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2025.07.25更新

偶然の祖母

野村由芽 すみ湖

偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。


二通目:卒寿から見える景色(すみ湖)

心友 由芽ちゃんへ (2025年7月9日)

 

月桃花

お手紙ありがとう。去年の沖縄旅行から由芽ちゃんの手紙が始まっています。

壷屋近くで大雨に遭ったとき、わたしは面白がっていたのに、由芽ちゃんは心配してくれていたのね。ノーテンキなおばあちゃんでごめんなさい。沖縄ではいろいろと珍しい風物に出会ったので、帰ってすぐに沖縄俳句ができました。拙作、笑って下さい。

 

 やんばるの初夏に揺らめく月桃花

 やちむんの器手に取る初夏タべ

 シーサーの面さまざまの薄暑かな

 阿檀並木あれは何だと問う薄暑

 木漏れ日や祖母と孫ゆく若葉道

 

沖縄旅行ではずっと由芽ちゃんの腕に支えられて歩いていました。沖縄に詳しい、あんでぃさん(由芽ちゃんのパートナーの愛称)のお世話になり、本当に楽しかった。由紀夫さんの月桃花、栃木県に根付いたらいいなぁ……楽しみです。

 

ムラサキツユクサ

6月の中頃、庭に勢いを増しはじめた雑草の群れの中に珍しい紫の花がちらりと見えました。まるで翼のように拡げた細い左右の葉の間に紫の花が2りん、葉の下には蕾が房になって下がっています。この家に住んで47年になりますが、庭で初めて見つけた花でした。

小鳥の落とし物でときどき庭に贈り物をもらいますが、これは嬉しいプレゼントでした。

花の名前は何かしら? と考えながら、何枚も写メールを撮っていたら、何枚目かに、下の方に「調べる……植物」と出てきました。それで、ムラサキツユクサの名前を見つけ、この清楚な花がツユクサの仲間だと分りました。雑草の中では可哀想なので、1茎とって花瓶に挿し、テーブルの上に置きました。

夜、まるで合歓の花のように3枚の花びらを閉じてしまいましたが、翌日、しつかりと目を覚まして、花びらを全開していました。

 

王様の耳はロバの耳

わたしは格好のいい、颯爽としたおばあちゃんではありません。6人兄姉弟の5番目。6歳年上の姉は活発で姉御肌。3人の兄たちも頭がよく、特に2歳上の兄は努力しなくても何でもぱっと分ってしまう人で、わたしはこの兄から「お前、アホか」などと言われ悔しい思いをしました。悔しくても言い返せずに、しょんぼりとしていました。1歳下の弟は、末っ子でかわいがられていました。わたしはあまりものを言わない子供で、父はわたしのことを「静御前」と呼びました。文字が書けるようになると、ノートに幼いながらの鬱屈を書き付けていました。ノートは「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ洞穴でした。6人とも個性が強かったので、お互いに適切な距離を保っていた。わたしは5番目の子供だったので誰からも干渉されることなく、マイペースでした。由芽ちゃんとの「適切な距離」も、そんなところから来ているのかもしれませんね。

 

キリキリした感情

思い出すのは娘の友子のピアノの最初の先生と、2回目の先生を替えた日のことです。最初の先生は同じ社宅の一階下に住んでいました。可愛がってもらったのですが、親ばか丸出しのわたしは、この人は友子の個性と才能を見抜いていない、という不満を持ってしまい、別の先生に替えたことです。申し訳ないと言う気持ちと、こうしなければいけないのだ、という狭間で苦しみました。これは確かに「キリキリした」感情でした。2回目の先生も同じ気持ちのステップアップでした。思い込んでの決行でしたが、わたしの節々にはそういうことが度々起こっています。猪突猛進、猪年の性格がときどき現れます。

 

