twililight web magazine
パイプの中のかえる2 かえるはかえる
小山田浩子
2020年7月から12月の半年間毎週連載したコラムに、書き下ろし2本をくわえた小山田浩子さんの初エッセイ集『パイプの中のかえる』(twililight)。
この連載では再びこれから半年間、毎週、小山田さんがエッセイを書いていきます。近くに遠くに潜むいろいろなものに、気づくことの面白さと不思議さ。
小山田さんの「今」をご体験ください。
第1回 『春』
ベランダの睡蓮鉢でメダカを飼っている。鉢には土を入れ睡蓮を植えアナカリスなど水草も入れ透明な小さいエビも入れている。自然発生した黒い小さい巻き貝もいる。メダカは冬に冬眠する。冬眠という言い方は正確ではないのかもしれないがとにかく寒い時期に鉢に小さいすだれをかぶせて放っておくとメダカは底の方でじっとしている。広島の私が住む辺りでは水が中まで凍ってしまうことはない。
もう春かなと思ったらカバーを外す。早すぎても遅すぎてもよくない気がして毎年少し緊張する。外した途端にメダカは水面に来て泳ぎ出す。寝起きっぽく動きが遅いとか不如意な感じがするとかいうことは全くない。メダカ以外の睡蓮鉢内メンバーは色を失ってしんとしている。あんなにたくさんいた、透明な脚を動かしてひっきりなしになにか口に運んだり喧嘩をしたりお腹に緑色の卵を抱いたりしていたエビは姿が見えないし貝も殻の色が白く抜けたようになって生きているのか死んでいるのかわからない、丸い葉っぱをいくつも広げ夏に白い花をつけた睡蓮も、やたら繁茂してこれまた白い3枚花弁の花をぽちぽちつけたアナカリスも枯れて色が抜けあるいは黒く腐ってボロボロになっている。メダカは1匹がちょっと大きくもう1匹はちょっと小さい。一緒に見ると色も微妙に違うのだが、どちらか1匹だけだとそれが大きい方か小さい方かよくわからない。
前は1匹圧倒的に大きい黒いのがいた。青メダカとして買ったので青ちゃんと呼んでいた。ときどき卵をぶら下げていたから雌だ。当時は7匹くらいメダカがいて、他のはどれもやっぱりあまり見わけがつかなかったが青ちゃんだけははっきりわかった。青メダカにしては黒いんじゃないかだから黒メダカなんじゃないかという気もしていた。同じ時期に同じ店で買ってもメダカは大きさや色に違いがある。1匹数千円とかするメダカもいるが私が買うのは近所の店で100円とか150円とかのだ。多分高いから長生きするわけでもない。個体が同定できるとかわいいもので青ちゃんのことは気にかけていたのだが去年死んでしまった。あんなに黒かったのに目も肉も鱗も白くなって底の土に横たわっている。睡蓮鉢だと水槽と違って真上からしか見えないからはじめて見る青ちゃんの横向き、小学校理科で習ったメダカの雄雌見分け方は確か横から見た背鰭だか腹鰭だか臀鰭だかの形で決まるんだったよななどと思っている間にみるみるエビが群がって一晩で食べ尽くして細かい骨まできれいに残った骨格標本のような青ちゃんをピンセットで引き上げて乾かしてケースに入れてとってある。
汲み置きしておいた水を注ぐ。水質は悪くなさそうだ。濁ったりにおったりしないで澄んでいる。餌を少し落とすとメダカはすぐ食べにくる。植物が枯れているから酸素が足りないかも、エアレーションのポンプを入れてやろうかと考えつつピンセットで朽ちた葉などを取り除いていると土から、睡蓮の細く巻いた白緑色の新芽がちょっと出ているのが見える。色が抜けたアナカリスも持ち上げると先端に濃い緑の部分が盛り上がっている。そこから跳び出したエビが水中をはねるようにピンセットを避けていく、ちゃんと春に、ちゃんと春が、どこかからケチャップを炒めるいい匂いがする。誰かがお昼に多分ナポリタンを食べようとしている。
Share:
プロフィール

小山田浩子(おやまだ・ひろこ) 1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「穴」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『庭』『小島』、エッセイ集『パイプの中のかえる』がある。