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偶然の祖母
野村由芽 すみ湖
偶然、祖母と孫という関係に生まれついた二人が“家族”と“心友”のあいだを行き来しながら生活や編み物や社会について一緒に言葉を編むこと。時をこえてあなたがここにいたということを思い出せるために。
1986年生まれの編集者 / me and youの野村由芽と、1935年生まれの祖母・すみ湖。51歳差の往復書簡。
九通目:記憶の間取り(野村由芽)
広島を旅したおばあちゃんへ(2026年7月5日)
5月の広島旅行はたのしかったね。
旅の道連れは、おばあちゃん、父、母、わたし。
せっかく一緒に旅をしたから、2026年5月21日〜23日の旅を振り返って、わたしなりに見たものを書いてみようと思います。
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5月21日
正午過ぎに福山駅で待ち合わせる。おばあちゃんは父母が宇都宮から運転してきた車に乗って、大津から福山までドライブ。わたしは新幹線で東京から向かう。福山が薔薇の街ということはうっすらと知っていた。駅前に赤、白、ピンクの薔薇のアーチがあり、父の写真を撮る。薔薇ではない紫の花も気まぐれに混ざっており、なんでだろうと言い合う。父は福山城も一緒に写してくれと言う。
旅の最大の目的地は、おじいちゃんの生まれ故郷である蒲刈島をみにいくことだった。わたしはたぶん、3歳ぶりとか。ホームビデオに残っているよね。水のなかをじっとのぞいてみたら、思い出のワンシーンが浮かびあがってきたみたいなぐにゃぐにゃしたフィルムの映像。
1989年頃の島の風景。27歳の母と54歳の澄子さんは、白いシャツを着ている。わたしはふたつ結びをしている。あと10年もすれば、自分にはふたつ結びが似合わないと知る。澄子さんはあまり笑っていなくて、やけに胸に残る。植物の実がぱちぱちはじけるように笑う、いまのおばあちゃんとは違いがある。おばあちゃんは船を間違えて、目的地とは別の港に着く。島の人のトラックの荷台にわたしたちは乗せてもらって、旅らしい非日常に揺られていた。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの病院からは夕暮れの海が見えて、ビデオをまわし続けている父の姿は、一度も映らない。姿が見えなくても、これを撮った人がここにいるということを想像することはできる。
この旅でも父は、ずっと運転をしている。あいにくの雨。思い出を辿るには、色が足らない天気だと思う。それでも「もっと細い山道を登っていったはずなんだけど……」と、おじいちゃんとその両親の家の跡地を探そうと粘ったのは、普段あまり自分の気持ちを全面に出さない母だった。おばあちゃんとお父さんは車でお留守番。母は坂道をのしのし登っていく。「うん……ここだと思う」。伝え聞いていた話では、みかん畑が一面に広がっているということだったので、民家がぽつぽつと並ぶばかりの風景に拍子抜けしたが、みかん畑をやっている人もだいぶ減ったようだ。写真を撮っておく。今日の母は群青色のワンピース。ここに来れてよかった記念。
「ニイナという貝がとれて、茹でて食べた」「とれとれのアコウがおいしかった」「西瓜を食べたあとの皮は港に捨てていた」「タカシさん(船大工だった曽祖父)は盆踊りのやぐらのうえに立っていた」「シノエさん(曽祖母)は真面目な人だったけど、詩吟をやっていて、母と父の結婚式で披露した。あれ、うけてたよね」
蒲苅島はかつては船でなければ渡れなかったが、いまは橋がかかり、車で往来することができる。遡れば、古墳時代から藻塩焼きという手法で土器で塩をつくっていた土地だそうだけれど、それはこの旅の土産物屋の塩のパッケージではじめて知ったことだった。生活用品を扱う個人商店を営む70代ぐらいの女性に、「原田タカシさんの家を知っていますか」と尋ねたら、「もう50年も前のことだけれど……」とおぼろげに、けれど訥々と語りはじめる声を聞かせてくれる。島の去り際、橋は見ているときのほうがずっとたよりなく、渡っているときは案外どっしりした気持ちになる。ソーダ色の料金所。島の色に馴染む色は、青い色だと思う。
5月22日
昨晩はおばあちゃんと同じ部屋で眠る。日中、90歳のおばあちゃんは、わたしよりも疲れていないように見えた。ただ眠っているときのおばあちゃんは、あまりにも眠ることのほうに魂の体重をかたむけているように見え、それこそ土器のようだ、うつわのようだと思った。一度、心配になって鼻と口の前に手をあててしまいました。ごめん。おばあちゃんもわたしも無事に目がさめる。おはよう。おばあちゃんは、20代からずっとつけているという日記をこの朝もつけていた。
宮島へ。わたしは宮島ははじめて。フェリーで行く、船は大好き。ロープウェー、回転展望台、眺める速度がスローになる乗り物で移動する時間を、人生にもっとつくれるといい。宮島は観光客も多く、鹿も多い。厳島神社までは少し距離があるというので、体力を考慮して人力車に乗ったら、思いもよらず楽しい。おばあちゃんと乗ったから楽しいのだ。「ふたりとも羽のように軽いですよ」と言われる。羽になったおばあちゃんは「ありがとう、いい記念になった」と人力車の方にお礼を言う。
