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2025.04.24更新

Nostalgiaにて

竹中万季

『わたしを覚えている街へ』で生まれ育った街をたくさん歩いて何かを思い出したり、街の記憶を知ったme and youの竹中万季さん。
この連載では、誰かと一緒に、それぞれ存在している懐かしさを感じる景色を歩きながら、それぞれが生きてきた記憶と、その場所が覚えている記憶を辿っていきます。
自分を構成する懐かしさの中で、ふたりの異なりと重なりの先に見えてくる景色とは。


第4回:見つめること、ゆるすこと、祈ること 大阪・泉北ニュータウン

電車に揺られている。窓からは冬らしい低くやわらかい光が差し込んでいる。年の暮れ、私は大阪にいた。宿泊していたホテルがある福島駅から環状線に乗って新今宮駅へ、そこから泉ヶ丘という駅に行くために南海電鉄という電車に乗っていたのだった。ばたばたと用意をしたせいで朝食を食べていなかったからお腹がすいていて、新今宮駅構内のパン屋さんで急いでサンドウィッチを買って電車に飛び乗ったけれど、ごはんを食べる感じの電車ではなく、なぜ勝手にボックスシートだと思っていたんだろう、と反省する。下調べが足りない。

旅先で中心から外側へと向かう電車に乗っている時間が好きだ。街が異なると、電車も異なる。大阪の電車はちょっとだけ座れるシートが充実しているなあ、と思う。ぼんやりと窓の外を眺めたら、「金剛」という言葉が聞こえた。マップを開くと、目的の泉ヶ丘よりもだいぶ東にいる。しっかり南海電鉄に乗ったはずなのに、なんでだ。すでにやや遅刻しているというのに。食べられなかったサンドウィッチを抱えて走り、タクシーに飛び乗った。

「泉ヶ丘に行きたかったんですけど、なんででしょう」「私も酔っ払ってるときにありますよ。ここどこだろう、ってなるんですよねえ、難しいんですよ。泉北高速鉄道に直通しているのと、そうでないのがあるんですよね」「あーなるほど」

タクシーの運転手さんはこのあたりに住んでいるそうだ。暮らしやすく、満足しているという。「40, 50年前に泉北ニュータウンができて、団地ががばーっとできたんですよ。この近くにある狭山池には当時ボートレース場があって、盛り上がっていて。そのときは遊園地もあってね」と話してくれた。調べてみたら、1960年代、東京にある多摩ニュータウンと近い時期に開発されていて、当時はあちこちでニュータウンと呼ばれる場所が生まれていた。

狭山池、と聞いて、大学4年生くらいから付き合っていた人の実家がこのあたりにあったことを思い出す。たしかその頃は別れていたけれど、唐突に会いに行き、狭山池にある安藤忠雄建築の建物を歩き、巨大なブックオフに行ったのだ。15年ほど前もいろんな気持ちを抱えて南海電鉄に乗っていたのか、乗り方さえ忘れちゃっていたけど……と思っていると、泉ヶ丘の駅前に到着した。万博について思うところがある、という運転手さんの話をもう少し聞いてみたかったけれど。

駅に到着し、愛由ちゃんと落ち合う。にゃははは、と笑う。彼女はよく笑う。仕事を通じて知り合い、住んでいる家が近かったことをきっかけによく遊ぶようになって、二人でもよく話す。彼女が同じ街のなかで一度引っ越したときがあって、そのときも物件を一緒に見に行ったのだった。そのときは東京の姉のような気分、と思ったけれど、生きていくことにまつわるいろんな話をしていると、彼女のほうが姉みたいに思えるときもある。

