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2026.07.24更新

Nostalgiaにて

竹中万季

『わたしを覚えている街へ』で生まれ育った街をたくさん歩いて何かを思い出したり、街の記憶を知ったme and youの竹中万季さん。
この連載では、誰かと一緒に、それぞれ存在している懐かしさを感じる景色を歩きながら、それぞれが生きてきた記憶と、その場所が覚えている記憶を辿っていきます。
自分を構成する懐かしさの中で、ふたりの異なりと重なりの先に見えてくる景色とは。


第6回:つかずはなれず、橋を渡る 栃木・足利

夏の隙間の、一日だけ涼しい日だった。りょうもうという名前の電車に乗って、足利へ向かう。暑さにすっかり飽きていたので、これだけ涼しかったらきっと、歩くのが楽しい。山にも登れそうだ、と胸をはずませる。私にとって、山は身近な存在とはいえない。いま暮らしている世田谷の街は、少し高台に登ると遠くに山が見える。いい天気の日に限るけれど。山が見えると、やっぱりちょっとうれしい。東京23区にある高いものといえばビルばかりだから。それでも走って登りに行ける距離でない限り、いつまでも遠くに感じる存在だ。

いくつもの田んぼを抜けて、足利へ到着する。新宿から北千住で乗り換えて一本。都内から電車でアクセスしやすいから、と聞いていた通り、あっというまの旅だった。

駅前で待ち合わせしていた惣田さんと落ち合う。彼女が描くイラストの緑が大好きだ。女性たちが木々や葉っぱに溶け込んでいる姿を見ると、のびやかな気持ちになる。自分が生まれてからいままでずっと都市で暮らしてきたからこそ、なおさらそう感じる。もともとはこうやって、人と自然ははっきりと分かれずに生きていたはずなのに、私といえば自然を“見に行く”というずいぶん距離のある言葉にすっかり慣れて生きてきてしまった。

駅前には大きな川が広がる。渡良瀬川だ。そこには大きな橋が二つかかっていた。遠くに見えるのが渡良瀬橋、近くにあるのが中橋。この風景を見て、わたらせ、という名前がぴったりだなあと感じる。駅がある北側と川を渡った南側で、大きく二つのエリアに分かれていて、「橋を渡るのは日常」だと惣田さんに教えてもらう。

川へと近づいていこうと思ったそのとき、少し前を歩いていた女性が「これから、川に行こうと思って」と私たちに話しかける。

「今日は同窓会だったんだけど、川を見て帰りたいと思って。もうここには家がないんだけどね。いまは相模原に住んでいるの。昔は家のほうまで川の水がきたこともあったのよ」

女性と別れ、河川敷を降りていく。草がぼうぼうと生い茂る。整備されきっていない風景に、さっきの女性も住んでいた頃を思い出して懐かしく感じたんじゃないかな、と想像する。橋のそばには、古い橋の根っこの部分が残っていた。

三連アーチが美しい中橋は昭和11年につくられ、この街の景色として根付いてきた。老朽化、それに川沿いの町だから水害時の問題もあって、ここ数年で架け替えをする必要が出てきたようだった。通常は取り壊して、まったく新しい橋を立てることが多い。でも、中橋の三連アーチは、少し下流に新たにつくった歩行者と自転車が通るための橋に再利用したそうだ。ちょうどここ数年で工事が行われたらしい。橋が日常だったからこそ、取り壊さずに渡っていた人たちの記憶を残そうとする。川沿いの緑を踏みしめながら、できればずっと残ってほしいとぼんやりと考えた。

橋を渡って、向こう岸に向かった。自転車に乗る中学生たちが次々と横を通り過ぎる。いい自転車に乗っているなあ。「自分が高校生の頃から自転車通学がほとんど。高低差がなくて、どこでも自転車で行ける感覚があるかも」と惣田さんは話す。向こう岸に辿り着くと、あちこちで取り壊し工事をしていた。区画整備のようだ。メガネのシルエット、クラブボリバードと描かれたレトロな看板。シャッターに描かれた眼鏡をかけて本を読む女性の絵が美しい。向かいにはSUZUKIアリーナと書かれた建物がある。

「ここの二階は体育館みたいになっていて、ダンススクールをやっていたんですよね。アメリカのインディーズバンドとつながりがある M.A.Z.E.が足利でよくライブの企画をしていて、ある時DEATHROさんがここでライブをしていて。それがなくなっちゃうんですよね、めっちゃいい箱だったな」