宮島工芸製作所で杓子を買う。工房内に細長いもの、まるっこいもの、目にも楽しい杓子が並んでいたけれど、これらをつくれる職人はもうほとんどいないそう。土産にしゃもじを買う。さっきの人力車の方が汗だくになってペットボトル片手に休憩をしている。この人は1日30000歩ほど歩いたり走ったりすると言っていたけれど、いま何歩ぐらいのところだろう。関係しあった時間は終わっているから少し悩んだけれど、会釈する。ああ、というような顔で、向こうもする。してよかったと思う。腰掛けて、おばあちゃん、お母さん、お父さんを待っている間に、近寄った鹿に帰りのフェリーの切符を食べられてしまった。
おばあちゃんが見たかった錦帯橋。岩国の緑は濃かった。雨上がりの晴れだったからかな。あまりにも光が強くて、川は夢のなかのそれのようで、橋を渡ったらもう帰ってこれないかもしれないと感じる。大学生の頃、夢のなかで「ここで目が覚めたらあなたは二度と現実に帰れなくなります」と言われたのが恐ろしくて、そのまま寝ていたら授業に遅刻したことがあった。ソフトクリームを食べて気合いを入れて、橋を渡る。あの緑、あの川、あの日の岩国を思い出すと、わたしは絵の具のなかに溶けていく。絵の具チューブでしか見たことのない、ビリジアンという名前の色。
お母さんが「眼鏡がない」と言ったけど、みんな落ち着いている。「あのね、あの人は決まった場所に戻さない。だから気をつけてあげてね」とわたしの腕をひいてこっそり伝えたはずのおばあちゃんの声は、全部お母さんに聞こえている。眼鏡はもちろんある。うん、気をつけるよ。
5月23日
鞆の浦の宿で目がさめる朝。海岸のテトラポットを見るたび、「この隙間に落ちると脱出しにくくて危険らしい」と人から聞いた怖い話が頭をよぎるようになった。一度聞くと忘れられない話と、すぐに忘れる話がある。朝ごはんは洋食か和食が選べ、旅館の和食にやや飽きていたわたしは洋食にした。しかし隣の父の和食がおいしそうだ。羨ましげにしていたら、父が自分の海苔にご飯とお刺身のイカをのせ、小指のサイズの海苔巻きを握ってくれた。わたしの観測上、父に長く続いている友達はおらず、時間は仕事に、情は家族に全振りしてきた人。父のこういう演歌的な情の厚さに触れるたび、勝手に切なくなる。ミニ海苔巻きはきゅむきゅむして宝石みたいな味がする。
お腹はいっぱいだったけど、広島のお好み焼きが食べたかったので、「のむら」という同姓の店へ。店の前に、手縫いのちりめんのモビールが宙に浮いていてそっと愛でる。お好み焼き、4枚お願いします。目の前で焼いてくれた分厚くてふかふかした甘辛いもの、口いっぱい頬張って胃のなかに流し込むとどうしてこんなに元気がでるんだろう。常連らしき年配の男性がにんにくマヨネーズをすすめてくれる。お母さんとわたし、おいしいおいしいとばくばくと。身長の高い母は最近わたしよりも体重が少ないけれど、食べた。「こんなに自分が食べられるんだ、うれしい」と噛み締めるように言っていて、うれしさはうつる。旅のあいだじゅう、どの食事も完食し続けてきたおばあちゃんは、お好み焼きははじめから半切れでいいわ、とのことだった。残すならそもそも頼まないのがおばあちゃんのルール。わたしと母に、「絶対に残さないでね」と目を光らせていた。
四人での旅行はこの日が最終日。ドライブがてら、しまなみ街道や今治を通るコースを走る。お父さんが居眠り運転をしないよう、昭和の歌謡曲を次々とかける。松崎しげるの曲が流れる。美しい人生よ、かぎりない喜びよ……
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おばあちゃんとはこれまで、広島、沖縄、大分、鎌倉、青森、能登、奈良、北海道……たくさんのところに行ったよね。家族という他人は、いったいなんなのだろうと思う。いいことばかりでなく、かかわりの蓄積のなかでとりかえしのつかないなにかが残り、それに苦しめられたり、抵抗したり、飼い慣らしながらなんとかやっていかなければならないその後の人生は、誰のなかにも必ずある。わたしは、たまたま家族として出会った誰かとこうやって旅を重ねているけれど、これもまた偶然に過ぎない。そう思いながら、自分はこんなふうに家族をつくることはきっとないのだろう。おばあちゃんのことがこんなにも好きだけど、自分は祖母にならないだろう。そのこととどう折り合いをつけていくだろう。それを引き受けていけるかもしれないと、最近は思いはじめているのも、なぜだろう。
あんでぃさん(夫)と今日、お互いの実家の間取りを思い出しながら描きあってみたのね。わたしはあんでぃさんの実家を、あんでぃさんはわたしの実家を描いた。それぞれ、2階にあるはずの部屋を1階だと勘違いしていたり、動線が間違っていたりして、75点! などと言い合って。その後、おばあちゃんの家をあんでぃさんに描いてもらったら、間取りは完璧だった。それだけじゃなく、家具の配置も、この家で過ごす人の気配までも。

