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2025.12.03更新

Nostalgiaにて

竹中万季

『わたしを覚えている街へ』で生まれ育った街をたくさん歩いて何かを思い出したり、街の記憶を知ったme and youの竹中万季さん。
この連載では、誰かと一緒に、それぞれ存在している懐かしさを感じる景色を歩きながら、それぞれが生きてきた記憶と、その場所が覚えている記憶を辿っていきます。
自分を構成する懐かしさの中で、ふたりの異なりと重なりの先に見えてくる景色とは。


第5回:母と娘、年末の実家で 大阪・泉北ニュータウン

東京で生まれ育ち、東京にしか親戚がいない私は、年末の帰省をしたことがない。あゆちゃんが生まれ育った街を一日中歩いてお腹がぺこぺこだったので、「鍋焼きうどんをつくってるよ」という言葉に惹かれてご実家に伺うことにした。泉北ニュータウンから電車に乗って、別の駅へ向かう。年末特有のどこかしんとした透き通った空気の中で、自分が暮らす街から遠く離れた街にある家に向かいながら、帰省するときの足取りはこんな感じなのかな、と想像する。

「ゆっくりしていってね、あゆがいないときでも来ていいからね」。迎えてくれたあゆちゃんのお母さんとお父さんは、そう投げかけてくれた。開かれた家という感じがする。話を聞くと、昔からさまざまな国から来た人をホームステイで受け入れていたそうだ。ほとんど人を招かない家で育ったので、自分の家との違いを感じる。

年末に友人の実家でくつろぐことも、私にとってはたぶん、初めての経験だ。リビングのテーブルを囲み、あゆちゃんのお母さん、あつこさんがつくってくれた鍋焼きうどんを食べる。うどんとちくわと、厚揚げと鶏肉に、たっぷり青ねぎが乗っている。故郷の商店街の食堂で食べた味をよく覚えていて、気を使わないで済む友人に出す寒い季節のおもてなしの料理、と教えてくれた。

そういえば、年末年始に誰かの家でお雑煮を食べたことってないかもしれない、という話をする。あつこさんが生まれ育った徳島では、お味噌汁の中にお餅を入れ、具は少なめ。こってりとした味付けのお雑煮がスタンダードらしい。「我が家のお雑煮は、夫のお母さんがつくるお雑煮がとても上品でおいしかったから、それを引き継いでる。しいたけや昆布でとった出汁に、赤いにんじん、しいたけ、鶏肉、大根、三つ葉を入れるんです」と教えてくれた。私が正月に実家で食べるお雑煮には、あっさりとした出汁に小松菜、鶏肉、なると巻が入り、ゆずの皮が添えてある。

あつこさんとはメッセージのやり取りをしたことがあったけれど、会うのは今日が初めてだ。あゆちゃんと歩きながら話したことを少しずつ振り返っているなかで、二人が通っていたという教会の話になった。

あつこ:丘の上にある泉教会っていう教会に通っていて。アメリカの宣教師が建てたアメリカンな建物なんだけど、そこでカウンセリングをしてる女の先生がいたのね。そこですごく癒されたの。

あゆ:うん。人生の痛みが、カウンセリングでずいぶん癒されたんやな。

あつこ:そう、それがきっかけになって。そんなインスタントには癒されないけど、取り組むようになったよね。それは私にとってはすごく大事で。

あゆ:もしあのときそれがなかったら、多分全然違う子育てしてたんちゃう?

私:あゆちゃん自身も全然違ったのかな。

あゆ:違うあゆになってたやろうな、不思議。

あつこ:もっと元気のないお母さんになっていただろうなって思う。絶対に子供に24時間捧げるっていうことはもう決心してたけど。っていうのは私自身が忙しい家の子で、全然構ってもらえなかったから、とにかく完璧なお母さんをやりたかった。憧れてたのよ。

私:24時間。お仕事とかはしていたんですか?

あつこ:この人たちがもう幼稚園生ぐらいになってきて、幼稚園のお母さんたちが「英語しゃべれるんですよね、教えてやってくれませんか」っていうので、ちょっとずつやり始めた。だから本格的に塾で英語を教えたりし始めたのは、あゆちゃん、しょうちゃんの塾代がいるようになってから。塾代って高いんですよね。それで働き始めたけど、他のお母さんたちはもうほとんど働いてたのね。レジだったり、パートで。でも私は、お金がそんなになくてもできるだけ長く主婦をやりたかった。それを選択してた。

私:選択。

あつこ:やらされるのではなくて、してあげたかった。家に帰ってきたらおかえりって迎えてあげたいし、おやつを一緒に作りたい。だからよくクッキーとか焼いたやん。お友達も来て焼いたし、できるだけのことをしたかったのね。だから、そういう意味では悔いがないというか。満足してる。うん、満足してるな。紅茶とコーヒーどっちがいいですか?