すばらしい作品を前にして

辛いとき、悲しいとき、喜びに溢れているとき、人生はいろいろあるなあ、自分だけじゃない、と、作品を前に呆然としながらも、力を貰います。小説、ドキュメントは勿論、絵画、彫刻、陶磁器、手仕事などの数々は、ひっそりとした美術館、博物館で感性を充電します。図書館、広々とした本屋さん、京都の古い本屋さんの店先の古書。水族館、植物園も大好きです。映画、舞台、コンサート、舞踊会などと、元気なときはよく出かけました。

 

由芽ちゃんの記憶力

由芽ちゃんは記憶力と集中力に優れています。何気ない話しをきちんと受け止めてくれます。まるで同年輩の友人に喋るように話してしまうこともあり、こんなこと話してしまった、ってことも……これ、一寸飛びすぎてしまったかな? と思う言葉も面白がってくれるので、胸がはずみます。これからは、曲芽ちゃんがドキッとするよう話しも、書けるかも知れない。

 

チーズケーキ

由芽ちゃんが米粉のパンケーキを焼いている姿を想像すると、小、中学生のころの夏休み、春休みにこちらに来て一緒にチーズケーキを焼いたことを思い出します。由芽ちゃんと妹の玲ちゃんが小さな手で卵白を一生懸命に泡立てていた姿が、くっきりと目の前に浮かんできます。

最初に作ったチーズケーキが上手くゆかなくて、切ると中のチーズが流れて、崩れてしまったことも苦い思い出。失敗は成功のもとで、その後、チーズケーキは上手く焼けるようになりました。一晩、冷蔵庫の中で寝かせると美味しくなることも経験から学びました。チーズケーキの作り方の本を前に置いて、ドイツ風本格的チーズケーキ、アップルチーズケーキ、スフレタイプのチーズケーキ、レアチーズケーキ、タルトレット、など、いろいろと挑戦したことも。

趣味のグループの会合のために、前日に焼いて、冷蔵庫で寝かせてから、持って行ったことも。ああ、懐かしい。

 

読み返すということ

最近は、昔読んだ本を読み返すことが多くなりました。小さいときから大人しい子供で、文字が読めるようになると、絵本や童話を抱え込んで座り込むか、人形を抱いて服を着せ替えたりして、あまりお喋りをしなかった。自分の胸の中に「人形の世界」や「わたしの物語」を幼いながら抱いていました。

父親が読書好きだったので、家には百科辞典他、たくさんの本があり、何を読んでいるのか、誰も気にしなかった。ふと、手に取った年齢的には少々危ない本も、よく分らないままに読んでいた、という経験が大人の世界へと導いてくれた気がします。つまり「免疫」が自然についたと言うことでしょう。

昔読んだ本を読み返していると、そのころの自分の姿が甦ってきます。ここで何を考えていたのかな? ドキドキしていたのかな? そっと百科辞典を取り出して調べていたのかな?  6人きようだい、それぞれに自分の世界を持っていました。お互いに干渉しなかったのが幸いでした。

 

時計の針

亡くなったわたしの夫(由芽ちゃんのおじいちゃん)は時間を気にする人でした。会社員になって最初に配属された先は、会社の会長の秘書補佐でした。

この会長は例えば、京都発9時の新幹線に乗車するとなれば、8時には京都駅に着いていなければ気の済まない人でした。と言うことは、夫は南禅寺近くの会長宅へ、その1時間以上前に迎えに行かなければならない、そういう経験から彼も会長と同じように行動する習慣が身についてしまったのです。

海外旅行の自由時間に午後2時集合、となると、1時に行っていないと落ち着けない。あーあ、時間がもったいない、わたしはため息をついたものです。

 

始めると止まらない

何かを始めると止まらなくなるのは由芽ちゃんと一緒です。手に何も持っていないとすぐに眠くなるのに、針と糸を手にすると、時間が分らなくなり、最近は、もう一人のわたしが「あなた間もなく90歳ですよ、いい加減にしなさい」と警告します。読書でも同じことが起こります。本の中に入り込んでしまうと時間の感覚がなくなってしまうのです。たまに、睡眠薬のような本に出会うこともありますが……

斎藤真理子さんの「編み狂う」のなかの、後一段の誘惑、わたしも、どれほどの時間を、後一段に献上したことかと、一人で笑っています。

 

