twililight web magazine
わたしを覚えている街へ
竹中万季
街を歩けば忘れていた記憶がいくつも思い浮かんでくる。まるで街がわたしを覚えているかのように。
この連載では、twililightがある三軒茶屋に3歳から30歳くらいまで住んでいたme and youの竹中万季さんが、あらためて三茶と出会い、新しい関係を築いていく過程を綴っていきます。
わたしは自分が生まれ育った街のことをどれくらい知っているだろう。
地元を知ることは、自分を知ることかもしれません。
愛も憎しみもひっくるめてわたしを覚えている街へ。
毎月2回、会いにゆきます。
第4回「女子校の軽音楽部、行きつけのレコード屋」
少し距離を置いていたはずの、自分が生まれ育った街。この連載を始めて度々訪れるようになってから、学生時代にこの街を一緒に歩いていた誰かと歩いてみたくなった。わたし一人では忘れてしまった記憶も、もしかしたら思い出せるかもしれないから。さっそく、当時近所だったこともあって、よく三茶で遊んでいた希沙さんに「わたしと一緒に三軒茶屋を散歩してくれませんか?」と連絡した。
宮崎希沙さんは、中高時代に入っていた軽音楽部の一個上の先輩。グラフィックデザイナーとして活動していて、食べたカレーの記録をまとめた「CURRY NOTE」などのZINEをつくっている。希沙さんが共同企画者としてコロナ禍でつくっていた「DONATION ZINE 最近の好物100人」というZINEにわたしも参加させてもらったり、逆にわたしも希沙さんに仕事を相談したり、そんな関係だ。
駅の改札前で待ち合わせましょう。と伝えると、「大きい方? 小さい方?」と連絡がきた。三茶の改札、近い距離に二つあるよなあ。そんなことも忘れてしまっていたことに気づく。学生時代のわたしは小さい改札ユーザーだったけれど、なんとなく「大きい方で」と答えた。天気が微妙だったので散歩は諦め、246を歩いて喫茶店セブンに向かう。学生時代はセブンには入ったことがなくて、社会人になって初めて訪れた場所だ。当時は飲食店といえばチェーン店に入るのが普通で、コーヒーが何倍もおかわりできるミスドによく通っていた気がする。
店に入ると、学生らしき人たちでいっぱい。オレンジジュースとレモンジュースを飲みながら、近況について話しつつ、希沙さんと会うときの定番話である「竹中が郵便局のバイトに落ちた話」。高校時代、校則でバイトは禁止だったけれどどうしてもバイトがしたくて、お正月の郵便局仕分けバイトに希沙さんと一緒に応募して、なぜかわたしだけ落ちてしまった。「なかなか落ちない」と聞いていた分、なんで落ちたのかがわからず、面接時にヒールの靴を履いて面接官の前でダイナミックに転んだのが原因ということにしている。
「わたしたちって、当時三茶で何してましたかね?」「やっぱり、フラップノーツが懐かしいよね」。フラップノーツは三軒茶屋郵便局のそばに2013年まであったレコード屋さんで、お金がなかった中学・高校の頃はこの店に行くことがなにより楽しみだった。ジーンズメイトを超えると見える、緑色の看板。ドアを開けると中古CDがジャンル別にずらりと並んでいて、そこで掘り出しものを見つけるというのを希沙さんと一緒によくやっていた。三軒茶屋のTSUTAYAにも通っていたけれど、そこで見つからないCDがここにはあって、お小遣いの中で何を買おうかやりくりするのが楽しかった。大人のお客さんばかりの中で、制服でこの店を訪れているというちょっとした誇らしい気持ちもあったように思う。ジャケットがいいなと思って、800円くらいで買ったBikini KillのCD。それがなかったら、ライオット・ガールのムーブメントについて知ることもなかったかもしれない。
中学生の頃、学校が楽しくなくて、インターネットを使って新しい音楽を探すことだけが楽しみだった。90年代から00年代に移り変わったばかりの頃、リビングで兄が見ていたスペースシャワーTVで偶然流れていたNUMBER GIRLのMV。なんだこれはかっこいい、と思ってネットで調べはじめ、Sonic YouthやThe Pixiesなどの海外のバンドも知って、世界中にこんなかっこいいものが存在しているんだ、と震えた。キム・ゴードンやキム・ディールのような女性がいることを知ったことも大きかった。音楽を聴くことは、教室がいくら退屈でも世界はここだけじゃない、と感じられる希望でもあったと思う。クラスでは目立たない存在かもしれなくても、わたしはこんなにもかっこいい世界があることを知っているんだ、ということがなんだか誇らしかった。
小学生の頃から仲がよかったけれど中学からは別のクラスになった恵実ちゃんとは、帰り道にいつも好きなものの話をしていて、岡崎京子や魚喃キリコの漫画を教えてもらう代わりに好きなバンドのCDを貸したりしていた。それで、何かの流れで「バンドをやろう」という話になって、ギターを買って、中3で軽音楽部に入った。希沙さんと恵実ちゃんとは、三人でNirvanaのSmells Like Teen Spiritを演奏したらしい。すっかり忘れていたけれど。
