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2025.03.03更新

人といることの、すさまじさとすばらしさ

きくちゆみこ

この連載は、『だめをだいじょぶにしていく日々だよ』のきくちゆみこさんが、新しく引っ越してきた郊外の団地にて、長年苦手としてきた「人とともにいること」の学びと向き合いながら、日々の出来事を書き綴っていきます。


第7回「お風呂のパラダイス」 2025年2月♨︎日(火)の日記

一日に3回お風呂に入っていた時期があった。食事をとるとか、トイレに行くとか、そのくらい当たり前みたいに何度も湯船に浸かっていた。あの頃は毎日、指の皮がふやふやだった。オンが生まれてくるずっと前のこと。

*

6時半、アラームと一緒に飛び起きた。身支度を整えつつ、お湯を沸かして3人分の白湯を入れ、朝食を作りながらてきぱきとオンのお弁当箱におかずを詰めていく。ポッドキャストを聴きながら洗濯物を干し終えたところで、オンと松樹が起きてきた。ふたりがのんびりとご飯を食べているのを横目に、大小のタオルをかばんに詰め込み、家を出る。ここから車で20分、住宅街のど真ん中にある丘の上のスーパー銭湯は、どの駅からも遠いわりに人気が高く、昼前にはあっという間に混んでしまう。とくに週末は家族連れでにぎわい、入場制限がかかるんじゃないかというほど大混雑、だから行くなら平日、それも朝の時間に限るのだった。

8時ちょっと前に到着、それでも2階分ある駐車場はすでに1/3ほど埋まっている。入り口から少し遠いスポットに空きを見つけ、荷物を持って館内に入った。靴箱に靴を入れ、鍵を引き抜く。このロッカーキーですべての精算が可能、帰り際に支払いをするシステムだ。キーをピッとかざして入場し、カウンターに立ち寄って別料金の岩盤浴を申し込む。派手な和柄の館内着と分厚いタオルの入ったビニールバッグを受け取り、早足で浴場に向かった。

ここに越してきてからほぼ一年が経つ。これまでの日記で綴ってきたように、ずいぶんたくさんの変化があったけれど、いちばんの出会いは、実はこの「スーパー銭湯」だったかもしれない。きっかけは、昨年新居に遊びにきてくれた友人の何気ないひとことだった。

「このエリア、スーパー銭湯がたくさんあるよね。だから実はしょっちゅう来てたよ」

すぐにGoogleマップを開いて「スーパー銭湯」と打ち込んでみると、なるほど、自宅から最も近くでは車で10分のところにひとつ、ほかにも30分圏内に10個近くもピンが立ったので驚いた。一度行ったら最後、あっという間にハマってしまい、いまは週に一度、時間がゆるせば多くて週に二度ほど、いくつかの店舗をめぐっている。ほとんどの施設にワーキングスペースが用意されていることに気づいてからは、ラップトップ持参で、お風呂や岩盤浴を行き来しながら合間で仕事をするようにもなった。パソコン作業でがちがちに冷えた体を温め、ゆるめることができてたいへん助かっている。

スーパー銭湯を気に入った理由は、なんといってもその広さにある。脱衣所だけでも迷路のように思えるほど、とにかくロッカーの数が多い。今日のような平日の朝は、同じ通路に人が見えないほどがらんとしていて、焦ることなく着替えができる。小さなタオルを手に、給水機で水をたっぷり飲んでから浴室のドアを開けた。

わたしの他には、ざっと見てすでに先着が20名ほど。数字だけ見るとひるみそうになるけれど、内風呂に外風呂、サウナも合わせて10以上のゾーンに分かれているので窮屈な感じはまったくない。すかすかの洗い場でシャワーを浴び、ここの一押しらしい高濃度炭酸泉につかる。すぐに皮膚の上に小さな泡がつぶつぶと浮かび、わたしは目を閉じた。