駅前のショッピングモールを歩いていく。ここは愛由ちゃんが学生時代、毎日通っていた道だそうだ。花屋さんの泉北花園にはたくさんの人。新しい年を迎えるために家を彩る花を探しに来ているのだろう。揚げ物の匂いが懐かしい、と話すミートショップアサダ泉北を通り過ぎると、向こうにたこ焼き屋さんがある。「でかいえびせんを半分に割ったやつに、たこやきを挟んで食べる“たこせん”っていうのがあって、いつもはだいたい2個挟んであるけど、子どもがいたら4個挟んでくれたりして。優しかったなあ」。歩き慣れた道をどんどん歩いていき、また別のショッピングモールに入る。「ここ、昔はゲームセンターだった」という場所は100円ショップのセリアになっていた。

モールを抜けると、大きな工事をしている。愛由ちゃんに懐かしい場所はどこか聞いたときに教えてくれた“赤道”がちょうどこのへんにあるはずだ。せきどう、ではなく、あかみち。学校へ向かう赤い道があって、小・中学生の頃に毎日歩いていたそうだ。

「え、どういうこと? 知らん道……変わりすぎて赤道の入口がわからん、たぶんこのへんやけど……」「工事で変わっちゃったのかな?」「公園もあったんやけど。ちっちゃいときに飼ってたハムスターが死んだとき、埋めに行った木があるはず」

愛由ちゃんは、LINEするときにいつもハムスターのスタンプで返してくれる。私も飼っていた犬が自分の中にずっといるから、犬のスタンプで返す。ハムスターの木はどこかな、と歩いていると、だんだんと赤っぽい道が見えてきた。どうやら途中までは工事でなくなってしまったものの、もとの道も残っているようだった。この道をどんどんと歩いていくことにした。

「あれ、Sのパパだ」。遠くにいたのは、愛由ちゃんの小学校の頃の友達のお父さんだった。すごい偶然、と思ったけど、この道のそばで変わらずに暮らし続けている人にとってはそこにいることが日常であるから、偶然、とも言い切れないかもしれない。

「Sは小学校のときの友達。元気っ子で、物怖じせず思ったことを言えるような子で、彼女と出会う前まで私は結構おとなしい子って思われていたけど、アクティブな面を引き出してくれた。ニコイチみたいに仲よくて。はじめは動物が好き、というので仲良くなったのかな。犬やトカゲ、カエルとかを飼ってて、Sのパパにもいつも遊んでもらってた。でも、Sからは切ないいじわるをされた思い出もあって」
「切ないいじわるってなに?」
「Sの心境を思うと切ない、というか。いまはもう、何にも苦いものは残っていないんですけど。例えば……私は覚えていなかったけれど、​大人になってから敦子が話してくれて、そんなこともあったかあと思い出す記憶がある。​買ったばかりの白いニンテンドーDSを貸したとき、Sが『なくした』って言ったそうなんです。でも結局『やっぱりあった』と連絡があって、敦子といっしょに車で取りに行った。そうしたら、返されたDSには針でひっかいたような傷があちこちについていた。呆然としたようすで、車に戻ってから愛由はうぐぐと泣き出したんだって。ははは。あとは、急に仲間はずれにされて、それが結構長いあいだ続いたりだとか」
「そうだったんだ……そのあと、Sちゃんとはどうなった?」
「敦子から、ゆるそう、って話をされて。愛由がいじわるをされる所以はないし、悪いことをしていないから、悲しいのは当然。でも、ママはSちゃんと二人で話したことがあるから思うけど、Sちゃんも悲しかったり、さびしい思いをすることがあるんだと思う、だから、Sちゃんのことをゆるしちゃおう、って。いまはゆるすってわからないかもしれないけど、言葉は力を持っていて、心はあとからついてくるから、そう宣言するだけでいいって」

愛由ちゃんは、お母さんの敦子さんとたくさん話をする。私も敦子さんとメッセージのやり取りをしたことがあるけれど、私のことも「娘の友達」と括って接するのではなく、人と人との関係性を一つひとつ紡いでいこうとする人だと感じた。二人はいまでもたまにこの出来事について話すことがあるそうだ。