希沙さんに「わたしって当時どんな感じでしたかね?」と聞いてみる。「友達がいないんです、ってよく言っていたよね。『わたしなんか』が口癖で、すごく自己否定が強かった気がする」。やっぱりそうだったよなあと思い返す。クラスに居場所がない、と感じることが多かった中で、息がしやすく感じるのが軽音楽部だった。学校が決めているルールに対してどこか居心地悪く感じていそうな人が多いのもよかったし、クラスメイトの中で浮いてしまうのが怖いと感じていたわたしが、浮いててもいいんだと自信を持てる場所だったなと思う。まわりになるべく合わせて意思を消して溶け込もうとする自分と、意思を持って嫌なものには抵抗する自分が両方存在していて、後者の自分のままでいられる友達や先輩との関係が嬉しかった。人の目や立ち位置などを気にして、クラスやグループという集団の中で関係性を築くのが苦手だったわたしでも、この場所では個と個で付き合える関係性が存在しているような気がした。だから希沙さんとも当時から気楽に話せたし、今もこうやって気楽に連絡できるんだと思う。
こんなにも、意思を消して、まわりに溶け込もうとしていたのは何でだったんだろう? 「うちらの学校って、『個性を伸ばそう』ではなくて『協調』が大事だったよね。目立つことをするな、そこそこでいい、みたいな。軽音部が活動休止になったときも、顧問に『お願いだから悪目立ちしないで、普通でいて』って言われたし」。特別部活が強いわけでも、特別勉強を頑張っているわけでもない一貫校の女子校で、大量の校則があり、どちらかというと「良妻賢母」を目指すような環境。オルタナティブロックやパンクのカルチャーに既に出会っていたわたしにとっては、学校が提示してくる理にかなっていないルールや、見直されることのない規範に対して抗いたかった。先生に「優等生」というラベルで括られるのが居心地が悪くて、校内でするのは禁止されていたマフラーをぐるぐる巻いて首元を隠しながら、イヤフォンで好きな音楽を聴いて。イヤフォンからは、ここではない世界の音楽が鳴っている。今思い返すのはちょっと恥ずかしい話でもあるけれど、それも多分、立派な抵抗だった。
今も「そのルールや規範は、なぜ存在している?」に割と敏感なのは、厳しかった校則のおかげでもあると思う。女の子は、目立たずに、そこそこに、いい子にして、「普通」でいなくてはいけない、それはなぜ?
フラップノーツは横にあった古本屋と一緒にビルごと取り壊されてしまって、今はローソンが入っている。「A」の棚から順々にCDを借りていた三軒茶屋のTSUTAYAのレンタルコーナーも今はもうない。全然上手にギターを弾けないなと思って、大学では音楽サークルに入らずバンドもやめた。でも、「そのルールや規範には、抵抗してもいい」ということを教えてくれた音楽を今も変わらず聴き続けているし、新しく出会い続けてもいる。
懐かしくって、Smells Like Teen Spiritを聴きながら帰る。カート・コバーンがフェミニストだということは、当時は全然知らなかったな。
「あの頃の竹中ってすごく猫背で、前髪を触って顔を隠してた印象があって、昨日久々に長く話したけどすごく姿勢もよくて顔もキラキラしてて、印象変わったな〜とあらためて思ったよ笑」。お茶をした次の日に、希沙さんから届いたメールを読んで、ちょっと泣いた。今でも、自己否定の癖はなくなったわけではないし、意思を消して場に溶け込もうとすることもある。でも、ルールや規範への意識もあの頃のままだ。変われてよかった、と思ったからというよりかは、変わったことだけではなく変わらないこともちゃんと存在していて、それらが混ざり合った今のわたしは以前と比べて少しは前を向けているのかもしれない、と確認できたのがうれしかった。
この話をしなければ忘れてしまっていたかもしれないいつかのわたしがいる。「うしろを振り返ってばかりいないで」と誰かに言われてしまうかもしれないけれど、過去の出来事やそこで感じていたことを話すことはあの頃のわたしを知ることで、あの頃のわたしが今を生きているわたしを照らしてくれているように感じる。
思い出せないことは日々増えていく。だからこそ、あの頃のことをいくらでも、こうやって話しながら、何度も何度も思い出したい。
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プロフィール

1988年生まれ、東京都世田谷区出身。編集、企画など。2017年、CINRA在籍時に「She is」を野村由芽と共に立ち上げ、2021年に野村と独立し「me and you」を設立。『わたしとあなた 小さな光のための対話集』や『me and youの日記文通』の出版や、ウェブマガジン・コミュニティ「me and you little magazine & club」を運営するほか、J-WAVE「わたしたちのスリープオーバー」のナビゲーターを務める。日々のことや見たり聴いたりしたものを記録する個人的なウェブサイトの存在を10代の頃から大切にしています。