おばあちゃんが昼寝をしているところ。年末に蕎麦を打っているお父さんとお母さんの姿。おじいちゃんが彫った仏像。家族が集まるときだけ、居間に机が増えること。誰かが間違って捨てたあんでぃさんのお気に入りのブレスレットが、勝手口裏のごみ袋から見つかったこと。おばあちゃんの家に着いたわたしが、玄関前でワーイと喜んでいるところ。20代で亡くなったひろしさんの部屋がいまも残っていること。そういうものが、細かく正確に描き込まれていて。わたしが子どもの頃から何十年も、新幹線と電車とバスを乗り継いで、心のなかでも何度も足を運んだおばあちゃんの家。それがまた別の大切な人のなかに解像度高く記録されていることに顔をおおうほど泣いてしまった。これまでの喪失やこれからの不在のあとにも、続いていくもの。
おばあちゃんにとっては、どんな旅でしたか。最近はどんなふうに過ごしていますか。
もうすぐ91歳の誕生日だね。お返事、待っています。

# knitting notes

2年ぐらいかけて息継ぎするように手縫いをしていた、エプロンスカートが完成しました。おばあちゃんやおじいちゃんからもらった布もつかっています。さて、どれでしょう。気づけば間取りのようなパッチワークになっていました。
《プロフィール》
野村由芽

編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
https://www.instagram.com/ymue/
https://www.instagram.com/grandmas__gang/
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すみ湖

1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。
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プロフィール

野村由芽
編集と執筆、聞き手。2017年、メディア・コミュニティ「She is」を竹中万季と立ち上げ編集長を務めた後、2021年にme and youとして共に独立。2025年春、文と編集を担当した『わたしを編む つくる力を、手のうちに YUKI FUJISAWA制作日記』が刊行。生きることを手でつくること、自分や世界を探求するためのよすがとしての、個人的な編み物プロジェクト「grandma’s gang」をこつこつ進めている。
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すみ湖
1935年生まれ。幼少期に日本舞踊を習い、学生時代は新聞部に所属。主婦をしながら、日々の合間に日記や随筆、俳句などの文章を綴る。手仕事と読書が好き。人生で大切にしているのは、つくること。湖にほど近い街に暮らす。
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