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偶然の祖母
野村由芽 すみ湖
偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。
八通目:月見台公園のウグイス(すみ湖)
心友 由芽さんへ (2026年4月17日)
お手紙ありがとう。2月の半ば頃に「今週を目処にお手紙書きます」とラインが入ったので心待ちしていました。でも、「待てど暮らせど……」だったので体調を崩しているのかな、と心配していました。心配しながらも、そっと様子を見ようと考えていました。元気の波が戻って来たようでほっとしています。
2、3日前から家の前にある月見台公園にウグイスが来て、しきりに啼いています。3日前は「キ、キ、キ」だったのに、今朝は「ホーホ、ケキヨ」夕方には「ホーホ、ケキョ ケキョ ケキョ」の上達ぶりです。
由芽さんにも話したことがあるかもしれないけれど、由芽さんのおじいちゃん、私の夫は口笛の上手な人でした。晩年、身体が弱って来て歩くのもおぼつかなくなったのですが、身体を支えてリハビリをかねて月見台公園へ散歩に出ました。その日も今日のようにウグイスが啼いていました。もう、バイエルもソナチネも卒業してソナタ級のメロデイを奏でていました。
「ホーホ ケキョー ケキョー ケキョー ケキョー」おじいちゃんは口笛でそっくりそれを真似ました。追いかけて来たウグイス君、いっそう華やかに歌い上げました。ライバル登場と闘争心をかき立てたのでしょう。おじいちゃんがふざけて「ケキョ ケキョ ケキョ」と口笛を吹くとウグイス君、負けじと「ケキョ ケキョ ケキョ キョキョキョ」と応答。公園を一回りする間、ウグイス君、付いてきました。楽しいひとときでした。
その後、おじいちゃんの体調も弱まり、混乱も始まりましたが、あのひとときを思い出すと体中の血液が巡ってきて、辛かった最晩年の日々の記憶も消えてゆくのです。
マイナス10個よりプラス1個があれば、プラスの光度はとびぬけているようです。マイナスに引きずられて落ち込む日々があっても、1個のプラスが元気の源になることがあるのを、91年弱の経験から学びました。
プロ野球シーズンの開幕とともに、野球のテレビ中継を見ながら、相変わらず針と糸を持って手仕事をしています。大飛球をフェンスぎりぎりに飛び上がって補球したり、鮮やかな併殺プレーに手が止まって、プロの技に見ほれて、編み目を落とすことも度々です。
先日、由芽さんからお手紙を貰ったときも、仕上がり直前のベストを手元に持っていました。麻綿混の糸なので初夏の頃まで着られるでしょう。いままで編んだ色々のニット作品も少々いまの自分には派手かな、と思っても、家で着る分には十分と考えて身につけています。もう私の残り時間は限られています。手仕事に込めた時間を考えながら身につけていると、それを編んでいた日々の光景がくっきりと浮かんでくるのが不思議です。思いがけず早く彼岸へ旅立ってしまった才能豊かな友人、知人を思い出すと、残された私は何をぼやぼやしてるのかしら? と、反省してばかりです。
由芽さんがすみ湖に寄せてくれるあたたかい励ましは私のエネルギー源です。平凡な、すみ湖という人間に興味を持ってくれ、「おばあちゃん、おばあちゃん」と大人になっても慕ってくれました。それこそが由芽さんがすみ湖に与えてくれた宝物です。そんな幸せな「おばあちゃん」っているでしょうか。由芽さんが私と共にしたいことのプラン表を見ながら、できそうなことを1つずつ試してみたいと思いました。ただ体力がいりそうなプランは無理ですね。
有名人の死亡理由を見ていると癌などの他に「老衰」が出てきます。老衰の始まりは、食欲が亡くなる、意欲低下、嚥下障害、寝てばかりいる、などとあります。私は朝昼兼用食ですが、たっぷりと頂きます。おやつも少々、甘辛どちらもつまみます。夜は生活クラブの食材を購入して、しっかりと自分好みに調理します。冷蔵庫、冷凍室も満杯です。老衰はまだまだ先の方、と勝手に決め込んでいます。いまは持病もなく元気なのだから残りの時間を由芽さんとの面白い企画実現に向けて充実させてみたいと、欲張りおばあちゃんです。
去年、思いがけずに小鳥の落とし物から庭に咲いたムラサキツユクサの葉が勢いよく伸びてきました。満天星(ドウダンツツジ)は満開。ちいさな鈴の中に小型の蜂や虻が潜り込んで騒いでいます。すみだの花火と言う額紫陽花も勢力を伸ばしています。ツツジのピンクとバラ色もつんと蕾を立てています。
アリが行列をつくり、アオガエルがぴょん、ぴょんと飛び回るのも、もうすぐです。キリギリスが郵便受けの守衛になっていたこともあります。庭に住みついている蛇が、帰りがけの由芽さんを驚かせたこともありましたね。この住宅地は元は山だったので、彼らは先住民です。彼らに敬意を表して静かにお引き取りを待つばかりです。たまたま私は人間に生まれたけれど、天の配剤でアリや蛇になっていたかも知れないのですものね。
「おばあちゃんの一番したかったこと?」と、訊ねられたら、恥ずかしいけれど、こっそりとお伝えします。
「京鹿子娘道成寺」を早変わりの衣裳も重ね着して、全曲を通じて踊ることです。叶わぬ夢ながら、心の中では踊っています。歌舞伎の名優たちの舞台、舞踊家の公演も幼いときから数々目にしています。4歳の頃から楳茂都陸平師に指導を受けた誇りを胸に秘め、心の中で踊っています。笑って下さいね。
最後に「りんご」のこと。ヨシタケシンスケ氏の『りんごかもしれない』という絵本を見ていると、たった1個のりんごからいろんな発想を飛ばしていて、想像することの面白さを考えてしまいます。
お正月過ぎ、帰宅間際に体調を崩した由芽さんに私も戸惑いました。立派な大きなりんごだったので無理やりに押し付けてしまったのかもしれません。でも、そのりんごが、いまも由芽さんの側に鎮座しているとは……。もしかしたら、その、しわしわ、かさかさりんごの中に、物語の種子が発酵しているかも知れない。そっと、りんごに聞いてみてね。
いま、夕方6時過ぎです。月見台公園からウグイスの誇らし気なソプラノが聞こえてきました。5月の瀬戸内旅行を楽しみにしながら、お互いに身体に気をつけて過ごしましょうね。
すみ湖
#knitting notes
先日編み上げたばかりの春物ベストです。麻綿混の残り糸を使って色遊びをしながら編みました。糸の都合もあり、表、裏、どちらでも着られるように後ろの襟ぐりを深めに編みました。ジャケットの下に着て日替わりで楽しみたいです。


【プロフィール】
すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。
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野村由芽

編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
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プロフィール

野村由芽
編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
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すみ湖
1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。