「Sのママは仕事がすごく忙しくて、帰宅するのも8時を過ぎるのは普通だったんじゃないかな。愛も深い人だと、子ども心にも感じていたんですけど……小さなSは、甘えたくても甘えられないときがあったんだと思うんです。あるとき、私がいないところで『愛由はいいなあ』って敦子に話していたことがあったみたいで。私が何かやったり言ったりしたことを、敦子が怒らずに笑って流していたのかな。『私も、お母さんにこんなふうに言ってもらいたかった。愛由はいいなあ』って、何度も真剣に言っていたって。この話を初めて聞いたときは、胸が締め付けられるようだった」

自分が心の底からほしいのに叶わないものを持っている人が近くにいたときに、複雑に思う気持ちは想像ができる。でも、その気持ちが捻れて相手を悲しませるようなことを望んだ状況を思うと、自分が愛由ちゃんの母親の立場だったとして、すぐに「ゆるそう」と言えるだろうか。大切な子どもが傷ついたのであれば、守りたいという気持ちからその傷を与えた人のことを憎む、ゆるさないというケースもあるのではないのだろうか。いじわるが起きた背景に耳を澄ます前に。

そもそも私は、「ゆるす」ということについて腰を据えて考えたことがあっただろうか? なかったことにすること、もういいかなと諦めることはある。でもそれはゆるすではきっとない。反対に、「ゆるせない」は言ったことがあるし、そのほうが身近になってしまっている。いくつもの出来事が頭に浮かんでしまう。例えば、狭山池を一緒に歩いた彼のことは、いろいろあって別れたあとしばらくゆるせなかったのだ。何年も経ってから偶然会ったとき、私のゆるせなさなんてまるで知らない彼が美しい思い出としてだけ記憶していることに苛立ち、同時に笑えてきて、長年自分自身を縛っていたものから少し放たれた感覚があったのを覚えている。これはもしかすると、ゆるすに少し近いのだろうか。

ゆるすということがこんなにも愛由ちゃんとお母さんに染み込んでいるのは、教会に通っていたことが大きいという。

「ゆるすというのはクリスチャン的な考えだと思う。キリスト教は、ゆるしを選択する哲学でもあると思っていて。聖書の物語では人を憎むという方向にいかなくて、もし罰するのであれば人ではなく神が罰するという考えなんです。あなたが手をくだすのではなく、神がふさわしい裁きをするから、あなたは手放しなさい、って。ゆるしの根本には、他者への愛、自分への愛の教えがあるから。そうした考え方が自分のルーツになっていて、自分の根本をつくっている思想みたいに捉えている感じもあって。だから、子どもの頃から悲しいことがあっても人を責める気にならなかった」

ゆるすは「許す」とも書くし、「赦す」とも書く。調べてみたら、その二つは意味合いが異なるという。「許す(allow)」は広く使われる言葉だけど、これから行おうとしている行為を認めることを指す場合が多く、一方で「赦す(forgive)」はすでに犯してしまった罪や過ちに対して責任を問わずに手放す、心から解放する、という意味合いがあるようだ。また、「許す」は表面上の寛容さや妥協も含むが、「赦す」は心の奥にある怒りや悲しみ、葛藤と向き合ってやっと到達できる感情だという。

一度過ちを冒したら戻って来ることができない、誰かと誰かのあいだに一本線をひいてそれを消さない、そうした世界は息苦しい。ゆるさないという強い感情がなにかの原動力になるときはたしかにあるけれど、ときに自分自身が雁字搦めに縛られることもある。

ゆるすということは、自分を過去からやっと放ってあげるということであり、相手が行ったことを許容するということでも、自分の傷をなかったことにすることでも、自分を犠牲にすることでもないのだろう。このあたりはいつもついごちゃまぜになって、難しい。もっと、ゆるすことについて学ばなくてはいけない。

