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twililight web magazine

2023.07.14更新

わたしを覚えている街へ

竹中万季

街を歩けば忘れていた記憶がいくつも思い浮かんでくる。まるで街がわたしを覚えているかのように。
この連載では、twililightがある三軒茶屋に3歳から30歳くらいまで住んでいたme and youの竹中万季さんが、あらためて三茶と出会い、新しい関係を築いていく過程を綴っていきます。
わたしは自分が生まれ育った街のことをどれくらい知っているだろう。
地元を知ることは、自分を知ることかもしれません。
愛も憎しみもひっくるめてわたしを覚えている街へ。
毎月2回、会いにゆきます。


第1回「キャロットタワーの展望台」

三軒茶屋に来ると、このオレンジがかった茶色にいつも懐かしさを覚える。キャロットタワーの茶色。わたしが小さかった頃から変わらず、ずっとこの色だ。にんじん色にちなんで当時中学生が付けた名前が選ばれたらしいけど、いわゆるかっこいい名前のビルが多いなか、ゆるさのあるこの名前が結構好き。エスカレーターで2階に登ると、今はもう半分のフロアがユニクロに変わってしまったTSUTAYAがある。その横の道を抜けて、「スカイキャロット展望ロビー」の文字を横目にエレベーターで26階へ。世田谷の街が見下ろせる展望ロビーに到着した。

カフェスペースでおしゃべりする人たち、ベンチでくつろぐ会社員たち。エフエム世田谷の公開収録の声がいつものように聴こえる。展望ロビーってなんだかきらきらしたイメージがあるけれど、まったくきらきらしていない、少し寂しさが漂う展望ロビー。ここに来たのは、いつぶりだったっけ。

三軒茶屋は、わたしが3歳くらいのときから30歳くらいになるまで、ずっと住んできた街だ。35歳になった今はもうここには住んでいない。来るのは用事があるときだけになってしまった。それでも、こんなにも忘れっぽいわたしが目を瞑って頭のなかであちこち散歩ができるくらい、自分のなかに街のかたちがそのまま残っているし、街のあらゆる場所にはさまざまな時代の思い出が眠っている。だからこそちょっと気恥ずかしさがあるからか、なかなか進んで訪れなくなってしまった。

頭のなかの地図と照らし合わせるために、街を見下ろす。この街は東京にしては高い建物があまり多くないから、26階の高さでも十分見渡すことができる。世田谷通りがまっすぐ伸びていて、246はもうちょっと向こう側かな。右のほうを見ると、世田谷線がゆっくりと走っている。世田谷線の色が緑色ではなくなった以外はそんなに変わらないんじゃないかと思っていたけど、展望台に備え付けられてあったパネルと見比べてみると、この街もずいぶん景色が変わったようだった。

あまりにも毎日毎日同じ道を歩いてきたからか、今もこの街にいるといろんな時代の自分が歩いているように感じる。まるで多重露光の写真みたいに。幼い頃のわたし、セーラー服を着て学校に通うわたし、学校に通えなかったわたし、バイトに出かける大学生のわたし、好きな人とうまくいかなくて落ち込むわたし、仕事でくたくたになりながら帰る社会人のわたし。だいたいが、不安や悔しさ、どうしようもない気持ちを抱えながら歩いている。忘れたい記憶でさえも、街はしっかりと覚えているように思えてしまう。憂鬱だった10代の頃の記憶も。

そんなこともあって、この街との関係の作り方、距離の取り方にはずっと悩み続けてきた。きれいな記憶ばかりではない。むしろくすぶった気持ちとともに過ごしてきたこの街と、どう向き合えばいいのか?

こんなにもたくさんのお店が並んでいるのにわたしは全然お店のことを知らないし、知り合いが多いわけでもないし、街の歴史さえも知らない。ずっと住んできたのに、他人のような気分だ。けれど、誰かに街のことを悪く言われたりすると「わたしの知ってる三軒茶屋はそんな街じゃないよ」と言いたくなってしまうし、地元を聞かれて三軒茶屋だと答えるときになぜだか少し誇らしい気持ちが湧いていることも知っている。実家を出るときには「三軒茶屋だけは住みたくない、好きじゃないから」とさえ言っていたのに。

母も、祖母も、この街で暮らしてきた。103歳で亡くなったひいおばあちゃんも。それでも、この街のことを「地元」や「故郷」と言うことができるのか、いつもやや不安になる。でも、ほかに特に帰る場所はないのだから、きっとここが地元であり故郷なんだろう。たまたま東京で生まれて東京で育ってきたわたしは、たまたまこの場所で暮らしてきたからこそ得られてきたものも大きいと自覚していて(恥ずかしいことに自覚できていなかった時期がだいぶ長かった)、同時に、ほかの場所で暮らしたことがないから見えていないものも大きいと感じる。「東京」というと途方もなく大きいなにかに感じてしまうけれど、「三軒茶屋」くらい小さくすれば、もう一度向き合い直すことができる気がする。

だから、三軒茶屋について書く機会をいただいて、うれしい気持ちが湧いた。拗らせすぎてしまった街との関係をどうするべきなのか心のどこかでずっと考え続けていたから、この連載を通じて自分が育ってきた三軒茶屋という街とのあらたな関係性が見つかるような気がしたからだ。近くにいすぎたからこそ見えていないものがある、実は知らないことがたくさんある、それは親との関係にも近いのかもしれない。

この数ヶ月でまたこの街との新たな関係が築けるのだろうか。歩いていけばいくほどすっかり忘れていた記憶がいくつも浮かんでくるこの街にこれから何度も何度も足を運んで、自分自身が歩んできた道を振り返り、街との新たな関係を結ぶ過程を綴っていきたい。この街を歩いていた幼い頃や10代、20代のわたしの記憶、母や祖母の記憶を辿りながら、変わっていく街をゆっくりと観察しながら。

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