係もあれば、2年かけても一向に距離が縮まない相手だっている、でもそれでいい。そうするうちに22年経って、会わないあいだに大人になって、いま、わたしたちにはどんな話ができるだろう?

天気予報のアプリを開くと、逗子・葉山駅周辺はこの先60ミリ以上の豪雨予報、ずぶ濡れ必至だと思いながら、ひさしぶりのワンピースをクローゼットから出し、ゆっくりと身繕いをはじめる。

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