私:じゃあ、紅茶でお願いします。

キッチンにあつこさんが向かう。小さい頃、専業主婦の母に「なんでお母さんは働かないの?」と無邪気に聞いたことがある。紅茶を淹れてくれているあつこさんの背中を見ながら、そのことを思い出していた。1955年生まれの母は、1986年に男女雇用機会均等法が施行される前に結婚している。そうした社会背景があることなんて何も知らずに母に投げかけたことを思い出すたび、幼くて知らなかったとはいえ、なんでああいう聞き方をしてしまったんだろう、と恥ずかしくなる。私の母よりもだいぶ後に生まれているあつこさんが「選択して専業主婦をしたかった」と話してくれたことは、私にとって新鮮に響いた。

私:あゆちゃんにとっても、教会の思い出は印象に残っている?

あゆ:私が教会に行ってておもしろかったのは、いろんな大人がいたから。

あつこ:特にうちの教会はね。すべての人を受け入れるっていう、あの映画みたいで……。

あゆ:『重力の光』。あれに近い。

私:へえ。

あつこ:別の教会だったら、ちょっと敷居が高く感じるような人も来ていて。でも、それが本当の教会の姿なんだけどね。

あゆ:社会であぶれてしまうような人が安らげる場所だったから、それをちっちゃいときに見れてたのはすごい良かった。

あつこ:大人がすごい傷んでたり、泣いてたりね。

あゆ:取り乱してるような大人もいっぱいいて、それを子供はふーんって見ていて。「泣いてるなぁ、なんか悲しいんかな、しんどいのかな」って。ケアする人がいつもいて、誰かがお祈りしてあげてたり、背中さすってたり。それを見ていたのがすごい良かった気がして。

あつこ:傷んでる大人がそこで泣いてても、あゆやしょうちゃんは驚かなかったのね。全国から苦しんでる人が来て、それを紐解いてあげて、昔に何かがあったその壺を開けて、出てきた幽霊のようなものに対して、一つひとつゆるしを宣言して、手放していく。日常的にチャーチではそれをしていたね。

石原海監督の映画『重力の光』は、困窮者支援をする北九州の東八幡キリスト教会に集う人々を描いた映画だ。私は映画公開時に取材で教会を訪れたことがあった。教会という場所に馴染みがなかった私にとって、普段からこの場所で過ごしているさまざまなバックグラウンドを持つさまざまな年齢の人たちと一日を過ごしたことは、教会に対する印象が大きく変わった出来事でもあり、そこから日々を生きていくなかで何度も思い出している。

小さい頃、子供と大人のあいだには線があって、大人になったら弱ったり泣いたりしたらいけないと思い込んでいる節が私にはあった。大人になった今、結局そんな線なんかどこにも見つからない。実際に、私は今でも道端で泣いたりしているわけだし。子供の頃にいろんな大人を見ていたとしたら、どうだったんだろう?

あつこ:もしも意地悪されたお友達がいて、まだゆるしてない子のことをもし思い出したら、もう会わなくても、祈りの中で「あのときちょっと意地悪されたけど、ゆるしとこう」って思うといいよね。ゆるしたら自分が楽になるもんね、そのときに実感しなくても。心が楽になると思うねん、ママは。

あゆ:そうやな、ある種、自分中心的なチョイスでもあると思う。ゆるしって。

あつこ:そう、選択だから。こっち行くか、あっち行くか。

あゆ:憎しみは、持ち続けることにもめっちゃ体力が必要で。自分がヘイトすることに消耗する。だけど、ゆるしはもう、手放すことだから。忘れるに近いような……。

あつこ:ゆるさないというのは、塞いで、鎖に縛られている状態のまま、自分を固くして生きていくこと。でも、ゆるした途端に縛っていた鎖がガチャって開くもんだから、自由になる。

あゆ:相手のためというよりは、自分のための選択でもある。

あつこ:それに、相手にも結果的に伝わると思うから。昔、英語学校に勤めてたときに、なんか嫌だなって思う人がいたんですよね。そのときはまだクリスチャンではなかったんだけど、毎朝、その人のことが大好きって唱えていた。そうしたら、その一日がすごい楽だった。彼も意地悪なことを言ってこないし。

