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2025.10.29更新

偶然の祖母

野村由芽 すみ湖

偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。


五通目:50年後のわたしへ、50年前のおばあちゃんへ(野村由芽)

50年後のわたしへ(2025年10月26日)

 

お元気ですか? と書きはじめてはみたものの、少し戸惑います。「元気」であることが、当たり前であるようで。元気でないという権利もあるというのに。調べてみると、日本においては「元気」を「減気」と書いていた時期があり、病気などが快方に向かう様子をあらわし、「よくない気を減らす」という意味があったよう。そう考えれば、元気という言葉にかつて含まれていたのは、「ずっと変わらず健康」のような眩しくも頑ななニュアンスばかりではなかった。誰もが心やからだの調子を崩しうるという前提のもとに成り立っていたはずだったと気づきます。

けれどこの手紙を書いている2025年は、人生100年時代とも言われ、予防医学が注目され、ロンジェビティ(健康で若々しく、活力に満ちた状態で長生きすること)という言葉もあるほど。医療費を切り詰めるための案として、終末期の延命措置治療の全額自己負担を掲げる政党もあります。眉がねじれそう。「できるだけ元気でいたい」という個人のささやかな願いが、「健康でいなくてはいけない」あまつさえ「そうでなければ生きていけない」という社会の風潮に慣れさせられていく感覚に危機を覚えます。40歳を目前に心身の変化を濃厚に感じつつあるわたしも、「なるべく健やかに長く生きたい」という思いが強迫観念のようになって苦しんでいます。反省する日々。

89歳のあなたは、まだこの世界にいるのでしょうか。この手紙を読むことはできますか。編みたいと思ったものなら、なんでも編めるようになりましたか。あなたの愛する澄子おばあちゃんのように。

約50年前、おばあちゃんは、しきりに「いまを生きる」と言っていました。あなたが「長く健やかに生きていきたい」と願ったのは、おばあちゃんの影響も大きかったですよね。90歳になってもひとりで暮らし、自炊をし、年齢を重ねた記念にと、いまのメモリーをカラフルなパッチワークキルトに縫い込む。なるべく一緒に過ごしたくてあなたが家を訪れると、いつでも2種類の話をしてくれた。ひとつは、何度も繰り返し話してくれる大切な思い出話。もうひとつは、「結婚したての頃、旅先から自分に向けて手紙を書いて、ポストに入れていたの。おもしろいよ。由芽ちゃんもやってみたらいいよ」というような、聞いたことのなかった話。

前者は、おばあちゃんの記憶の縦糸のようなもの。その土台からふと跳躍して時折聞かせてもらえる後者の類の話は、気まぐれな天使が舞い降りたみたいだった。その両方の話を聞かせてもらえることは、人と話をすることの深い味わいだと思う。話がそれてしまったけれど、おばあちゃんみたいに生きたいと思うあまりに、おばあちゃんみたいに生きられなかったらどうしようと未来ばかりを見て不安視して、「いま」をないがしろにしていたところがあなたにはあった。「いまを生きる」という言葉を、へえそんなもんかと、聞き流していた時間が長かった。

でも最近、変わってきた。いま、いま、いまなんだ。武田百合子の対談集のなかで、金井久美子が評した「『富士日記』とか『犬が星見た―ロシア紀行』なんかを読むとわかるのは、人間には過去とか現在とか未来とかがあるわけだけど、それが出て来ないのね。その場その場の対応の仕方が魅力的だと思うの」という言葉が妙に心に残ったこと。10000歩あるこうと目標を掲げ、繰り出した夜の散歩で汗をかいて服がとんでもなく臭くなったけど、「着替えたらきっと気持ちがいい」と前向きな感情が自然とわいてきたこと。これまでだったらもう帰りたいとすぐに匙を投げていたのに。

いつやってくるかわからない未来の悲しみや不安に怯えるよりも、どうせこの世界にいっときたたずむなら、のびやかな散策者あるいは遊覧者でありたい。いまをめいっぱい感じて、考えて、たとえ自分がいなくなっても、この世界に期待を託せるように行動するほうがいい。そういう「いま」性のようなものが、はじめて自分のなかで存在感を放ち、最近は少しだけ楽になってきたようです。散歩から帰ってきてからも、いまを味わうことへの集中力は続いていたようで、月よりも大きい卵焼きが焼けました。扇風機と猫の月見の首振りの動きがとてもよく似ていると気がついた。お風呂という小さな海に毎日浸かることができる現実に詩情を感じた。過去を抱きとめ、未来への責任をもちながら、いまこそをないがしろにしないやりかたで歩んでゆきたいと思っているいまのわたしを、2075年のあなたはどんなふうに眺めるでしょうか。