マンションの一階にある美術館を通り過ぎ、それからアートスクールに通りかかった。惣田さんは小さい頃から漫画を描くのが好きで、デザイン科のある高校に通い、その頃に美術系学校の受検のためにこのアートスクールに通いはじめたという。私も小さい頃、漫画を描いていた。いつしかやめてしまったけれど。いつどうやってやめたかは、忘れてしまった。文章は大人になってもなにかと書き続けるのに、絵はぱたりと描くのをやめてしまう人が多いのはなぜなのだろう。

しばらく歩いていると、鑁阿寺(ばんなじ)というお寺にたどりついた。大きな銀杏の木が立派。秋にはきっと満開の黄色が広がるのだろう。池や庭がある静かな場所で、惣田さんはたまにここを歩いてその緑を描くこともあるそうだ。七五三のときにここで写真を撮ったことがある、という岩の太鼓橋に登ってもらった。深い緑がよく似合う。誰もが故郷の緑が一番似合うのかもしれない。点々とベンチがあり、学生たちがそこに座って過ごしている。「私もここで、なにも生まれない時間を過ごしていたなあ」。私が暮らす街にはこんなにたくさんベンチがなかったから、友達と別れる曲がり角で延々と立ち話をしていたっけ。ひさしくそうした時間とは縁遠くなってしまっている。

お寺の横にある足利学校は日本最古の学校としても知られる。お堀にそよそよと水が流れ、カルガモの親子が歩いている。横にはカルガモのとびだし注意と書かれた看板。自然と溶け合った、落ち着いた静けさがある街だと感じた。

 

*

 

山に向かう道の途中、喫茶店で少し話をした。惣田さんは高校卒業後、桑沢デザイン研究所でデザインの勉強をするために上京。デザイン会社で働いたあと、書店員をしながらデザイナーとして働いていた。ceroがアルバム『WORLD RECORD』を出すときにジャケットのデザインの仕事をすることになり、それからいまのような仕事が増えていったという。2011年、東日本大震災の直前に発売されたアルバムだ。

「“大停電の夜”が震災の停電と重なりましたよね」と惣田さんは話す。私も当時、このアルバムをずっと聴いていた。この曲を聴くと、やっぱりこの頃を思い出す。2011年3月11日、私は卒業旅行で海外にいたため、揺れを経験していない。大学の卒業式がなくなり、そのまま就職してばたばたと日々が流れていった私は、震災のことも原発のこともしっかりと考えられていなかった、と誰かと震災について話すときにいつも後ろめたさが浮かぶ。だからなのか、社会で大きな出来事があったとき、それに向き合わない、向き合えない人がいることに対し、どうも人ごとだと思えない。このことは、私の中で素通りできない事実として残っている。惣田さんはこの震災がきっかけで、このままではいけない、と声をあげることをはじめ、それがグラフィックデザイナーの平山みな美さん、編集者の岡あゆみさんと行っている「表現と政治」のプロジェクトなどともつながっていく。

震災から2年後、惣田さんは東京から足利に戻ることになる。理由を尋ねると、友人と3人で住んでいた家が燃えたことがきっかけだったという。2013年、25歳だった頃だ。

「火事が起きて、水や煤でいっさいがっさいだめになって。また物件を探して家具を揃えるのが大変だと思っているときに、一回戻って休めばいいんじゃないと親が言ってくれて。戻ってみたら、ネットが繋がっていれば大丈夫かな、と思えたんです。東京まで2時間くらいだから、体力があった頃は頻繁に行き来していたけど、オンラインで仕事ができるようになってからは減ったかな」

デザインの仕事をしている東京に出た仲間たちも、足利に戻ってきた人は多いという。

「東京にずっとは住めないな、とは思っていたから。人が多すぎて息苦しさがあって、もともと長い休みがあったら帰っていたんですよね。山や川が恋しい、って」

東京と足利を行き来すれば、それぞれの友達に会える。政治の話も音楽の話もできる東京の友達と、趣味は違くても変わらないテンションで話せる地元の友達と。その生活を想像すると、なんだか安心できる。近い考えを共有できる関係性と、異なるけれど安心できる関係性は、それぞれに必要だと私も感じる。惣田さんが通っていた高校では三年間ずっと同じクラスで、一、二年生のときにいざこざがあっても、三年目にはすっかり波風が立たなくなったという。だからこそ、いまの安心できる関係性へとつながっている。

「干渉しあわず、それぞれがそれぞれの席で楽しんでいて、ときどき交わる感じ。危害を加えないし、悪意を向けることもない、お互いがただいる、という関係。いろんな人が各々のまましばらく同じ環境に居続けることって結構大事なことだなって思っていて。違うけど尊重することって、たった一年で、自分の不安もあるなかでやるのは難しいことだから」