*

一日に3回お風呂に入っていたなんてすっかり忘れていた。年が明け、3学期がはじまると、オンではなくわたしの方が「大人の不登校(?)」ムードにとらわれてしまった。人に会うことがこわくなってきちゃった、っていうか出かけるために着替えたりメイクしたりするのがしんどい、うっかりするとまた引きこもりになりそう、と泣き言を言うわたしに、松樹はこんなふうに返してきたのだった。

「そういえばさ、きちは前、一日に3回お風呂に入ってたよね」

引きこもりになっちゃうっていうより、なれないことがつらいのかもしれない、オンがいるし、学校の仕事もつながりもあるし、そう、問題なのはちゃんと引きこもれないってことで(ぶつぶつ……)

「いやー、なつかしいね。あの頃は家から出ずに、ほとんど湯船で暮らしてたよね。帰ると、いつも蓋をテーブルにお風呂で晩ごはんを食べててさ。写真撮った気がする。そのときよりだいぶよさそうだよ、だから大丈夫」

松樹はいつもこんなふうで、わたしが深刻になりすぎないように冗談めいて話をはぐらかす。いつもはそれにイラッとして喧嘩になるのだけど、この時は不思議とすんなり受け入れることができた。いつものぼせてふらふらしていた当時のありようを思い出し、一緒に笑ったくらいだった。

たぶん、鬱だったんだろうなと思う。診断を受けていないし、そもそもこういう状態は時おりやってくるわたしの通常モードでもあり、病院に行くことすら思いつかなかったのだけれど。4年暮らしたロサンゼルスから逃げるように帰国して、松樹に出会えたのはすてきだったけれど、彼も周囲の人たちもみんな仕事が軌道に乗ったばかりで忙しく、一方のわたしは中途半端な学歴で自分に何ができるのかわからなくなっていた。とっくに別れを告げたはずの元恋人からは、時差と国境を越えて感情的なメールが届き、そのたびに罪悪感で押しつぶされそうになっていた。ジンをつくりはじめたのはその頃だった。父の事務所のレーザーコピー機を借り、Tumblrで書き溜めていた詩とも小説とも言えないようなつたない文章と、フィルムカメラで撮った写真を組み合わせて簡易なジンをつくっていた。作品と自分を切り離す健やかさのないまま、祈るように紙を折り、ホチキスを留め続けていたあの頃(留めるときのガチン!という衝撃だけが、暮らしにリアルな手応えを与えてくれた)。ジンを置いてくれそうな店をインターネットで探しては、勇気を奮い起こして営業に出向き、断られるたびに寝込むくらいに落ち込んだ。

でもまあ、体は健康なのだ。だからずっと布団に横になっているのは気が引ける、でも外に出る理由もなければお金もない、そんな日々、わたしをかろうじて垂直に保ってくれるのがお風呂だった。松樹とはじめて一緒に暮らした1DKのアパートは、材木店の上階にあった。エレベーターで階下に降りると電気ノコギリの音が聞こえ、切り立ての木材の匂いがした。台所の小さな窓から、遠くに目黒駅が見える。ECCのマゼンタ色の広告にでかでかと映った北野武を、松樹が連れてきた猫のテトが窓枠に飛び乗り、ジッと眺めていた。

*

そんなことをぼんやりと思い出しながら、ぬるめの炭酸泉に唇ぎりぎりまで浸かっていると、まるで海の底にいるような気分になってくる。誰かが引いた風呂椅子が石の床をすべるガーッという低い音が心地いい。ここではすべての時間が止まっている。いや、止まっているというよりも、あらゆる時間が一瞬で通り過ぎ、かと思えばまたすべて一からはじまっていく、そのくり返し、くり返し。ふと、そばにいた誰かが湯から上がろうと立ち上がり、あたりに小さなさざなみが生じた。打ち寄せる海の波よりもずっとやさしいそのさざなみに、わたしの体はふわっと揺られ、思わず目を開ける。客の数は増え続け、自分がいつの間にか頭にタオルをちょこんと乗せた人々に囲まれていることに気がついた。

