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偶然の祖母
野村由芽 すみ湖
偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。
七通目:おばあちゃんへのお詫び、もっと友達になりましょう(野村由芽)
冬から春にかけてのおばあちゃんへ(2026年4月12日)
あたたかくなってきたね。昨日は春の海がみたくなって、机のうえのメモ帳に、大事にしてる光る青色のクレパスで海を書いてみた。その簡単な絵を眺めながらクロワッサンをばりばり食べたら、海辺で朝食をとっている感じがしたよ。春のあたたかさにほんのすこし羽がはえる日々です。
お手紙をありがとう。そして、お返事がいつも遅くなってしまってごめんなさい。まずは、この前の年越しのことを謝らせてね。
年越しは、一緒に過ごすことができてうれしかった。そして、滞在から帰る日、手渡してくれた二つのりんごを、「重たいからいらない!」と言ってしまってごめんなさい。この冬はほんとうに調子が悪くて、でもおばあちゃんや、お母さんやお父さんと久々に会うときは、どうしても心配をかけたくないという気持ちが先行してしまう。立派なすきやきのお肉を消化するためのエネルギーは、ぱんぱんに気を張ったからだにはもう残されていなかったみたいだった。食べたらさらに調子を崩し、わたしのはちゃめちゃな起床時間と体調にあわせて、おばあちゃんにごはんをつくってもらい続けてしまった。それがあたりまえかのようにふるまってしまっていたよね。
いつもたくさんのことをエネルギッシュにやってのけてしまうおばあちゃんだから、「由芽ちゃんのご飯係みたいじゃない」と言われるまで、自分のしたことに気づかなかった。おばあちゃんに「してもらう」ことにとことん甘えてきて、おばあちゃんが指を噛んでいる姿を初めてみて、ああ沖に来てしまった、という感じがしました。「もうこれ以上、“もらって”はいけない」という焦りが、咄嗟に子どもっぽい反抗的な行動に化けて、たった二つのりんごを突き返してしまったのだと思う(その後、ふたりのあいだに押し問答があり、なぜかふたりで泣いて抱き合ったのはいい思い出でもあるけど)。
言い訳だけど……おばあちゃんがこれまでと変わらずなにかをつくっているうちは、ごはんであれ、編み物であれ、パッチワークキルトであれ、まだまだこの時間がずっと伸びていく感じがする。めざめたときや、疲れきって帰宅しているときに、今日もおばあちゃんがいる世界だと思える朝や夜が続く気がする。それで子どもの頃と同じように、おばあちゃんがあんなふうにごはんをつくってくれることがずっと続けばいいと思ってきたなんて、自分のことばかりで幼稚で恥ずかしいことです。でもそれが本音です。
おばあちゃんは「心友」と言ってくれているけれど、わたしはまだ、おばあちゃんのいい友達としてたっぷりと立てていないのだと思う。「祖母と孫」という関係の時間のなかで培われた「してもらう」という非対称性の太いしっぽをひきずっている。互いのいまをよくみつめれば、自分が手渡す主体になるべきときがきていることもほんとうはわかっているのに、行動に移すことをさぼっている。でもわたしはおばあちゃんと、澄子さんともっと友達になりたくて、だから変わりたいと思ってる。
『ともだちは海のにおい』って読んだことある? おばあちゃんと同じ、1935年生まれの工藤直子さんが書いた、いるかとくじらの物語。ふたりはいろんなところがちがっているけれど、たいせつなともだち同士。
いるかとくじらは、自分がいつ生まれたかを知らないから、思いついたときにいつでも誕生祝いをすることにしている。誕生日というこころとからだが大きくなる日のことは、くじらが辞書で読んだから知っている(くじらは読書家)。くじらはいるかに、一年でいちばん大きな満月の夜のひかりの道を贈りものに決める。ふたりはよくあそぶし、手紙も交換する。あるときいるかはくじらに、ともだちとしての思いを手紙に短く書いて、泳いで渡しにいく。ふたりは頭を寄せあって、いるかの手紙を読む。くじらは口のなかのいっとう大事なものをしまっておく小箱にいれる。夕日を眺めて、今日のところふたりは別れる。「あんたはぼくの、たいせつなともだちです。どうもありがとう。ではさようなら。」
こんな友達っていいなあ、と思う。わたしもおばあちゃんと、いろんなことを一緒にしたい。してもらうばかりではなく、わたしからもしたい。リストにしてみた。
おばあちゃんと一緒にしたいこと
・海をみて、波の音をきく(これは5月の蒲刈島の旅行で叶いそうだね)
・京都の毛糸屋さんで買い物をする
・満天の星空に包まれる
・ふたりとも食べたことがないものを食べてみる
・編み物かパッチワークで一緒に作品をつくる
・おばあちゃんの年表をつくらせてもらう(もしよかったら……)
・裁縫を教えてもらう(教えてもらいたいこともたくさん……)
・家に泊まる日、わたしもごはんの支度をする
・豆花という台湾のおやつをつくり、おばあちゃんにふるまう
・7月生まれのわたしたちの合同お誕生日会をする
・ふたりでめいっぱいおしゃれしておでかけする
・これまで行ってすてきだったところを言い合う
・これまで食べた忘れられない味を言い合う
・ふたりが書いたものを本にする
・おばあちゃんの願いごとを聞く
・生きていることの不思議を一緒に考える(前にLINEで、「大きな問いだけど、どうして人間として生きてるのかな?」ってことが気になっているっておばあちゃんが言ってたから)
よくばりすぎ……? でも、ふたりでしかいけないところにいこう。どこまでもいこう。
もらった二つのりんごは、まだ部屋に置いてあります。りんごには悪いことをしたけれど、 なんとなくあの日のことをこういうかたちで覚えていたほうがいい気がして、ぼんやり眺めたり、手にとったりしながら冬と春のあいだ、おばあちゃんのことを考えていました。しわしわ、かさかさ、色褪せて、でもまだ重たい。ともだちは、海やりんごや、いろんなにおいがするものなのかもしれないね。もっと友達になりましょう。お返事待ってるね。
# knitting notes

おばあちゃんとわたしのモチーフを組み合わせたポンチョが完成しました。時間がかかってしまったけどそのぶん喜びもひとしおだね。よかったら名前をつけてほしいなあ。
正月に石山駅前のがんこ堂で買った柚木沙弥郎さんの『夜の絵』の布コラージュがとてもすてきだった。おばあちゃんも人から譲り受けた布をたくさんもっているから、やってみたら? と言ってみたら、「それらしいものは1日でもできるかもしれないけど、ぱっぱっとやっても偽物。思い入れがある布を集めて、それをじっくり選ぶとこからはじまってるんでしょう。おばあちゃんは“雨のパッチワーク”を完成させなくてはいけないから、たくさんはやらないの」。
手芸というのは、そのみてくれやかたちよりも、その人の生きた時間の結晶としての面が光っているなと個人的に思う。
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野村由芽

編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
https://www.instagram.com/ymue/
https://www.instagram.com/grandmas__gang/
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すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。
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プロフィール

野村由芽
編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
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すみ湖
1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。