関係は一年ではなかなか築けない。同じ場所でいろんな時間をともに過ごしていくなかで、何度も編み直されていくものだから。その空間には、必ずしも積極的な好意ばかりがある必要もなく、ただそういう人がいるというだけでいい。そんな、つかずはなれずの関係がもっとそのまま肯定されればいい。一つのクラスだけでなく、この社会のいろいろな場所において。違うということが安易に悪意に変わるのではなく。話しながら、そんなことを考えていた。

 

*

 

曇り空だけど天気は持ちそうなので、これから山に向かうことにした。向かう道の途中、お店がいくつも並ぶ通りに差し掛かる。かつては多くの人が訪れたという、賑わいがあった通りだそうだ。このあたりは足利銘仙という織物が有名らしい。鮮やかな色と大胆な柄が美しい着物で、江戸時代から昭和のはじめの人々の普段着だった。100年ほどでずいぶんと着る服は変わり、産業も変わっていく。この通りには企業で勤める人たちが接待のために使うお店が並び、当時は芸者さんもいっぱいいたそうだ。旅行に行ったときに「かつてこの辺りは栄えていた」と聞くことは多いけれど、昔はそれぞれの街に産業があり、人が集まり、賑わいがあった。いまはその多くが東京に吸い寄せられてしまった。

「隣町が群馬県の太田市というところで、そこにスバル工場があるんですけど、この辺の人はそこで働いている人が多くて。スバルはもともと中島飛行機という会社で、戦時中は戦闘機をつくっていたから標的になって空爆をされたそうです。栃木県の足尾銅山とか、群馬県内に連れてこられて労働させられていた中国や朝鮮の人がたくさんいて、亡くなった人の記録もある。こんなに身近な場所で起きていたんだ、って驚きました」

私も同じような経験をしたことがある。世田谷区の区史を読んでいたときに、関東大震災の際に混乱のなかで起きた朝鮮人虐殺という恐ろしい出来事が、自分が暮らしてきた三軒茶屋でも起きていたことを知った。その距離の近さに、これまで以上にリアリティを感じたのだった。太田市の空爆の話はまったく知らなかった。植民地支配のもとに置かれた弱い立場にいる人たちが動員されること、兵器をつくる場所は攻撃されること。それぞれの地域にこうした話が眠っているのだろう。

山の入口に辿り着く。普段の靴でも登れるような低山で、山の入口には鳥居があり、中腹あたりには機織りの神様を祀っている足利織姫神社という神社がある。うしろには両崖山や天狗山といった山々が連なり、ハイキングコースへつながっている。登っていく途中、七色の鳥居をくぐる。赤がよき人、黄がよき健康、緑がよき知恵、青がよき人生、若草色がよき学業、朱がよき仕事、紫がよき経営という意味があるらしい。できるのであれば、全部かなえたい。欲張りでいいなあと笑いながら登っていくと、神社に到着した。

イノシシ注意の看板を見ながら、さらに木々のあいだを抜けていく。息があがる。稜線を歩いていくと、やがて開けた場所が見えてきた。わっと開けて、気持ちがいい。惣田さんは高校生の頃、さっき訪れたお寺のベンチかこの山で友達と過ごしていたらしい。「足利に友達が来たら、みんなこの山に連れていきます」と話す。

大きい山に囲まれているわけではないから、見晴らしがいい。隣の町が見えて、遠くには東京や埼玉も見える。つかずはなれずの距離だ。小さな家が星の数ほど並ぶ。人々の営みがこんなにもあるということに、同じ目線でいるとなかなか気づけない。俯瞰するには、身体ごとそうするといいのか。

18時のチャイムが鳴った。オルゴールのような音色。なんの曲だろうと思っていると、森高千里の“渡良瀬橋”だと教えてもらった。切ないメロディに、なんだか泣きそうになってしまう。この街の人たちにとって、やっぱりあの橋がある風景が大切なんだろう。やっぱり取り壊されずにずっとあってほしいと、橋の根っこを思い出す。ゆっくりと山を降りていくと、いつの間にか陽は落ちていた。

◆一緒に歩いた人

惣田紗希

グラフィックデザイナー/イラストレーター。1986年生まれ栃木県出身在住。桑沢デザイン研究所卒業。音楽関連のデザインや書籍装丁を手掛けるほか、書籍やパッケージなどを中心にイラストレーターとして活動中。2021年より、グラフィックデザイナーの平山みな美、編集者の岡あゆみと共に「投票ポスター」プロジェクトを企画・運営している。
https://soudasaki.tumblr.com
https://www.instagram.com/soudasaki/

 

 

プロフィール