お風呂はずっと大好きなのに、公衆浴場は大の苦手だった。幼稚園のお泊まり保育以来、キャンプや修学旅行、部活の合宿や友人との旅行など、泊まりがけのイベントではお風呂の時間がいつも憂鬱だった。

親のアテンションがいたるところに張りめぐらされていた実家暮らしの時代、家のなかでひとりになれるのはお風呂くらいしかなくて、だからそこはわたしにとって子どもの頃から完全なるプライバシーの砦となっていた。

そんな空間を人と共有するのは、なかなかハードルが高い。誰かがはしゃいでバタ足をするたびに、シャワーを無謀に操作するたびに、顔に水がかかる〜!と身構えてどうにも落ち着かない。大人たちに一方的に区切られた時間内で、脱衣から着衣までのすべての工程を終えなくてはいけないのも苦痛だった。大人になってからも、じっとり濡れた足拭きマットを素足で歩くとか、髪の毛が落ちた狭い脱衣所で身を縮めながら体を拭くとか、厄介な神経の過敏さのあるわたしには人と入るお風呂は刺激が強すぎて、リラックスどころかストレスが溜まる。だから自分がサウナーよろしく、公衆浴場にうきうき通うようになるなんて思ってもみなかったのだ。

それなのにどうしてだろう?

*

2年前、Japanese Breakfastのミシェル・ザウナーが書いたエッセイ、『Hマートで泣きながら』を読んだ。病床の母を看取ったことをきっかけに綴られたこのメモワールに、わたしはあらゆる面で心を揺さぶられ、いまでもことあるごとに思い出しては涙目になってしまう。そのなかに、韓国式の温浴施設「チムジルバン」を訪れる印象的な場面が二度出てくる。一度目は、ミシェルが当時住んでいたフィラデルフィアに、彼女の両親が遊びにきたとき。韓国人の母を感心させたいミシェルは、母と白人の父、そして同じく白人のパートナーを伴い、スンドゥブチゲ店で食事をし、みんなをチムジルバンに誘う。母と並んで体を洗い、増え続けるタトゥーに向けられた非難がましい母の視線を気にしながら、ミシェルは熱いお湯に身を沈める。

ソウルでよく行くチムヂルバンより、小型の施設だった。お風呂は水風呂に、ぬるめ、熱めと三種類あり、その向かいにシャワーが十ほど並び、ここでプラスチックのスツールに座って体を洗う。奥はサウナとヨモギ蒸しのスペースだ。母とわたしはシャワーを浴びると、いちばん熱いお風呂にそろそろと体を沈め、滑りやすい青いタイルに並んで腰を落ちつけた。-『Hマートで泣きながら』/ミシェル・ザウナー、雨海弘美訳/集英社/2022

それはミシェルの選択に落胆し続けてきた母が、はじめて彼女の恋人を「いい子じゃない」と認めた、思い出深いシーンでもあった。

二度目は母が亡くなったあと、ミシェルがそのチムジルバンにひとりで垢すりをしに訪れる終盤の場面だ。マッサージ台に乗り、もくもくと垢すりをしてくれるアジュンマ(おばさん)に発音だけは完璧な、つたない韓国語で話しかけながら、彼女は自分のなかに母から受け継いだものがどれだけ残っているだろうと不安と悲しみにとらわれていく。そうしてぴかぴかに磨き上げられた体にゆったりとした館内着を身につけ、岩盤浴ルームに向かい、翡翠の板に横たわるのだった。

一皮剥けたような洗礼を受けたような、まっさらで清潔で、くつろいだ気分だった。床暖房が入り、部屋全体が健やかな人の体内か子宮のような申し分のない暖かさだった。目を閉じると涙があふれて頬を濡らしたけれど、わたしは声を立てなかった。(同上)

