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2025.07.07更新

偶然の祖母

野村由芽 すみ湖

偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。


一通目:不在の練習、月桃茶とパンケーキ (野村由芽)

おばあちゃんへ
わたしの心友、Sumikoさんへ

月桃茶を飲みながらおたよりを書いています。去年の沖縄、楽しかったね。壺屋の近くで、初夏の大雨が降った。おばあちゃんのからだをハンカチだったかタオルだったか……旅先だったからタオルなんてないはずなのだけど、記憶のなかではわたしはおばあちゃんを大きな白いタオルでふかふかと包み込んでいる。濡れてもおばあちゃんはけろっと元気そうで、わたしばかりがひどく心配だった。人の肌に触れることがそこまで得意じゃないけれど、おばあちゃんのことは触ることができる。お父さんは、沖縄の暮らしに根付いた月桃たちに胸打たれてしまったみたいです。栃木県で月桃栽培にチャレンジしているよ。「月桃の花が咲いたら、みんなにわけてあげたいな〜」って言っていた。

おたより、すっかり遅くなってしまってごめんなさい。一年前の5月の末、ある展示の帰り道、おばあちゃんに長電話して、お互いに手紙を書いて「自分たちの小さな本をつくろう」と緊張しながら持ちかけた。その展示の日は、魔法みたいだった。ある絵描きの人の展示で、その人の描く星はとてもいいんだよ。放射状に光の筋が伸びるさまがいきいきとしていて、意志が宿っている感じがする。

わたしもおばあちゃんを、喉越しのいい「おばあちゃんらしい」なにかの像におさめてしまいたくないし、自分の見たいようにだけ見ることもしたくない。書くということは、なにかを際立たせ、それ以外を影にまわすこと。けれどおそらく幸運なこととして、おばあちゃんとわたしのあいだには、互いを干渉せずにいることができた、ある種の“適切な距離”があるよね。具体的には一緒に暮らしたことはないとか、そういう多くの偶然と判断の積み重ねでこの関係を保ててる。わたしはおばあちゃんの、あるかもしれないキリキリとした緊張感やたくましい狡さを知らない。おばあちゃんはわたしの、冷や汗をかくような嘘や熱っぽい意地悪さに気がつかない(たぶん)。だからわたしはおばあちゃんの美しいところばかりをうっとりしながら掬ってしまうかもしれなくて、もしそれが窮屈になったら、この手紙のなかで、どんどんそれを壊してほしい。わたしもそうしていきたい。恥ずかしさや悲しさや怒りやどうしようもなさも、出したくなったら出せたらいい。

今日は、米粉のパンケーキを焼いたよ。銅でできた卵焼き器で焼くとよいと聞いたので、それを使ってみた。パンケーキはどんなふうに焼いても童話から抜け出してきたみたいな仕上がりになって、気分がよくなる。花のコサージュをつくる作家さんに教えてもらった、カルダモン入りのヨーグルトとサワークリームをたっぷりかけた。サバ缶とパクチーのサラダもおいしくできた。卵焼き器は小さいから一枚ずつしか焼けなくて、1時間ぐらい、表、裏、表、裏、とパンケーキを焼いていたんじゃないかと思う。すごくいい時間だった。極上の本を読むと、時間感覚が伸び縮みしたり、ものごとの質感が変質することを思い出した。数年前、滝口悠生さんの『長い一日』という小説を読んだあと、服を着替えるときの、服と肌の擦れる感覚がやけに味わい深く変わって、すべての動作をゆっくり、ゆっくり、した。おばあちゃんにとって、いい小説や、いい作品を受け取るということは、生活にどんなふうに染み込むことなんだろう。

時間と言えば、おばあちゃんは、早い、というイメージがある。こつこつと継続的に手足を動かせる勤勉さがある。わたしは、遅い。はじめるのも、はじまるのも。腰が重いし、なにごとにもムラがある。でも「はじまってしまえば、終われない」。それはおばあちゃんも一緒なんじゃないかなと思う。ふたりとも編みはじめたら、深夜3時になっても、窓の外が明るくなっても、手を動かし続けるでしょう。おばあちゃんにもぜひ、翻訳者の斎藤真理子さんの編み物エッセイ「編み狂う」を読んでもらいたいな。