あゆ:あと、ママが中学生のとき、体操服を切られたんだよね。なんでそこを切るの、って感じだけど、股のところを切られて。

あつこ:絶対着られへんやん、そんなことされたらさ。もう言葉が出なかったよね。切った人はいまだに不明。でね、そのときは中3で、私がちょっと苦しい生い立ちで、名字が何回か変わっていたのね。母が離婚し、再婚したから。そうしたら町全体がいじめるのよ。

私:ええ。

あつこ:実家がお好み焼き屋さんをしてたけど、土日忙しくて繁盛してて、小学生のときに手伝ったりして。そしたら「あなたはお父さんに全然似てないね」なんて大人のお客さんがわざと言ってくるわけ。泣きそうになるんだけど、耐えて黙って。教師までも、「離婚した家の子」と、なんとなく、蔑んでいたのを感じたかな。離婚することが悪みたいな感じで。当時は離婚した人も田舎にはすごく少なくて、閉鎖的な感じやったから、いじめられやすかった。いじめたい人は、傷つくと分かっている子をいじめるでしょ。傷つかない子はいじめないじゃない。

でも私は根が元気で、明るい子なんで。「泣いたカラスがもうわろた」っておばあちゃんによく言われて。繊細なんだけど、面白いことが好きでゲラゲラ笑ったりして、怒られて泣いてても、しばらくしたらギャーって笑ったりして、「もう笑ってるの!?」って怒られるような感じだから。いじめられるんだけど、根が明るい(笑)。

あゆ:それ助かるやん。

私:あゆも根明だと思う?

あゆ:根明だと思う。

私:私は根暗だなあ……。「もうこういうふうに憎まなくていいんだ」と思えるようになったのはここ数年です。

あつこ:おとなしかったんでしょ。

私:おとなしかったです。

あつこ:畳み込んで畳み込んで、言いたいことも全部閉じていい子でいたから、暗いっていうか、傷んでたんだろうね。根っこのところにいっぱい傷があった。それが今、もしかしたら癒されていってるのかもしれないね。

私:そうですね。大人になった方が私はすごく楽になって。そう感じている人も多いかもしれないけど。

あつこ:そうですよ。私も二度と20代とか戻りたくないし。30代も嫌やもん。やっぱ今すごい楽、63歳で、長年生きてきたらすごい楽。全部楽になっていってるから、今は傷んでる人がいたら助けてあげたいっていう気持ちがある。無理に助けたりはしないけど、もしも相談とかあったら乗ってあげたいって思うぐらい、自分がしんどいところを癒されていったから。

それで、体操着を切られた話だけれど、中3で、受験のときだったから先生もピリピリしててね。誰という証拠もなかった。夜、先生がうちの家に来て「おおごとにしないでくださいね。我慢してください。学校としても調べてはみますが、もう犯人探しはやめましょう」みたいな感じだったのね。

私:そんな。

あつこ:犯人探しする気はないけど、切られたことで傷ついていて、つらかった。

あゆ:そうやんなあ。考えてしまう。

あつこ:だけど、クリスチャンになった頃かな。30代になってからその事件を思い出して、傷みが戻ってきたんだけど、「完全に許します。切った人を祝福します。その子が好きです。その子を許します。その子が私は好きです」って毎日言ってたの。最初は感情がないの。でも感情がなくても、言葉が力を持つから。言霊とか言うでしょ? 悪口言ったらあかんのは、言霊があるから。

で、つい最近、同窓会が行われることになって、誰だったとしても許してるから大丈夫と思ってたけど、私言うたっけ? 怖くなってん、行くのが。63歳ですよ。「めぐ」って旦那のこと呼んでるんやけど、「めぐ、なんか明日行きたくなくなってきた」って言ったら、「あっちゃん、あかん。行き。乗り越えるんや。行ったら絶対大丈夫」って言って、新大阪まで一緒に来てくれた。新幹線に乗るまで。

あゆ・私:(笑)。

あつこ:子供が親に付き添われるみたいにして、でもドキドキドキドキしながら、お祈りしながら、「みんなが大好き」って言いながら(笑)。そうしたら、ちょっと恥ずかしそうな、罪悪感があるかのような、柔らかいムードで当時は厳しかった人が出席していてね。私から「久しぶり」ってニコニコしながら言ったら「あっちゃん、久しぶり」って言って。ちょうどその子にはあんな素晴らしいところがあったなあと、電車内で思い出していたから、その話を自然にできた。あれは良かったなあ。