友人からの情報を聞きつけたあと、わたしは近隣のスーパー銭湯を検索し、サイトをいくつかチェックしてみた。すると、どの施設も炭酸泉や天然温泉といった数種類のお風呂のほか、目玉となっているサウナ・水風呂と並んで「岩盤浴」も完備しているらしいことがわかってきた。そして、リラクゼーションコーナーには、通常のマッサージだけでなく「垢すり」があることも。

整然と並んだロッカー、くつろぎを与える館内着、あたりに立ち込める温かい蒸気と、チャポチャポ、パシャンと静かに響く水の音。その向こうから、誰かのくぐもった話し声がかすかに聞こえてくる——。画面をスクロールしながら、『Hマート』を読んで以来、ばくぜんと憧れていたチムジルバンのやさしく物悲しい情景が胸に流れ込んできた。そうなるといてもたってもいられず、オンと松樹が眠りについたある夜、車に乗り込み、最も近い施設に行ってみることにした。そこではじめての垢すりを体験し、ミシェルのようにアジュンマに「生まれたての子ネズミみたいなピンク色」に磨き上げられながら、あたたかく新鮮な気持ちで深夜に家に戻ってきた。その日から、わたしのスーパー銭湯ライフがはじまったのだった。

さすがにのぼせてきたので、炭酸泉を出て、屋外に続くドアを開けた。2月のシャープな冷気がほてった体に心地いい。ここの露天風呂には大型のテレビが設置されていて、いかにも平日の午前らしく情報番組が流れている。すでに湯のなかにいる人たちに混じり、ぼんやりとテレビの方を向いて座った。スタジオでは社会風刺の川柳を紹介しているらしく、アナウンサーやタレントたちがボードを見ながらあれこれ意見を言い合っていた。

「面くらう 米の高値に 麺喰らう」

川柳の内容はともかく、スタジオのわちゃわちゃとした雰囲気になんとなく気圧され、露天風呂から上がって少し離れた「寝ころび湯」に移動した。ブロックのような石の枕に頭を載せ、空を見上げながら、わたしはこうした「内輪ノリ」みたいなものがずっと苦手だったんだなと考える。学校でも、職場でも、グループが固定化しはじめると、気安さを感じると同時に、だんだんと逃げ出したくなってしまう。

それだけじゃない、仕事や読書なんかで頻繁に訪れる必要がある店なども、できるだけ常連のいない、もしくは自分がそうならない場所を選んでいる。こちらに引っ越してきてから、「郊外の暮らしはどう? 個人店がなくてつまらなくない?」と聞かれることもあるけれど、考えてみれば、東京に住んでいた頃と行き先は大して変わっていない。インディペンデントに活動する人々を応援したい気持ちはいつもあるけれど(だって自分もそうなわけだし)、仕事をするのも、読書でくつろげるのも、けっきょくは知り合いのいないような匿名性の高いチェーン店なのだった。

その最たる象徴がスーパー銭湯なのかもしれない。こうした場所は、「常連」を生み出すような親密な気配がない。もちろんわたしもすでに何度も通っているし、とくに朝方にはご老人たちの姿もちらほら見え、おそらく近所なのだろう、徒歩や自転車で来ている様子がうかがえる。彼らはまさに、この場所の常連に違いない。それでもわたしは、ここでぽつんとお湯に浸かっていても疎外感をまったく感じない。午前中はひとり客が多いからかもしれない。とはいえ、時間によっては親子や友人同士で来ている人たちにどどっと出くわすこともあり、彼らがわいわいと楽しそうに語り合うそのすぐ隣にじっと佇んでいたとしても、不思議と孤独感や閉塞感を覚えないのだった。