「例えば、誰かにされたこととか社会の問題に対して、怒りや憎しみの感情が湧くことはある?」
「そういうときも、ただただ悲しんでいる気がして。誰かが辿ってきた経験を想像すると怒ることができない。自分の核にあるのが、悲しみなのかもしれないと思って。人に対する愛情も、悲しみがあるから愛情があるように思える」
「聞きながら、ずっと愛由ちゃんだったんだ、って思うんだよね」
「ああ、愛由さんはずっと愛由さんだったんだね、ってすごく言われる」
「みんな変わっていない部分はあると思うけれど、愛由ちゃんの魂がずっとあるみたいな感じがする」
「はははは」

赤道を歩いていくと、愛由ちゃんが通っていた小学校があり、もう少し行ったところには中学校があった。「このへん、よく走ってたなあ。中学校の頃、バレー部だったから」。美術部とも迷いつつ、小学校の終わりから仲がよかった子たちと一緒に入部を決めたそうだ。「スポーツも好きだったし、アクティブさもあったから」。そういえば、私も自分のことを根っからの文系だと信じ込んでいたけれど、小学校のときに一瞬バレー部にいたことがあった。

「中学のとき、かおるちゃんって先生がいて。中1のときの担任、中3のときは学年主任。あとバレー部の顧問でもあって。中学を通して、自分にとってすごく大きな存在だった。最近気づいたんですけど、私には、大事な人をただ見ていたいし、私のこともその人に見ていてほしいという、めちゃくちゃ根源的な願いがある。witnessされることが愛の一番深い形なんじゃないかなと思っていて……。見誤らないで私のことを見ている、ということにいつも感動してしまう。何をしても、何を言っても、魂みたいな部分を見ている。そんな眼差しを向けてくれる人の手を掴みたくなるというか。そういう人を求めているんだなあと考えているけれど、かおるちゃんは先生としてそれをやってくれた人。正しく見られていたし、絶大な信頼があった」

かおるさんは、愛由ちゃんが大学3年生のときに癌で亡くなったという。入院していたときにバレー部でお見舞いに行く企てがあったけれど、最後まで行けなかったこと。お葬式に行くことができなかったこと。そのことがずっと残っている、と教えてくれた。

「調整していた日にかおるちゃんの体調が思わしくなかったとか、行けなかったのには理由があった。でも逃げたような感覚、後ろめたさもあって。そのとき、これからかおるちゃんに一生会えないかも、と思って手紙を書こうと思っていたのに、それも書かず仕舞いだったんですよね。自分の弱さというか、向き合えない後悔として霧が立ち込めているような感じで」

赤道はずっと続いていく。このあたりで少し引き返そうか、とショッピングモールのほうへと戻っていくことにした。かおるちゃんの話は、まだまだ続いていく。

「でも、あるとき、ドラマみたいなタイミングでかおるちゃんからもらった手紙が、いつも手紙を入れていた箱からきらーんって出てきたことがあったんです。すごく不思議だった。そこには『卒業式にもらった3通の手紙を宝物にしています。ありがとう。あなたがいろんなことを考えて、これまでずっと生きてきたことは、私にとっても大切なことです』といったことが書かれていて……。それを読んで、あ、手紙を書いて渡していたんだ、ってことを思い出したんです。『かおるちゃんだけは、私のことを正しく見てくれていると思った。ありがとうございます』みたいなことを書いたなって。逃げたと思っていたけど、ちゃんとリアルタイムで気持ちを伝えていて、それを受け止めてくれていたんだ、とわかって荷が降りた感じがした」
「かおるさんもそうだし、お母さんの敦子さんもそうだし、そういう大人が側で見ていてくれた、ということが愛由ちゃんにとって本当に大きなことだったんだろうね」
「それには恵まれていた、救われて生きてきたと思う。子どもだけの関係のなかで気持ちが迷子になったりすることはあったけれど、この人は私のことを見ていると思える人がいたから」

恵まれていると話していたけれど、そうした大人が周りにいたとしても、見てくれているということに気づかない、気づいていても無視する、反抗するような場合もあると思う。そうではなく、おざなりにしない、当たり前に受け取るのではなく心のどこかでそれに返したいと願っているような……一方的ではなくいつも通わせるなにかがあるようで、そこが彼女の好きなところの一つだなあと思った。