ピンポーン。あゆちゃんのお兄ちゃんの翔兵さんが帰ってきた。あゆちゃんと翔兵さんはBROTHER SUN SISTER MOONというバンドをやっていて、私はライブハウスのステージにいる二人を見たことがある。今はみんなでリビングにいる。不思議な気持ちだ。

翔兵:あれ、まきさん。全く知らなかった、びっくりしちゃった。

私:お邪魔してます。

あつこ:しょうちゃん、ピザ食べる? うどんいる? ……それで、「あっちゃんが自分のことをそんなふうに覚えてくれてるなんて」って本当にびっくりしたみたい。同窓会に行って本当によかった。

私:行くまでの怖いと思っていた気持ちも、帰ってくるときにはなくなっていた?

あつこ:晴れ晴れとしてたね。怖いことを乗り越えたって感じ。

あゆ:行かせたパパが、いいパートナーやな。

あつこ:でも、それは自然なことなんよ。急に大好きって言ったからって大好きにはならへんねんけど、でも自然と心がほぐれていくし、気が変わる。だから、遠くに行って会えなくて連絡も取れないような誰かに対しても、その人に対して何かメッセージを送りたかったら、テレパシーを送ったらいいよね。愛のテレパシー。癒しのテレパシー。いつもそうはできないけど、心がけとして、選択したらいいと思う。

あつこさんの話を聴きながら、「ゆるす」という言葉が、自分の中でも少し形を持ち始めたような気がした。それは自分が心の自由を取り戻すための選択であって、相手がこれまでしてきたことを正当化することでは決してない。ついつい、混同しがちだけれど。あつこさんは会うことを選んだけれど、会うのも会わないのも自由だし、ゆるせないままでいる自分を責める必要もない。ただ、ゆるすという思いを心の中に置いておくことで、少しずつ自分を締め付けていたものから放たれていく。心の中で願って、誰かにテレパシーを送ることで、何かが動いていく。思うということは、これほどに強い。そのことにときどき驚いてしまう。

私:普段、あゆちゃんといて光ってる感じを感じるというか、癒しを受け取っていて。あゆちゃんも人を癒す力があるなって思います。

あつこ:あゆちゃんもいろいろ相談されるらしくて。帰ってくる前も忙しかったらしい。

私:そういう感じ、わかる。私も年齢的にはあゆちゃんの8歳も年上で。小1のとき、中2とかじゃんって思う。

あつこ:それって、不思議だと思わない? ある程度の年齢になったら、関係ない。ほんまに。私もあゆのことを尊敬しているところがあって、「どう思う?」とか相談することもあったりして、そしたら「これはこうじゃない?」とかってクールに言ってくれて。

あゆ:ははははは。クールか(笑)。

あつこ:いや、なんか、俯瞰してくれて助かるから。

あゆ:25を超えたあたりからは、年齢わからんなあ。

私:あらためて実家にお邪魔してるのおもしろいな。二人の写真を撮りたいです。キッチンの後ろの光がすごくきれいで。

あつこ:口紅だけ取ってこようかな。エプロンはどうしよう。

私:エプロンはしてても全然かわいいです。

写真を撮る。あゆちゃんとお母さんの写真。ついでに、私とお母さんがリビングに座っている写真も。

あつこ:そういえば、あゆちゃんが高校生のときにShe isのメンバーで。それで私もメンバーだった。あゆちゃんがいいって言うから。

私:ええ、嬉しい。

あつこ:あゆちゃんがママに、「She isっていうのを東京で企画している遠い人なんだけど、いつかこの人たちと私は会うと思う、絶対繋がっていくと思う」って前に言ってたの。私も「うん、繋がっていくよ」って。宣言することで絶対繋がっていくわって。そしたら本当に繋がっていったから。

あゆ:そういう確信あるタイプで、なんか知らんけど絶対あの人と仲良くなる、何か一緒にしたりするんだなぁって思っていて。

私:あゆちゃんは、話していると世界を少し信じようという気持ちになる一人というか。あゆちゃんのほかにも、世界をもうちょっと信じている人とたくさん出会って、私も少しは世界を信じられるようになってきていて。ああなんか、話しながら泣きそうになってきた。

