twililight web magazine
わたしを覚えている街へ
竹中万季
街を歩けば忘れていた記憶がいくつも思い浮かんでくる。まるで街がわたしを覚えているかのように。
この連載では、twililightがある三軒茶屋に3歳から30歳くらいまで住んでいたme and youの竹中万季さんが、あらためて三茶と出会い、新しい関係を築いていく過程を綴っていきます。
わたしは自分が生まれ育った街のことをどれくらい知っているだろう。
地元を知ることは、自分を知ることかもしれません。
愛も憎しみもひっくるめてわたしを覚えている街へ。
毎月2回、会いにゆきます。
第3回「鏡に反射するいつかの自分と」
自分が暮らしていた街の至るところにある鏡や反射するガラスに、いつも目がいってしまう。世田谷通りを歩きながら、キャロットタワーからスターバックスに向かいながら、西友の自転車置き場の前を通りながら。そこに映る自分の姿を見ると、かつての自分がそこに映っているかのような感覚をいつも覚えるし、ずっと変わらずそこにある鏡面には20年前の15歳だった自分の姿も映されていたのだということを思うと、不思議な感じがする。
わたしは小学生から高校生まで渋谷にある女子校に通っていて、初めは東急バスで、途中からは田園都市線で、毎日三軒茶屋の駅を通っていた。そのあと大学生になり、社会人になって実家を出るまでずっと通っていたわけだから、いったい何回この道を通っていたんだろう。キャロットタワーから駅に向かう道の途中に小さな壁面噴水がある広場があって、そこにあるトイレに駆け込んでいた日々のことをふと思い出す。不安で仕方がなかったとき、自分の状態をたしかめるために、いつもこのトイレで鏡に映った自分を見ながら、呼吸を整えていた。
わたしと鏡は因縁の関係だ。鏡を見すぎてしまう癖は、今も抜けない。わたしが鏡を見るのは、自分が誰かと会って大丈夫な状態かどうかをたしかめるためと、ふわりとどこかに飛んでいってしまいそうな自己の手綱をにぎるためでとても重要な行為なのだけれど、他人から「自分のことを意識しすぎなんじゃないか」と思われるのがたまに心配になったりもする。それでもやっぱり、見てしまう。
夏期講習で通っていた塾の男の子がわたしの容姿に関して陰口を言っているのを聞いてしまったこと。友達からかわいくないキャラクターに「似てる」と言われたこと。「まきちゃんって鏡見るときに、顔作るよね」と言われたこと。かわいいと言われている子への周りからの待遇の違い、電車で制服を見てくる大人たちの性的なまなざし。小さいかもしれないけれど、当時の自分にとっては大きく感じられるいくつものことが次から次へと重なって、ある時期から「見られる」ということを強烈に意識するようになり、考え始めるとどんどん怖くなっていってしまった。自分がどう見られて、どう他人に判断されるのかが、なにより怖かった。自分が見ることができないようにしたら、見られないんじゃないか? と思い立って、前髪を前が見えないほど伸ばしていたこともある。視力が悪かったけれど、眼鏡もコンタクトレンズもせずにぼんやりとした視界でいることが心地よかった。「変顔」して写真を撮るのが当時流行っていたけれど、わたしにはできなかった。すでに「変」である状態をなんとかまともな状態にして、苦手な写真に努力して写っているというのに、あえて変にするとは……? と悩み、自分にとってはひどく難しいことだった。
誰かと会う前に、駅のトイレの鏡で自分を確認する。自信を持って人と会える状態か。誰かに「変」と言われない状態か。この時点でどうしても先に進めなくなってしまい、家に引き返したこともしばしばあった。大勢の人がいる場所に存在することが大きな負担になる瞬間が増えて、駅の近くにある心療内科に通い始めた。学校ではできるだけなんでもない顔をして過ごして、自分の不安な状態について打ち明けていたのは母だけ。けれど、教室に行かずに保健室のベッドにこもっていたときのことは母にも話していなかった。
あの頃、自分が抱える不安な状態について少しも話すことができなかったのはなんでだろう。心療内科に通っている、ということも永久にわたしと母だけの秘密にしておきたい、と思っていた。不安を抱えやすいところは自分のあってはいけない「暗さ」だと思っていたから、その暗さが他の人に見つかりたくなかったし、わたしはみんなと同じように、なんにも問題はなく明るく楽しく学校生活を過ごせています、と思いたかった。
大学に入って知り合いも増え、あるとき一人の友達に勇気を振り絞って「わたし、実は不安な気持ちになりやすくて、それで病院に通ってるんだよね…」と伝えたときに、「わたしもそうだよ! 初めて言ったかも」と言ってくれたときのことを覚えている。自分一人に重たく乗っかっていたものが少しだけ薄まった感じがして、話すことでこんなに軽くなるんだ、と驚いた。こんな身近にいたなんて考えもしなかったから。中高生の頃、トイレの鏡に向かって一人思い悩んでいたけれど、こういうふうに誰かに話せたとしたらまた違っていたのだろうか。たとえばこの街に、駅から動けなくなったときに安心して駆け込むことができて、打ち明けたいと思うときに誰かに話を聞いてもらえたり、そっと一人にしてくれたりする場所があったとしたら、どうだろうか。
「もっと自信を持って」「自分がしっかりあれば、他の人のことは気にしなくていいんだよ」という力強くて明るく照らすメッセージに救われる瞬間もたしかにある一方で、重たくのしかかった不安のせいで、その言葉が眩しすぎて信じられなくなる瞬間もある。むしろ、不安な状態に陥りやすいことや、自身の弱さや暗さをまるごとだめなものとして排除するのではなく、そうした綻びやすい自分とどううまくやっていくか。そのことをずっと考え続けている。自分自身がどこかでルッキズムを内面化してしまってきたことや、抱えている不安のいくつかは社会が変われば晒されるはずがなかったものも含まれているということにも、のちに気づくことになった。
今でも、写真に写るのはあまり得意ではない。人混みも苦手だし、大勢の人や初対面の人の前で話すときは緊張して汗がとまらないことがある。もちろん鏡で自分の姿が大丈夫か、頻繁にチェックしてしまう。どうしても気にしてしまうし、気にしなくていい自分だったらよかったのにな、と思うことも多い。不安さのようなものは自分のなかから消え去ったわけではなく、自分の奥底にずっと流れている川みたいなもので、波打つときもあるけれど、以前よりも凪の状態がだいぶ増えたように思う。凪にさせてあげる手段も、前よりもたくさん持っているから。大丈夫じゃなくてもよくって、今ある状態とどのように付き合っていくかと考えるようになってからは、前よりも自分とうまくやれている、という感じがする。
学生時代の思い出が染み付いた街を歩くと、どうしてもあの頃の自分が蘇る。鏡に浮かぶ過去の自分をなかったことにしたくなるときも多かったけれど、この街に通うことで、足掻きながらなんとかやっていたあの頃の自分とその先にいる今の自分を、もっと愛してあげられる気がした。
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プロフィール

1988年生まれ、東京都世田谷区出身。編集、企画など。2017年、CINRA在籍時に「She is」を野村由芽と共に立ち上げ、2021年に野村と独立し「me and you」を設立。『わたしとあなた 小さな光のための対話集』や『me and youの日記文通』の出版や、ウェブマガジン・コミュニティ「me and you little magazine & club」を運営するほか、J-WAVE「わたしたちのスリープオーバー」のナビゲーターを務める。日々のことや見たり聴いたりしたものを記録する個人的なウェブサイトの存在を10代の頃から大切にしています。