気がつくと赤道の入口にいて、駅へ戻るためにショッピングモールへ再び入った。トイザらスでおもちゃを見る。シルバニアファミリーが好きで、そこですぐ目に入るのはお風呂や泉モチーフのものだったらしい。彼女は水を親しく感じている、といつも話していて、そうやって通わせるような、循環していくようなところが実に水らしいなと感じる。本人は「なんでかはわからんけど」と言っていたけれど。

ロッカーに預けていた荷物を取り出し、これから電車に乗って、愛由ちゃんの実家に向かう。友達の実家に行くということ自体がだいぶ久しぶりだ。最後に行ったのは、誰の実家だっただろう。しかもこんな年の暮れにお邪魔していいのだろうか、と思いつつ、敦子さんがお雑煮をつくってくれているようで、ずっとお会いしたかったこともだしお言葉に甘えて伺うことにした。

電車に向かう道すがら、愛由ちゃんのおじいちゃんの話になった。

「おじいちゃんがいま、無菌室で入院していて。テレビ電話でやり取りをしたんですけど、筋骨隆々としたたくましいおじいちゃんだったのがここ一年で急激にちっちゃくなって。人って、歩けなくなったら急に小さくなるんですよね。人の命はわからないから、おじいちゃんいつ死んでしまうかわからんって。様態が急変したとしたら、どうする? ってママに言われたけど、どんなタイミングでも知らせてほしい、って言った。そんなことがあったらすぐ帰るからって」

おじいちゃんに身体ごと会いに行きたいという強い思いは、かおるちゃんの死に立ち会えなかったことが大きかったという。

「かおるちゃんの小さくなった姿は見ていなくて、それで自分の逃げを感じている部分があるのかな。会っていなければ、見ていなければ、今日もこの世界のどこかで目覚めて、朝ごはんを食べているかもしれない、と思う」

その言葉を聞きながら、私も、ある人のことを思った。その人の話をするときに、この世界にいない人だと思えない。私よりもその人のことを長く、深く知っている人と話すたび、その人の新たな一面を発見したりして、「この場にいたら、あの人なら絶対こう言うじゃん」ってふざけたりして。それはまるで、遠くの街で暮らしているなかなか会えない人と同じように思えるときがある。

「でも、この世にいないことがどっちでもよくなるような感覚は、悪いことではないかもしれなくて。レイモンド・カーヴァーの『Call If You Need Me(必要になったら電話をかけて)』の箱入りの特別版を買ったら、カーヴァーの妻のテスのエッセイ『一緒くたになる』が入ってて、それがすっごくよかったんです。ちょうどいま言ったようなことが書かれていたと思う。『レイはときどき、書いたもののなかで生き返ったりする。私はレイが存在しているのか、生きているのか・生きていないのかというのが一緒くたになるときがある、でも、それなしには生きていけないのです』みたいなこと」

ふと、私の祖母が入院していたときのことを思い出す。仕事で忙しくて、本当は病院に行きたいのに行けないときがあった。仕事なんてどうにでもなるのに、人の死と比べるものではないのに、なんで私は行けなかったのだろう。祖母の隣でただ座っているとき、死を待っているような気分になるのが怖かった。ずっとこの世界にいてほしいというのに。病院の図書コーナーで読みたくもない本を読んで、この時間ってなんなんだろう、と思ったりして。会いに行きたいという強い気持ちと、そばで見ているのが怖い、弱っていくことを実感したくないという恐れが入り混じっていたと思う。

「生きている身体が弱っていくのを直に感じない限り、死が物語っぽくなるというか」と愛由ちゃんは話す。身体ごと会いに行けば、声や息遣い、肌の質感、思っていたよりも小さくなった背中、そうしたものを通じて変化を実感する。言葉を交わせなかったとしても、何もできなかったとしても、そばにいること自体が愛のかたちになる。でも同時に、命がどこかで続いているのだと信じることも、もう一つの愛のかたちのようにも感じる。