もしこの手紙を自分で読むことが叶わなくても、ほかの誰かのもとに届いているようなことがもしもあれば、それもまたうれしく思います。

 

50年前のおばあちゃんへ(2025年10月26日)

 

1975年。いまから50年前のおばあちゃんは、40歳だね。わたしと1歳違いだ。ほぼ同い年だから、おばあちゃんじゃなくて澄子さんと呼びます。手紙の口調もいつもと変わってしまいそう。

今日はちょうど、尊敬するつくり手であり、大切な友達のひとりでもあるYUKI FUJISAWAのゆきさんの個展が京都で終わったところ。手仕事とともに生きる人のもとを訪れた本『わたしを編む』に書き留めた言葉も空間のあちこちに展示してくれていた。澄子さんは「もしおばあちゃんがもっと若かったら、学芸員とか……美しいものや、職人さんの手仕事を書いて伝える人になりたかった」と話してくれたことがあった。その言葉は光のようにわたしに注がれて、回転する灯台のように、自分がなにをして生きていくかを考えるときの選択肢のひとつになっているから、ゆきさんとのこの仕事も、導かれるように歩んだ先にあるものだと思っている。

日本舞踊の名取の直前までいったけれど、大阪の商人だった父(わたしにとってのひいおじいちゃん)が破産したことでその道を諦めた。岸和田の家の向かいに住んでいた友達のお母さんに教えてもらって、はじめて靴下を編んだ。文学少女で、星ひとつの岩波文庫を電車で読みながら通学した(戦後の電車は、座席に立つ人がいるほどの満員具合だった)。帝塚山高校の新聞部では、のちに作家としても世に出ることになる恩師のお手伝いをしていた。学生と言えど、校了時の帰宅は毎晩遅かった。やがて二人の子どもを育てながらも、20代からつけている日記は毎日欠かさなかった。それとは別に、どこに発表するでもなく文章を書き続けている。針と糸をもち、子ども服、自分のセーター、人形、子育て中の母たちに手芸を教えるための作品……なんでも編んで、縫った。書くこと、針と糸でつくること、舞うこと。その三つを自らの人生で拠って立つものとしてすでに確立し、自分のために抱擁していた、40歳の澄子さんの姿を思い浮かべています。

1975年は、どんな年だったのかな。インターネットで調べてみると、国際女性デーが国連で提唱されたのがこの年。5月には女性として世界で初めて、田部井淳子さんがエベレスト登頂を成し遂げた。エリザベス女王の来日が、一大ムーブメントに。10月にはアイスランドの女性の90%が、男女の賃金格差に抗議するため仕事も家事も一斉に休んだ大規模ストライキが起こる。生活の面では、第四次中東戦争によるオイルショックの影響で長引く不況の最中にあった。今日の40歳の澄子さんは、どんな一日を過ごしていた? 自分自身でいられると感じていた時間はあったかな。中年にさしかかり、年を重ねることに関して計画していたことはある? 50年後の世界はどうなると想像していたんだろう。

当時の国勢調査のアンケートに答えるにあたって、専業主婦の身では「少しも外で働かなかった人」という項目にまるをつけなくてはならなかったことがあったでしょう。「『まるなんてつけてられるかああ!!!』と思ったわ」と笑いながら教えてくれたとき、その目の奥には炎がごうごうと燃えていて、畳の部屋には、糊づけしたようにぴしっとたたまれた洗濯物が置かれていた。怒る澄子さんと美しい洗濯物を交互に見れば、人の人生の工夫や意地や癖は、生活の細部にこそ宿るのだという凄みを感じずにはいられない。女性が生きるうえでの選択肢がいまと比べると限られていた頃、40歳のあなたは、本当に自由になれるならば、どんな人生を夢見て、どう生きたかっただろう。

 

# knitting notes

4月の展示『偶然の浜辺を遊覧する』のためにおばあちゃんが編んでくれたドイリーと、わたしが編んだグラニースクエアをつなぎあわせてセーターをつくっています。また一緒に編み物ができたら本当にうれしい。

野村由芽

編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。

https://www.instagram.com/ymue/

https://x.com/ymue

https://www.instagram.com/grandmas__gang/

すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。

プロフィール