こんなに無防備な状態でスペースを共有しているというのに、なぜだろう。身につけているのは多くて小さなタオル一枚、こうして誰もがヴァルネラブルな体でいるからこそ、他者に対する絶妙な距離感が保たれるのかもしれない。基本的にみんな伏し目がちで、そばにいる人をじろじろ見たりはしない。たいていの人は何を考えているかわからない無表情で、それでも気持ちよさそうに湯に浸かり、同時に自分の世界に浸っている。かといって、電車やバスなどの公共機関で感じる無関心さとも違う。ちゃんと誰かがそこにいることを受け入れながら、それでもこれ以上関心を持ったら壊れてしまいそうな「何か」があることに気づいていて、その「何か」をみんなで守っている、そんな感じがする。人が人でありながら、そう、たとえばそこにある露天風呂にランダムに配置された岩と同じくらい、いい意味で「どうでもよい」存在に感じられるのだ。

そんなことを考えていると、近くで寝ていた人のタオルが突然の強風にあおられてわたしのそばにポチャンと落ちた。

「ああああ、ごめんなさいいい!!」

「いえいえ、だいじょうぶですよ!!」

淡いピンクのタオルを手渡しながら、ふいに現れた人の気配にとまどい、それでも数秒のうちにわたしも彼女もまた岩となり、浅い湯のなかに溶け込んでいく。

岩盤浴場にて、効能があるという小石が敷き詰められた寝床の上にタオルを敷き、横になりながら、ふと、ここにもミシェルのように静かに涙を流している人がいるかもしれないと考える。が、そんな想像を打ち消すかのように、健やかな寝息に混じって、すぐに「ぐお〜がお〜」と怪獣のようないびきが聞こえてきた。岩盤浴だけじゃない、スーパー銭湯にはのんびり人が休憩できる場所がいたるところに用意されていて、こんなふうに大胆ないびきをかいて爆睡している人もいれば、とれかけのメイクで、もしくは濡れたままのぼさぼさの頭で、所蔵された漫画を読んだり、ケータイをスクロールしたりしている人たちがいる。みんなでおそろいの館内着(ほんとに派手)を身につけながら、周囲の目を気にせずに思い思いに時間を過ごす人たちを目の当たりにして、わたしはなんとも言えない解放感に満たされるのだった。館内に流れるジングルよろしく、たしかにここは「お風呂のパラダイス」なのだ。

いびきの代わりにお腹がぐうぐう鳴りはじめたので、最後にレストランに向かう。生姜焼き定食をもりもり食べながら、BGMにマイケル・ウィンターボトム監督の映画『ひかりのまち』(原題:Wonderland)のサントラが流れていることに気づいた。マイケル・ナイマン作曲の、あのエモーショナルなインストゥルメンタルの名曲だ。うんうん、お風呂はパラダイスだし、ここはほんとにワンダーランドだよ、と思いながらあっという間にお迎えの時間。脱衣所に戻り、服を着替え、髪をととのえ、軽く化粧をし、すべての精算を終えて慌ただしく退館した。

*

お迎えまであと40分。車を飛ばせばじゅうぶん間に合う時間だ。オンの学校では低学年のうちは送り迎えが必要で、帰り道は多い時には10人ほどの子どもたちに同じ数の保護者にと、わいわいと集団になりながら歩くことになる。10分しかかからない道を、のんびり30分、ときにはその倍もの時間をかけて。子どもたちにとっては教室の延長、親たちにとっては貴重な社交の場になっている。ありがたいことに、いまでは誰とでも気安く話せるようになったけれど、他者との境界に問題を抱えているわたしには、毎日人と顔を合わせるのはやっぱり修行なのだった。

近づきすぎて傷つけたり、距離を感じて傷ついたり、またその逆もしかり。たとえ服を着ていても、みんなほんとうは傷つきやすい存在で、だからこそお湯のなかみたいに適切な距離が必要なのだよなと、思いながら、わたしはしょっちゅう道を踏み外し、帰り道でも迷子になってしまう。

軽い渋滞につかまってしまい、もう時間ぎりぎりだ。車を駐車場に停めると、まだふやけたままの手のひらをコートの袖にそっと隠しながら、学校へと続く赤遊歩道を早足で歩き出した。

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