愛由ちゃんはもう一つ、猫の死の話もしてくれた。

「猫が死んだのを看取ったのは、ミイコだけだった。痙攣して死んでいくのを見ていて。タマオとマロは、死んだ直後に電話をもらって、庭の土に埋めたよと教えてもらって。土に還れば少しずつ分解されて、水や風になって世界を巡っていくから、身体がもうここになくても、いないわけじゃないんだって思う」

ハムスターの死と、先生の死と、猫の死と。Sちゃんの話も含め、私たちはこの街でなぜだかずっと喪失の話をしていた。

誰かがいない、ということはどういうことなんだろう? 身体が失われること、魂がこの世界からいなくなること、というのもたしかにあるかもしれない。でも、心の中に存在しなくなる、ということも別の意味で不在と言える。心に存在している限り、どんなに遠くにいたとしても、たとえそれが天国くらい遠くにある場所であったとしても、その人のことを見ているし、見てもらっていることが叶うんじゃないか。ときどきそう信じたくなる。

「すぐに祈りみたいなものを持ってしまうんですよ。会わなくても純度の高い愛が保ててしまう。それは美しい感じもあるけれど、喪失への恐れが混じっている気もして。祈りを美化しすぎてはいけない、もっと生々しい部分もあるぞって。でも、身体はなくなるけど存在としては失われない、という感覚は本当にあるんです。それが誰にも共有されていなかったとしても、生きた身体の記憶や体験はまったく損なわれないし、失われない。ただこの世界に“あった”だけ。そのことを、めっちゃ信じているところがあって。質量保存の法則みたいな感覚がすごくあるんですよね」

ゆるすという行為も、存在しているはずのことをなかったことにするのではなく、心の深いところで相手を見つめる行為だと思う。見届けてきたからこそ、ゆるすことができる。それは、愛由ちゃんがかおるちゃんに正しく見られていたという話とも地続きの話だと感じた。

身体を近くに寄せることができなかったとしても、思っていること、何度も思い出すことも見つめることの一つであり、愛の一つであるように思う。愛とは、祈りや思いを飛ばすことなのかな。そんなことを話しながら、私はずっと祖母のことを考えていた。

会いたくても会えない人はたくさんいる。この世にいない人も、会えなくなったままの人も。でも、誰かの記憶のなかに私がいて、私の記憶のなかに誰かがいて、たしかに見つめ、見つめられてきたという記憶が、この世界に保存されている。いまはもう声が届かない相手がまだそこにいるように感じるのは、そうした記憶が世界に存在しているからだと私も思う。誰も思い出せなくなったとしても、私たちの代わりにこの世界が覚え続けるし、それは誰にも奪えない。ただ“あった”ということの重みに、私たちは包まれているのだ。

※本文中の「Sちゃん」は、実在の人物をもとにした仮名です。

※本文に出てくるレイモンド・カーヴァーの『Call If You Need Me』に収録されているテスのエッセイ。本文の抜粋は下記の通り。「でもしばしば私は、死んだはずの人々をそのまま生かしておきます。告白しますと、もう死んでしまった人々を母が出し抜けに蘇らせてくれることを、私はけっこう気に入っているのです。レイもまた同様のことをします。自分自身をさっとこの世界に蘇らせるのです。告白しますと、私はそのことが好きです。告白しますと、それなしに私は生きていくことができません。一緒くたになること」(2004年、中央公論新社)

 

(後編につづく)

 

◆一緒に歩いた人

恵愛由(めぐみ・あゆ)

惠愛由|Ayu Megumi

1996年生まれ、水瓶座。BROTHER SUN SISTER MOONのベースとボーカルを担当。Podcast「Call If You Need Me」を配信するほか、文筆や翻訳業も。訳書に『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)など。



プロフィール