赤ちゃんの由芽ちゃん

23歳で亡くなった友子の弟、由芽ちゃんの叔父さんの洋(ひろし)は由芽ちゃんが生まれたとき、脳腫瘍の手術が成功し、ひととき元気でした。友子が出産のため入院している病院へ、わたしと一緒に毎日、病院へ通いました。「ぼくが入院しているとき、毎日来てくれたから、そのお返し」と照れながら。友子は洋の入院中、洋の病室へたびたび見舞いに訪れ、同室の患者さんたちから「あの人、彼女?」などと噂されたりしていました。弟を慰めるために、折り紙でオセロを作って遊んだり、洋の好きだったロック歌手のテレビ中継のライブの録音を頼まれたり、わたしにできないことを引き受けてくれました。病気のせいもあり気難しい弟の理解者であり、弟もまた姉を信頼していました。

由芽ちゃんが友子お母さんに抱かれて帰って来ると、赤ちゃんに夢中で「ぼくにも抱かせて」と側に付きっきり。こちこちの洋の両腕に由芽ちゃんを抱かせると、捧げ持ち「赤ちゃんって可愛いなあ……ぼくも赤ちゃんほしいなあ」と、目を輝かせました。ステロイド剤でムーンフェイスになったまん丸い顔に浮かぶ優しい笑顔、それまでに見たこともなく、友子と2人で、びっくりするやら、うれしいやらの気持ちが溢れそうになり、つい、涙ぐんでしまいました。

洋は生きる気、満々、だったのです。でも、彼の命は23歳まででした。

急に倒れるまで自転車のツーリングに夢中だったので、病気に気付かなかった自分の不甲斐なさをどれほど自分に責めたことでしょう。身体の半分の水が出尽くすほど毎晩、涙を流しました。でも、後の半分の脳細胞や、微細な細胞、熱い血、何より体全体を包み込んでいる魂がわたしを立ち直らせてくれました。

洋の分まで生きてみせるぞ、わたしは決心をしたのです。由芽ちゃんや玲ちゃんの成長がわたしのエネルギー源になりました。洋もきっと天上から見守ってくれていることでしょう。

 

不在の準備

わたしは自分がこの世から消えてしまった後、関わった人たちが、ときどき懐かしく思い出してくれれば嬉しいな、と勝手な想像をしています。恥ずかしいことや、不義理もいっぱいしているかも知れないのに……気付かないうちに申し訳ないこともしてしまっていることでしょうに、欲張りですね。

 

一緒に何かを作る作業

90歳になって孫と共同作業ができるなんて、夢のようです。それも大切な由芽ちゃんからの提案。ああ、長生きをしてよかったなあ。由芽ちゃんの足手まといにならないように、でも自分らしさも失わずいようと、考えています。

やっぱり、欲張りおばあちゃんですね。

 

パンケーキを焼く時間

由芽ちゃんのパンケーキを焼く時間には未来の香りが漂い、わたしの時間には彼岸へ旅立った人への香華の香り。由芽ちゃんは、いま、朱夏の季節を生きている。わたしは長い旅路の終点近く。でも、心は同じ地点と思いたい。

 

すみだの花火

花瓶に挿したすみだの花火という額紫陽花がしだれ花火のように枝垂れてきました。これは何年も前に友子が鉢植えをプレゼントしてくれたもので、庭に下ろすと大きく広がり、毎年、花を楽しませてくれます。花瓶に挿したときは未だ枝垂れていなかったのですが、今日見たら、名前の通り、花火のように枝垂れていました。たおやか、という言葉が浮かんできました。

 

猛暑が続きます。身体に気をつけてくださいね。では又、来月に。

Sumiko(すみ湖)

 

# knitting notes

バスケット編みのクッションカバー

由芽ちゃんの着ていたセーター(セーター屋mouhenさんのもの)で初めて見た編み地のバスケット編みに、わたしの編み物の虫が騒ぎました。

独習して、クッションカバーを編んでみました。

すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。

 

プロフィール