あつこ:素晴らしいね。そうね、信じられない人、多いよな。大丈夫だと思えないというか。いろんな人がおるし、いろんなことがあるけど、なんとかなっていくんよね。死ぬような思いをして生きてたときもあったけど、なんとかなっていったし。本当になんとかなっていく。私も、次の春からあゆちゃんが高校に入って制服を買うというときに、経済的な問題が起きて。「よし貧乏生活をしよう」と思って、暖房も全部切って、子供が学校行ってる間はソファで毛布にくるまって、「私は耐えている、これが耐えるということか」とちょっと楽しもうとしていて。

私:すごい。

あつこ:嫌だったけどね。でも祈ってたもんね、どうにかなりますようにって。そうしたら年末にどうにかなったのね。めぐともいつも言ってる。全部なんとかなってきたから、絶対なんとかなる。「安定するためにはこうしなければ」と思っていても、何かが起きて、安定なんかすぐに引っこむこともあるじゃない。信じてる人だって、「えー、この人がこんな人だった!」ってこともあるけど、でもまあ、なんとかなっていく。「大丈夫だ、いい流れにいくよ、最後には」って思ってたら、なんとかなっていくと思うよ。まあできるだけ、変なことがない方がいいんだけどね。でも、生きるっていうのはいろんな困難に遭うっていうことやからね。喜びもあり、困難もあり。だから「今はこの時期か」って、できるだけ楽しく過ごすのがいいよね。

私:私もこれまで、全部投げ出してしまいたいと思うような状況になったことが何度もあって。いろいろあったけども引き続きやっていて、意外となんとかなるな、と少しずつ思えているのかもしれないです。

あつこ:いやー、素晴らしいよ。継続は本当に素晴らしいし、やっていたら信頼が集まってきて、助ける人も出てくるし。辛かったり、自信がでないこともあるかもしれないけど、周りから見たら、普通、人ができないことをどんどんやってるんだからえらい! こうやって話してたら、本当に生身の普通の女の子、まきちゃんやねんけど。そんな自分を誇りに思って、私は素晴らしい、まき最高って毎日言わなくちゃ。アイムナンバーワン、アイムナンバーワン!

私:朝起きてやろう。

あゆ:めっちゃやろう。それいいな。

あつこ:元気がないとき、やったらいいんだよね。私も落ち込むときあるし、父の介護とかいろいろあるから。現実ってあるやん。現実はいろいろ厳しかったりするけど、それでもそれでもなんとかなっていくから。こうやって過ごしても一時間やし、こう過ごしても一時間だからと思って、起きたらすぐにこうやって「ジャンピングジャック!」をやって。元気が出てくるから。「はっはっはっ、はい元気ー!」って言ってると。

あゆ:ははははは。

私:めっちゃ可愛い。

あつこ:動けば大丈夫。あと、とりあえずベッドから出て、どーっと台所まで来て、何かガーっと飲む。「よっしゃ」って言ってみる。そしたら不思議と元気になる。だからあゆちゃんにも、「なんとなく今日ザワザワしてる」って電話があったら、「ジャンピングジャックやり、今すぐ飛び!」って。割と人間は単純だから、飛んでみたらいい。

私:肩甲骨あたりに人間の淀みが溜まるんじゃないかっていう自分の中の仮説があって、こことここの羽みたいなとこあるじゃないですか。羽の間あたりが凝り固まってると、心が凝り固まってる気がする。それで、ダンベルで羽を広げるのをやってるんです。羽みたいだから羽をバサバサするみたいな。これとジャンピングジャックを組み合わせたら、最強だと思う。

あゆ:飛べる。

あつこ:人間って複雑やけど単純だと思うよね。多面体みたいに、深くて浅くて、浅くて深いみたいな。だから、じーっと考えてるよりは、もう飛んだ方がマシかもね。

 

自分をゆるして、なんとかなっていくと信じること。楽観的かもしれないけれど、つい悲観的になりがちなんだからきっとちょうどいい。頭ばかりで考えてしまっているときには、身体を動かして、飛んでみる。囲われた檻から放たれて、私たちは鳥みたいに飛んでいくことだってできる。ほんの少しずつでも、遠くまで。

 

◆一緒に話した人

恵愛由(めぐみ・あゆ)

惠愛由|Ayu Megumi

1996年生まれ、水瓶座。BROTHER SUN SISTER MOONのベースとボーカルを担当。Podcast「Call If You Need Me」を配信するほか、文筆や翻訳業も。訳書に『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)など。

プロフィール