自分のそんな姿を「ボロエンジンを積んだ車なの」とおばあちゃんは笑うけど、それならわたしはどんな場面もボロエンジンで走り続けてる。起きるのは遅いけど、なかなか寝ない。仕事にとりかかるのには時間がかかるけど、はじめたら食べることもそっちのけ。「行けたら行く」とか厄介なことを言って、行けば最後のメンバーになるまで残ってる。生きることもそれと同じなんだろうなと、本当につい最近、気がついたばかり。生まれてしまったから、この世界が名残惜しいというか。それでわたしは、死ぬのがたぶん、人より怖い。人がいなくなってしまうことに慣れていなさすぎる。4人を介護し、続けて看取ってきたおばあちゃんからすれば、慕わしい誰かを失った人からすれば、わたしのその感覚はすごく未熟に思えるはず。それでも、わたしはわたしの経験のなかで、考えるしかないのだとも思う。

「90歳だって、あっというま。信じられない。ねえ」

と目をまるくするおばあちゃんがいつかいなくなってしまうことを、わたしはそうとう恐れてきたし、だから執拗に、別れの練習を繰り返してきた。子どもの頃から春休みや夏休みに遊びに行くのが習慣で、帰る日は顔じゅう水びたしになるほど泣くことで。そういえば幼稚園でなにかが悲しくて泣きじゃくっているとき、「このまま涙が止まらなかったらどうしよう」と先生に訴えたら、「そんなわけない」と呆れられたことがあった。おばあちゃんは人が泣いた涙の量と、海水の量は、どっちが多いと思う? 海水の量を調べたら「垓」という単位と、水の惑星という言葉が出てきた。人間のからだも約50〜60パーセントが水。どんな人も半分は水で、半分水同士が笑ったり考えたり生まれたり死んだりするのだと思うと少し気が楽になる。

でもおばあちゃんはほとんど病気をせずに90歳になるいまもひとりぐらしをしてる。別れというのは突然起きるばかりでなく、なだらかに準備されていくこともあるのだということを、わたしは学んでいる。ここ5年ぐらいで、おばあちゃんは「自分のいなくなった世界」について、話すことが増えたよね。わたしやお母さんやRちゃんに、いなくなったあとに開ける「箱」を用意してくれているとも。そういう話のあと、いつもどういう顔したらいいかわからなくなるけど、不在の準備をしているおばあちゃんに、わたしも向き合わなくてはならないと思う。会えなくなってもまた会えるために。愛されなくなっても愛することができるようになるために。この先、不在のおばあちゃんを含む、もういなくなった人たちの気配を感じながら生きるためにいま自分ができることは、おばあちゃんの話を聞くだけじゃなくて、こんなふうに一緒に「つくる」ことなのではないかと思っている。おばあちゃんは、書いて、編んで、つくりながら生きてきた人だから。

それでも、6月に会いに行ったとき、急なじんましんのあとだったね。はじめておばあちゃんが「もうじゅうぶん生きた。もう長生きしなくてもいい」と言ったとき、うまく飲み込めず、言葉を見失った。それは反射的に言葉を返すよりも、時間をかけたほうがいいやりとりだと思ったからなんだけど。オリンピックの5年前には、「生きて見られるかな?」と言っていた。87歳のとき、鎌倉に住む、中学時代からの親友の薔薇の絵の個展に行ったときには、「100歳まで生きられるかな?」と言っていた。おばあちゃんの願いはいつだっておばあちゃんのもの。それは誰にも、曲げられないし、奪えない。これまでもこれからもそうだよね。でもおばあちゃんの生きる時間が進むなかで、願いの語尾が少しずつ変わるその微細な揺れに、これからも立ち会わせてもらえたらうれしい。言葉に耳を傾けることに、踏みとどまるから。おばあちゃんがなにを言っても、おばあちゃん、おばあちゃん、と呼びかけることを、わたしはやめないから。もちろん、わたしが先にいなくなることだってある。わかりきったことを、留保しなくてもいいのかもしれないけど。おばあちゃんは、自分がいなくなることについてどう思ってきた? いまどう思ってる?

年齢を重ねると、時間の流れがはやくなるとよく聞くし、実感する。おばあちゃんがパンケーキを焼くのに流れる時間と、わたしがパンケーキを焼くのに流れる時間には、どれぐらい違いがあるのだろう。とりとめなくなってしまったけれど、お返事、待ってます。

# knitting notes

グラニースクエアをこつこつ編みためています。4月に一緒に展示した『偶然の浜辺を遊覧する』のためにおばあちゃんが編んでくれたクロシェのパーツたちと組み合わせて、セットアップをつくろうとしてるよ。つなぎ方に悩んでいるので、8月にそちらに長期滞在するときに教えてほしい。

野村由芽


編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
https://www.instagram.com/ymue/
https://x.com/ymue
https://www.instagram.com/grandmas__gang/

すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。

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